読書メモ
・「ベネディクト・アンダーソン グローバリゼーションを語る」
(梅森 直之 :編著、光文社新書 \700) : 2009.01.26
内容と感想:
本書は第1部で2005年にアンダーソン教授が早稲田大学で行なった二つの講義を収録し、
第2部で編者がその講義を解説する。
私はアンダーソンの名は本書で初めて知ったのだが、最初に想像していた内容とのギャップを感じながらも
新たな知見を得られたことは良かった。
近年グローバリゼーションが進むことでかえってナショナリズムが高揚するという現象が目立つ。
地場産業が海外に流出し失業が増えたり、正規雇用が派遣労働に置き換わったり、外国人が増えて治安が悪化している。
しかし、ナショナリズムはグローバリゼーションの前からあったのではなく、
実はグローバリズムと常にともにあったことが本書を読むと分かる。
本書を読む前は、近年の冷戦終結による自由貿易圏の拡大と、インターネットなどの通信技術や運輸の発展などがもたらした
グローバル化をテーマにしたものだと思い込んでいた。
実際には更にさかのぼった19世紀末の電信に始まる通信と輸送の革命的発展の時期がグローバリズムのはじまりとアンダーソンは考えている。
その初期のグローバリズムは今の経済が主となるものではなく、左翼のようなイデオロギーが主であった。
現代と共通するのは他国を排斥する保護主義的なナショナリズムではなく、国境を超えて同じ弱い立場にある者同士がつながり行動をともにする点だ。
であるからネーション(nation)を語源とするナショナリズムとの違和感をどうしても感じてしまう。
アンダーソンはナショナリズムを研究した「想像の共同体」を著している(1983年)。
その「想像の共同体」とは「国民」のことを指す。例えば我々は日本国民というイメージを作り上げて、そこに帰属意識を持ち、自らの存在を確認しているのだ。
その本に対して彼の専門の政治学からの批判はほとんどなかったのに、人類学・歴史学・文芸批評の分野から批評されたそうだ。
それはその研究において政治や経済ばかりでなく文学にも注目し、小説が重要であると考えていたことで説明がつく。
時には命すら捧げることを厭わないナショナリズムを理解するには科学よりも深いレベル、歴史研究よりも深い、人類学にまで降りていかねばならないと
彼は考えたそうだ。解説書でもある本書でもその説明は私にとっては充分に難解であった。
○印象的な言葉
・(自分が)「間違ってました」と言ったり書いたりしないのが学者の悪癖。間違うことは決して悪いことではない。
・ジョージ・ソロスは東欧や発展途上国や新興国の民主化を支援する様々なプログラムを積極的に展開
・メーデー:もともとシカゴで処刑された移民のアナーキストたちを記念するものだった
・毛沢東も政治的なキャリアをアナーキストとしてスタートさせた
・電信システムの登場により瞬時のコミュニケーションが実現され、左翼における世界的で民主的な政治活動を産み、国境を超えた実効的な同盟の形成を可能にした
・リバータリアン、リバタリアニズム:個人の自由が最大限の尊重を受けるべきことを主張する流派。近年は経済的自由を尊重する市場原理主義の意味で用いられる。
・人はアイデンティティという型にはめられることで社会における「適切な」振る舞いを無意識に実践することができる。アイデンティティが我々の行動を支配している制御装置。
・アイデンティティのゆらぎによってもたらされる未決定の領域、それが人間の「自由」を可能とする条件
・自分で決めることができる「自由」。「不安」と引き換えに「制御装置」からの「自由」を獲得する
・日本語を使うことで日本人になる
・既にあるものに頼らなければ自分を確立できないという怯え、新たに文化や伝統を築いていこうとする希望
・歴史家には自分が書いた歴史が有する政治的効果に自覚的であることが求められる
・他者の言葉を学ぶことは他者を理解することの重要な第一歩
-目次-
第1部 ベネディクト・アンダーソン講義録
第1章 『想像の共同体』を振り返る
第2章 アジアの初期ナショナリズムのグローバルな基盤)
第2部 アンダーソン事始
一、アンダーソン、アンダーソンについて語る
二、『想像の共同体』再説
三、グローバリズムの思想史にむけて
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