読書メモ

・「名将の品格
(火坂 雅志 :著、生活人新書  \660) : 2009.11.08

内容と感想:
 
「国家の品格」など「品格」ばやりなのは「質実剛健な何ものかを、人びとがもとめているから」と著者は「はじめに」で書いている。
 著者はNHK大河ドラマ「天地人」の原作で一躍に有名になったが、戦国時代を舞台にして、 これまでは脇役だった人物を取り上げた多くの本を書いてきた。 秀吉の侍医で参謀の施薬院全宗や、「死の商人」政商・今井宗久、家康の黒幕・金地院崇伝、信長の参謀・沢彦など。
 ドラマの主役の一人・上杉謙信は私利私欲のためでなく「義」のために戦った人だ。 その上杉家も家康に反抗したため移封・減封されたが潰されてもおかしくなかった。上杉が「義の家」であるため生き残った。 家康は「上杉のような家をつぶしてはならぬ」といった。家康にも当時は珍しいそうした「家」を残す価値が分かっていたようだ。
 「あとがき」では直江兼続をこう評価している。 「誇りと栄光をかなぐり捨て、地道で苦しい財政改革を最後まで投げ出さず、逃げずにやり遂げた」 そこに著者は真の為政者の姿を見ている。 ここ数年、日本の首相が短命で、ころころ代わっている。もう一度、「天地人」を見直してはどうかと言いたくなる。

○印象的な言葉
・悩むゆえに必死で書き継いてきた。書くことで突破口を探してきた。
・地味でも「いぶし銀」のような輝き
・「偽」の世こそ「義」が際立つ
・苦しくても、一つずつきっちりといい仕事をしていく
・歴史小説に必要な「独自の視点」
・深く掘る:可能な限り調べる。資料や調査による裏づけ
・戦国期には臨済宗、特に妙心寺派が有力だった。「公案」という禅問答。精神修行よりロジックを重視
・信長と沢彦との関わりの記録は叡山焼き討ち以降、消えている。仲違い?それ以降、信長は暴走していく。 焼き討ちにより、信長の中で「何かがはじけ飛んだ」。
・本能寺で光秀がやらなくても、誰かが同じようなことを起こした
・「信長公記」には沢彦はいっさい登場しない。何か禁忌(タブー)があったのか?
・2007年の「今年の漢字」に「偽」が選ばれた。ほとんどのシステムが破綻寸前、何も信じられない
・誠意や仁愛で臨めば、時間はかかり、その場でははかばかしい効果はあげられないかも知れないが、最終的には大きなものが返ってくる
・謙信の正攻法。当時の常識では異端、変人
・謙信の特徴:義と経済の両立。即座に兵を動かせたのは経済力。経済力が満ち足りていたから「義」を行なえた。 天下を目指さなかった。手を広げるよりも、自国を守り、中身の充実を重視。自分の手が届き、目を配れる範囲を心得ていた。
・大きなガラス玉より、小さなダイヤモンド
・人間の活動には適正な量や数、広さがある。そのバランスが取れている状態が「豊か」。
・義とは人が人であるための心得。義なくば、人はただ欲にまみれ、野の禽獣と変わらない
・仁と愛は同じ意味。民を慈しむ愛しむ、情けの心
・信長から秀吉へのバトンタッチは「同じ政党内の首班交代」、豊臣から徳川へのバトンタッチは「政権交代」。豊臣は中央集権、徳川は地方分権を志向。
・家康に公然と敵対しながら、しぶとく生き残り、江戸時代を乗り切った大名は毛利・島津・上杉。
・上に立つ者は他人の生にも責任を持たねばならぬ
・仁義にもとるような商売をしてはいけない(諭吉)。士魂商才←→強欲資本主義
・戦国期は地方主権の時代。応仁の乱で京都からは公家や文化人が地方へ下り、地方で文化が栄えた。

-目次-
第1章 ペンペン草が森になるまで ―私流「歴史小説」の書き方
第2章 ヘンじゃないか?織田信長 ―「戦国史観」を再考する
第3章 「天下」を目指すべからず ―上杉謙信の「義」の経営
第4章 雪国の中心で愛を叫ぶ ―「仁愛」の武将、直江兼続
第5章 戦場の塵と散るとも ―家康への宣戦布告
第6章 「義」から「仁」へ ―米沢に受け継がれた「愛民」の心
終章 宝は足元にある ―「ふるさと」で見つけた武士道