読書メモ
・「昭和陸海軍の失敗 〜彼らはなぜ国家を破滅の淵に追いやったのか」
(半藤一利、保阪正康ら :著、文春新書 \740) : 2009.09.21
内容と感想:
結果的に第二次大戦で日本を破滅の淵に追いやった日本陸海軍の人材を語る座談会を収録した本。
第1部は陸軍を取り上げ、以下の5人が語る。
半藤 一利, 保阪 正康, 黒野 耐, 戸部 良一, 福田 和也。
また、第2部は海軍。
半藤 一利, 秦 郁彦, 平間 洋一, 戸高 一成, 福田 和也ら5人が語った。
軍人たちが戦後、戦争責任について語った言葉があるが、責任を感じていないものも多かった。
自己の正当化すらしていた。
本書では色々と軍人たちの批判や評価をしているが、
参謀本部作戦部の参謀は完全な縦割り、自分の担当以外は何も知らない、といった現代の組織にも通じる多くの問題が指摘されている。
次のような指摘もあって興味深かった。
戦前に既に民主化、大衆化の影響があり、政治家は大衆に媚び、そうした政治家を軍人は軽蔑し、政治に介入するようになった。
総力戦時代に軍事が複雑化、専門化すればするほど、軍人たちは他の分野のことまで考えるのは難しくなった。
国家戦略(グランド・ストラテジー)を構築するのは政治家の仕事だが、軍がそれを阻んだ。
軍人を官僚に置き換えると、まさに現在の官僚主導の日本の行政を見ているようである。
「陸軍は日本社会の縮図」というのも分かる。
また、陸海軍は予算を取り合うライバルでもあった。そうした競争意識が戦中も戦果に悪影響を与えていた。
次の指摘も現在の日本の製造業に通じるものがあると感じた。
日本は貧乏なのに、いくつも飛行機の試作機を作り、ゼロ戦以降も新鋭機を何種類も開発していくが、
アメリカは一旦作るとモデルチェンジせず、2つか3つのタイプで乗り切った。そうした割り切り、合理性がアメリカにはあった。
日本人はアイディアはあるし、器用だから非常に凝ったものを作るが、標準化されていなくて大量生産に向かないものばかり。
オーバースペックで、量産効果も出ず、単価は高い。
最後に「同一性の強い集団主義が日本人の長所。一歩間違うと組織そのものを滅亡させてしまう危険がある」と締めくくっているが、
最近の相次ぐ企業の不祥事も内向きの、日本人の悪い面が出ているのかも知れない。
○印象的な言葉
・栗林忠道ほどの知謀の士が陸軍の主流になれなかったのは組織固有の問題。栗林は軍の中ではアウトサイダー。陸軍で英米に留学するのは傍流。
上から見れば煙たかった。誰も中央へ引っ張ってくれなかった。
・近代日本の軍隊の基礎は長州・薩摩・土佐藩の藩兵。陸軍内部で派閥抗争を繰り広げた。しかし次第に平民出身の将校により民主的な形で
軍が運営されていくようになる。陸士や陸大で好成績のエリートたちが軍の中心になった。
・日清・日露戦争は短期決戦思想
・第一次大戦後の不況と関東大震災の余波で資金が不足、軍の近代化は進まなかった。日本が重工業に転換していくのに必要な原資も不足。
そんな日本に総力戦をやるポテンシャルはなかった。開戦時のアメリカのGDPは日本の12.7倍。
・大正14年の宇垣軍縮でリストラされた将校たちは、中等学校以上の男子校で軍事教練を行なった
・5・15事件や三月事件、十月事件など軍のクーデター計画が「成功しなかった」ことが、永田鉄山や東條たちの世代を刺激した
・陸軍には下克上の風潮があった
・陸士16期以降の世代は戦場を知らない世代。それだけに過度の功名心に支配されていたのかも
・永田鉄山が生きていたら太平洋戦争は起きなかった。東條が出てくることもなかった
・東條は対米開戦直前に首相就任。昭和天皇の意を汲み、避戦の道を探ろうとし、天皇も彼を信頼した。彼が軍のトップの座にあったこと自体が陸軍組織の欠陥。
陸大の教育が間違っていた。他律主義、上から言われたことだけをするよう教育された。前時代のやり方を踏襲するだけ。
・教育機関としてできるのは参謀養成まで。そこから先は本人が自身で学んでいくしかない。リーダーを人工的に作ることはできない。
・戦陣訓:島崎藤村や土井晩翠らも作成に協力
・国柱会:日蓮宗の在家団体。創設者・田中智学は天皇崇拝、侵略戦争の思想的裏づけを図った。宮沢賢治も入信。
・最悪の状況でもユーモアを忘れない
・開戦時の戦争指導計画は「アメリカが戦争を継続するのが厭になるまで粘れ」というもの。英米と戦争をするのに、軍中枢には英米を知る人がいなかった。
・日本軍は失敗した軍人を更迭しなかった。仲間内でかばい合った
・能力より人間関係を優先する人事評価
・「俺が国を背負うのだ」という独りよがりな使命感
・日露戦争の大きすぎる成功体験に固執。合理的だった海軍が精神主義に傾いていく
・戦費を調達するための日本の外債を引き受ける余力があったのはアメリカだけ
・日英同盟の廃止:第一次大戦で英国にとって日本はお役御免。英国にいいようにこき使われた。
・陸軍の日独伊三国同盟に反対した海軍「良識派三羽ガラス」(米内、五十六、井上成美)。昭和天皇も評価していた。
陸軍の狙いは日独でソ連を挟み撃ちすること。海軍は勝ち味の乏しい対英米戦争に引きずり込まれると反対。しかし東南アジアへの進出には反対ではなかった。
・近衛文麿首相が日中和平交渉の道を閉ざした。重大なターニングポイントになった
・海軍はスマートでバランスの良い組織人を求めた。サイレント・ネイビー。命令によく従い、ジェントルマン。活発な議論がなく、肝心なときに機能しない組織。
・海軍は膨大な予算を使いながら米国と戦えないとは言えなかった。嫌なことを言わせようとしたのは近衛や陸軍。避戦を貫くなら悪役になっても海軍が歯を食いしばるべきだった。
・陰のトップだった伏見宮が早期開戦論者だった。従順な嶋田繁太郎を海軍大臣に抜擢し、海軍を開戦に引きずり込んだ
・難局に限って、無難な選択のつもりで無能なリーダーを選んでしまう
・真珠湾攻撃は中途半端だった。追撃戦を徹底的にやるべきだった。貧乏海軍の悲しさで、船を沈めるなと言われていて、リスクが取れなかった。
・海軍は所帯が小さいため、能力主義にして誰かを傷つけたくなかった。みんな仲間。硬直したお役所人事。仲間内の論理を優先。無責任体質。
・単純な命令が出せるのは、本質をつかんでいるから
・建造技術は世界のトップレベルだった。科学的管理方法を徹底的に実践していた。そうした技術が戦後、貢献している
-目次-
第1部 昭和の陸軍 日本型組織の失敗
第2部 昭和の海軍 エリート集団の栄光と失墜
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