読書メモ

・「ユビキタス・コンピュータ革命 - 次世代社会の世界標準
(坂村健:著、角川oneテーマ21 \667) : 2004.11.13

内容と感想:
 
坂村先生と言えば「TRON」だったが、この単語は世間一般には知られていないと思う。しかし最近は様々なメディアで「ユビキタス」の文字を見かけるようになっていて、その仕掛け人として坂村さんの方が目立ってきていると思う。しかしこれもTRONプロジェクトの延長線上にあり、全く無関係ではない。「ユビキタス」(ubiquitous: ラテン語から来ているらしい)とは「遍在」という意味で、「どこにでもある」ということ(発音は同じだが、”偏在”と書くと全く逆の意味になってしまうから始末が悪い)。要するにドラえもんの「どこでもドア」のコンピュータ版(?)である。どこにいてもコンピュータシステムの支援が受けられる、といったイメージか。ユビキタス・コンピューティング社会の未来像としては、その存在は使用者には意識されず、空気のような、目に見えぬ保護者によって常に密かに支援されている、と私は理解する。
 最近メディアに頻繁に取り上げられる技術にICタグがある。ごく小さなチップが様々な製品に埋め込むことによって、流通の効率化やトレーサビリティ等に活かせるということで期待されている。ICタグの場合はメモリを非接触で読み書きするくらいで、高度な機能はない。大量生産されればコストもかなり下がるだろう。ユビキタス・コンピューティングは、このICタグがごく微小のコンピュータに発展したものと考えればよい。一つ一つがコンピュータであるから、ICタグなどよりはかなり高度なことが出来る。またコンピュータ同士がワイヤレス・ネットワークで接続され、協調して動作する。
 課題はセキュリティだ。どこにでもコンピュータがあるというのは、監視カメラがどこに居ても我々を見ているのと同じであり、プライバシーにも関わる。
 また、坂村さんは仕様をオープンにしようと主張する。この立場はTRONの時から変わらない。オープンソースへの理解も深まりつつあるから、これはそれほど問題にはならないだろう。
 ユビキタス・コンピューティング社会とは言うが少し「ユビキタス」が強調されすぎているのではないか。非現実的とは言わないが、少し夢物語過ぎないか?どこにでもあるということは、予めあちらこちらに設置しなければいけないということになる。どこにいてもコンピュータの支援を受けられることを保証できるのか?誰が?都市部なら実現度は高いかも知れないが、僻地や自然の中では期待できそうもない。技術屋の一人としては鼻から否定して、夢の無いことを言うつもりはないが。技術としては面白いし、興味は持てる。しかし、どこにでもコンピュータがある社会・・。しかもそれらが無線で常に通信している。微弱とはいえ、どこにいても常に電波のシャワーを浴びている生活。今はケータイ全盛の世の中だから、既に電磁波を浴び続けているのだが、きっと将来はそれが半端じゃなくなるのだ。あまり気持ちよい話しではない・・。

-目次-
第一章 ユビキタス・コンピューティングを知るために
第二章 ユビキタス・コンピューティング社会とセキュリティ
第三章 オープン・アーキテクチャが拓く未来のネットワーク環境
第四章 未来のユビキタス・コンピューティング社会に向けて

更新日: 04/11/21