読書メモ

・「昭和史の教訓
(保阪正康 :著、朝日新書 \720) : 2009.09.13

内容と感想:
 
タイトルが指す「昭和」は昭和十年代である。 無論、その後の戦争で国家滅亡の危機にいたる時代であり、その過ちを教訓にすべきとの意図で書かれている。
 第一章では陸軍人事の歪みを指摘。 「人の重用を誤るととんでもないことが起こりうる」というのは、国が軍によって引きずられ、 その軍の戦争指導者も確固たる戦略もビジョンも持たなかったことが「とんでもない」結果を招いたことを意味する。 彼らの無責任ぶりについても書かれている。 日中戦争では「軍事が先行し、政治が追認」したという。 軍事も「どのようにしてこの戦争を終結させるかとの戦略をもっていな」かったというのには呆れる。
 第四章の終わりに書いているように「昭和十年代のこの期はわれわれの国の歴史にとって、誤りであったことを認める勇気」が大切だ。 指導者の無策のツケを背負わされたのは国民だが、暴走を許した国民も一種の共犯である。 常に我々は過ちを犯す危険性をもっていることを自覚し、慎重でなければならない。
 終章では昭和十年代の日本は「四つの枠組みで囲いこまれた時代」だったと書いている。 「どのような強い意志をもっていても、どういう理想を掲げていても、ある四角形の枠のなかに閉じこめられたら、 人は一切の抵抗と自らの信念を吐露することもやめてしまうだろう。口を閉じて時代に流されていくに違いない」というのには 深く考えさせられる。 当時の多くの国民がそうして時代に流されて、悲惨な目にあったことを、現在の我々は愚かと笑うことは出来ない。 当時、自分がその場にいたら同じだったかも知れないのだから。

○印象的な言葉
・昭和初年代は政党政治が自己崩壊。理不尽な抗争。代議士の資質の問題
・戦前の国際的孤立、偏狭な愛国心、独善
・政治や軍事が戦争の方向に走り出したとき、人心はそれを予知するかのように死に敏感になった。昭和8、9年に青年の自殺が増えた
・自省史観
・2・26事件に昭和十年代の日本の矛盾が凝縮
・安岡正篤:政治指導者へ中国古典を日本風に解したナショナリズムに基づく教育を行なった
・昭和5年からどの地方でも農村は壊滅状態に入っていく。農業政策の失敗、凶作
・1930年代の日本の農村には江戸時代以来の村落共同社会が解体しないで存続していた
・衣食住の材料を自分の手で作らない、土の生産から離れたという心細さ(柳田国男)
・議会政治を解体していく大政翼賛会。各政党は率先して解散して吸収された。強力な一大政党の誕生を促す動き。
・日清戦争での清国からの賠償金は同時の国家財政の1.5倍
・日中戦争時の軍事支出額は国庫歳出の4割、太平洋戦争時は6割を超えた。財源は増税で賄った。国民を圧迫
・国家総動員法:議会承認なしで政府に国内の総力を与える権限を持たせた。政府が立法府の権限を奪った。政府を自由にコントロールした陸軍。 議会は既に死んだ状態。
・戦争が簡単に、限られた指導者の感情のままに決められていた
・多くの人々が矛盾に悩み、いつかこのような日々から解放されることを願っていた
・多くの人びとが思想や理念、信条を放棄、あるいは抑えたまま国家の枠組みに従った

-目次-
序章 昭和史を見つめる目
第1章 昭和十年代を象徴する二・二六事件
第2章 混迷する農本主義者たちの像
第3章 主観主義への埋没という時代
第4章 教訓とすべきことは何か
第5章 問われている語り継ぐべき姿勢
終章 歴史への謙虚さとは何か