読書メモ
・「戦国武将からの手紙 ―乱世に生きた男たちの素顔」
(吉本 健二 :著、学研M文庫 \667) : 2009.03.08
内容と感想:
本書では戦国武将の生き様を手紙の文面から描き出そうとしている。
手紙は書き手の肉声や息遣いを伝え、「人となり」を表わし、そこからは人格が滲み出ている、と著者は考える。
本書には18組の個人・親子・兄弟の武将が取り上げられている。
気配り上手な信長や手紙魔の伊達政宗など、彼らの性格が垣間見られる。
手紙は現代語訳され、解説も付いているから読みやすい。
手紙の内容よりも興味深かったのは第七章「細川幽斎」の本能寺の変(6/2未明)に関する記述だ。
細川家の伝記史料「細川家記」には変に関して怪しさ漂う記述がある。光秀謀叛の動機として武田家への内通説を記述している。
また、変の直前、光秀と同時に細川忠興にも中国出陣命令が出ていたにも関わらず、6/3の段階で細川父子は丹後宮津でぐずぐずしていたという。
著者は父子は「謀叛謀議に深く関わっていたからこそ、距離を取ろうと」したのではと考え、「幽斎の同意なしに、光秀が決起するとは思われない」と述べている。
また変の後(6/9日付)、光秀が幽斎へ送ったと伝えられる覚書体裁の書状は偽書ではないかとも見ている。偽書とする説は他の研究者にもあるようだ。
著者はその書状は幽斎本人の手によるものではないかと見ている。宛名がなく、内容も弱々しく不自然だと感じている。
いずれにしろ細川家が自家を不利にしないために色々と取り繕ったことは容易に想像できる。
○印象的な言葉
・文(ふみ):私的な文書
・書状:男性相手、漢字主体
・消息:女性相手、仮名主体
・切紙(きりがみ):日時を記さない折り紙を半分に切った簡略な手紙
・戦略も戦術もえげつないのが信玄。血も涙もない。
・武田義信謀叛事件は背後では信長が武田家の分裂を狙って動いた?
・毛利元就の「遺言状」は死ぬ14年も前に書かれた。「三矢の訓(おしえ)」は後世の創作
・世の中には自分以外に味方とするものはない(元就)
・信長には様々な機会を綿密に検討して実行に移していく力があった
・武田勝頼:武田家最大版図を実現。信玄の死後、あくまで陣代(仮の大将)だった。
長篠合戦大敗後、上杉景勝と同盟。自分と似た境遇にあると同情したか?
・上杉景勝:後継者として謙信からは歓迎されなかった。謙信は叔父と同時に父の仇でもあった。
本能寺の変のおかげで上杉家は命拾いした。
・秀吉の手紙は文面も内容も融通無碍なものが多く、人間味溢れる。謀略を兼ねた虚言を平気で吐くため、
手紙の内容を信用できない。虚実取り混ぜた文言が多すぎる。
・黒田長政の「徳川に天下を取らせたのは我らだ」という自負心
・真田信繁(幸村は後世の俗称)は初め、上杉景勝へ人質として出され、関白秀吉の人質となった。兄・信幸は家康の人質となっていた。
・武士道の本「葉隠」は噂話の宝庫でもある
★ネタ
・桶狭間合戦の背後には信玄がいた?(信玄は義元に逆らえない状況にあった)
・武田家重臣には土屋昌恒、山県昌景など「昌」が付く名前が多いのは?
・キスは南蛮文化?
-目次-
武田信玄 ―修羅と野望の果て
上杉謙信 ―戦いを嫌った「軍神」
毛利元就・隆元 ―説教癖が家運を落とす
織田信長 ―戦国覇王は気配り上手
武田勝頼 ―信玄の軛から逃れられず
上杉景勝 ―義父の衣鉢を継ぐ
細川幽斎 ―「史実」を捏造した教養人
森長可・忠政 ―戦国武将の哀しみ
島津義久・義弘 ―抗戦と妻への恋文
豊臣秀吉 ―おとぼけに隠された冷徹な素顔
前田利家・利長 ―織田部将の誇りと現実
加藤清正 ―「鬼上官」の素顔
徳川家康 ―手紙の使い方も狸爺
徳川秀忠 ―土人形の正体
黒田如水・長政 ―賭博師の過剰な自負心
真田昌幸 ―小大名の処世術
真田信幸・幸村(信繁) ―家と名を残した兄弟
伊達政宗 ―遅れてきた英雄は手紙魔
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