読書メモ

・「名字と日本人 〜先祖からのメッセージ
(武光誠:著、文春新書 \660) : 2004.06.06

内容と感想:
 
私は様々なDNAを受け継いで生まれてきたはずだが、生まれたときに名字は決まっていた。姓名のうち”名”のほうは両親や祖母など名付け親が決めるのが普通だろう。では姓に当たる名字はいつ頃から使われ始めたものだろうか?自分の名字は何か謂れ(由緒)のあるものなのか?いったい自分の遠い祖先は何をしていたのか、武士だったか百姓だったか?誰もが興味あることとは思う。本書は日本人の名字の歴史を解き明かし、日本人の名字の特殊性を指摘する。
 自分の名字が遠い先祖から代々、長く受け継がれてきたものか、由緒正しいものなのかは、よく分からないものだと思っていた。明治の戸籍法でそれまで武士以外は名字を持たなかったと教わってきたから、ご先祖様が自分勝手、思い思いに適当に名字を付けたものが多いと信じていた。実際、本書でもこういう考えをもつ人が多いことは指摘されているが、よく読むと、その考えが正しくなかったことが分かる。
 日本には29万もの名字があるそうだ。これは世界的に見ても異常な多さだそうだ。しかしそれが戸籍法の施行により、皆が勝手に名字を作った結果とするのは短絡的らしい。江戸時代の苗字・帯刀の制限で一部の上級階級しか名字を持たなかったというのも誤りらしい。江戸以前から農民でも名字を持つものは多かったようで、その付け方も様々だったようだ。本書によると日本で名字が普及するようになったのは武士の出現によるものが大きいようだ。

-目次-
第一章 名字の不思議
第二章 武士団と名字の形成
第三章 名字の全国的普及
第四章 江戸幕府の苗字・帯刀の制限
第五章 世界の姓氏と明治の戸籍法
第六章 先祖探しと名字

 結論から言えば、著者が言うように、名字は家の由来を表すとも言えるし、表さないとも言えるという曖昧なもの。よほどの名家でない限り、古い時代までの正しい系図を伝えている家はないだろう。藤原氏の子孫を名乗っても、証明できる可能性は低い。正しいかも知れないし、大間違いかも知れない。系図自体も昔から適当に作りかえられたものも多く全く信用できない。それでも自分のルーツを探ることは興味深い。第六章では先祖探しのための方法にも触れている。

更新日: 04/06/15