読書メモ

・「子どもたちはなぜキレるのか
(齋藤孝:著、ちくま新書 \680) : 2004.06.20

内容と感想:
 教育が専門の著者であるから、その著作がどうしても教育に関連したものになり勝ちなのは仕方がない。思考回路が何事も教育と結びつけて考えるようになっているから。本書は1999年に出たものだが、狭意の子供の学問的な教育論とは違い、より倫理的、道徳的な教育に今回のテーマがある。「キレる」や「ムカツク」という言葉は定着し、日常的に使われるようになった。私も無意識に口にしていることもある。近年、「キレた」子供たちの犯罪が脅威的に増え、社会問題化している。そして、つい最近では小学校内での生徒同士(しかも女子児童)の殺人事件が起きてしまっている。今回の事件がキレた結果に起きた犯行かはまだ不明だが、善悪の判断のみならず生命の尊厳への理解が足りないとしかいいようがない。心の押さえが利かないのだ。
 私には子供がいないし、子供との付き合いもないから分からないが、今どきの子供は私の子供の頃とはどれくらい違っているのだろう。私的にはそんなに急激に変わるものではないだろうという半分期待があるのだが。しかし、バブル時代を経て、10年が過ぎた今、日本は戦後の大きな転換点にある。皆うすうす感じているだろう。著者も同感のようで次のように指摘する。「ごまかしてきたものが、ついにごまかしきれなくなった」と。子供の問題も日本社会の数多くの問題の一つであるが、子供たちも成長し、いずれは社会に出て、日本を担っていくのだから最も重要と言っていい。
 子どもたちが「キレる」ことの根本的な原因が、戦後教育にあったと言い切る。あとがきでも「唐突な感じを与えたかもしれない」と断っているが、「身体文化の継承の失敗」を問題として大きく掲げている。身体論は著者のテーマの一つであるが、戦前までの「型」を重視した教育に再び光を当てている。彼自信も「型の教育力」が衰退した時代に生まれ育った世代。”「型」のもつ恐るべき教育力”を見直している。キーワードは<腰肚文化>である。腰や肚が据わっていないのが「キレる」基なのだ。据わっていないのは子供たちの親も同様で丁度、我々のような戦後世代の親たちだ。親が<腰肚文化>を継承しないで育ってきたのだから、その子供にも継承できるわけがない。著者は腰肚文化の復活こそが、子供たちの明るい未来、ひいては日本人のアイデンティティの危機への処方箋になると確信しているに違いない。

-目次-
第一章 「キレる」とは何か
第二章 「キレる」の裏に「ムカツク」がある
第三章 「がんばる」と「楽しむ」のあいだ
第四章 エネルギーを出し切って技に替える
第五章 戦後教育が見すごしたこと
第六章 <腰肚文化>を再生する

更新日: 04/06/20