読書メモ
・「本能寺の変」
(津本 陽:著、講談社文庫 \495) : 2008.02.02
内容と感想:
「下天は夢か」の連載が終わった平成元年から12年後に、「小説現代」に連載された小説である。
「下天は・・」は信長の一生を描いたものだったと記憶しているが、本作はタイトルにあるように時代は本能寺の変の前後に
絞られており、光秀謀叛の動機と彼の破滅の原因に迫っている。
「後記」で著者は連載当時(2001年)の日本、リストラされる中年の人々に光秀の姿を重ね合わせている。
働き盛りを過ぎ、当時としては老人の年頃になり、突然、毛利攻めに駆り出され、そこに自身の破滅の危険を見た光秀。
「自分を危地へ追いやる信長」への反発。
「血の臭いに付きまとわれるのに飽き果てていたのだろう」、それが謀叛の動機だったと著者は書いている。
信長の権力拡大とともに彼の心理も変わっていったように、光秀も年とともに変わっていたことは予想される。
信長の考えとのズレも大きくなっていたのではないか?ということは容易に想像される。
晩年は信長もそうとうイカれてきてたと思うが、光秀も破綻寸前だったのではないか?妻も亡くしていたという。
いろいろなものが積み重なっていたのだろう。新しい日本を創るという志と同時に、常にギリギリで、緊張感に充ちた日々。
そして「魔が差した」というには、あまりに素晴らしく絶好のチャンスが彼の目の前にあった。
結果的には失敗だったが、冷静にそれをチャンスと見極め、実行に移したのを考えれば、単に発作的な犯行とも言い切れない。
本書の立場では光秀単独犯行説といったところか?黒幕がいたとしても義昭くらいだろう、と著者は見ている。
ところで最初の章では、
イエズス会の巡察使オルガンチーノが記録に「召使は嫌疑をかけられると、先に主人を殺す」と書いていたことを取り上げている。
光秀謀叛の真相は案外、そこにあるのかも知れない。それと似たパターンは荒木村重の前例もある。
また、次の章では「猿めが悪謀をいたさねば、信長を殺すまでのことも考えつかなんだ」と光秀に言わせている。
だったら秀吉を倒せばよかったのに、と思ったが、本当に光秀がそう考えていたかは分からない。
○印象的な言葉
・武田家滅亡後に家康が穴山梅雪らと信長を訪ねたとき、最初にもてなしたのは丹羽長秀、その後、接待役を光秀に交替、更に長谷川秀一らに交替
・四国の長宗我部攻めの際、信長自身も淡路島まで出陣するつもりだったが、中国で毛利輝元が出陣してくると知り、毛利との決戦を優先した
・一時の怒りにまかせ、蹴飛ばすほどの家来は、よほど気を許した相手。本当に嫌悪し憎悪する家来なら、破滅させる。本心を相手に覚られるような真似はしない。
覚られたら先に叛逆されるから。
・戦国大名は滅多に感情に身を任せることがなく、計算しつくした行動をとる
・信長は大名たちの間では「梢を渡る猿猴」、梢を飛び移る猿のように態度を豹変させる男と言われていた。※信長こそ「さる」だった
・京都の喉首をおさえる(近江)坂本城と(丹波)亀山城を与えられたのは、信長の光秀への深い信頼の現われ
・津田信澄(信長の弟・信行の遺子)は器量を認められ「一段の逸物」と称されていた
・本願寺という難敵の征服の目処がついた頃から諸臣への猜疑心が制御を失い、強まっていった
・信長の近習らは奉書、副状も発給する有力な直臣。時には賄賂も
・秀吉が何度も信長から処罰されそうな危機に至りながら事なきを得たのは、直臣らのとりなしがあったから
・信長と秀吉は信頼の絆で結ばれている。情愛は抱いていないが、明晰な判断力を認め合っている
・光秀は秀吉のように近習らへ賄賂を贈って、信長の御前をとりつくろうようなことはしなかった。金銀で人を籠絡するような考えはなかった。
我が能力に自信があり、重用される自負心を抱いていた
・当時のイギリスの人口は350万人
・織田政権の基盤が固まると光秀の存在価値は次第に薄れてきた。光秀の官僚組織に頼る必要がなくなっていた
・家康の地位はかつての盟友から外様大名に転落していた。天正二年以降、家康に宛てた書状は部下に対する書式に変化
・長宗我部の処置について、光秀から信長へ意見を言える立場にはない。他家との約定の取り消しは戦国の常。相手も驚かない。
・秀吉は目立った働きのない光秀を蹴落とそうと機をうかがっていた
・ヨーロッパ人が渡来するまで日本人は金が銀よりはるかに高価なことを知らなかった
・荒木村重の叛逆の理由は近習・長谷川秀一の無礼に堪えかねたため?
・武田家征伐後、彗星が観測されたが、当時の日本人はこうしたことの吉凶占いは行われていなかった
・本能寺は堺から鉄砲を仕入れる取引で、仲介者の役割を果たしていた。本堂の地下は石造りの煙硝蔵だった
・近畿管領として光秀の徴税官僚としての俊敏な施策は信長に大きな富をもたらした
・中国攻めの大将は表向きは信忠だが、実権は秀吉と軍監・堀秀政が握る。光秀勢が支援に向かうことになれば、損耗の多い強敵に振り向けられる可能性があった
・光秀は部下をかわいがる大将。なるべく死傷者を出すまいとしてきた。武将として穏和に過ぎる。事にのぞんで狂い立つ野性がない。
・藤孝は光秀の性格を知り抜いていた。光秀には我が身をかばう傾きがある。織田政権の継承者として器量がないと見ていた
・光秀は妻・たねを亡くしていた
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