読書メモ

・「謎とき本能寺の変
(藤田達生:著、講談社現代新書 \700) : 2004.05.21

内容と感想:
 
「本能寺の変」は歴史好きにはいつも興味深いテーマである。信長を本能寺で討ったのは光秀だが、真の首謀者は他にいるのでは?という黒幕説が多く存在することが様々な議論を呼んで、このテーマをより魅力的にしているのであろう。では本書の立場は?ということになるのだが、目次を見て分かるように足利幕府15代将軍・義昭の存在を重く見ている。そもそも初めは信長に擁護されて将軍位に就けた義昭であったが、その後2人は決別し、義昭は毛利家を頼る。しかし備後・鞆の浦に移った義昭は信長との対決姿勢を崩すことなく、反信長連合の主であり続けた。信長包囲網の諸大名に御内書を発し続け、将軍位に執着した。その義昭が信長政権内で徐々に立場が悪くなりつつあった光秀に接近し、謀反をそそのかした。というのが概略。
 興味深いのは秀吉の動き。真の首謀者は秀吉かとも考えてしまうほど。数々の手柄を立て、信長の家臣で最も重用され勢いもあった彼。重臣の一人である光秀だが相対的に地位も低下し、遠国への国替えや用無しとなれば追放さえある。そんな窮地へ追いやった原因の一つは秀吉の立身出世だろう。しかも備中高松城で毛利と対峙中の秀吉は光秀の謀反の動きを予想していたかのように、敏速な対応をしている。有名な「中国大返し」である。よく知られる信長の死を毛利方へ知らせる光秀から使者が秀吉の陣に紛れ込んで、本能寺の変を知ったという話しについて、著者はそんなことはありえないだろうと切り捨てる。秀吉独自の情報収集能力の結果であると言う。謀反を予想していたというのも、その情報力によって義昭や朝廷など反信長勢力の人脈なども耳に入っていたからかも知れない。山崎の戦いで光秀を討った秀吉のその動きも速い。あっという間に信長の後継者の一番手に名乗りを上げ、関白位に就く。
 その秀吉についてエピローグで著者はこう書いている。「信長の政策を積極的に受け継いだが、(略)朝廷をはじめとする既成権威に手をふれようとはしなかった。彼は、それを徹底的に利用することで、短期間のうちに政権を握った」と。つまり名を捨て実を取ったのだ。長い戦国の世を一日も早く終わらせたいという目標は達したが、信長が目指した国家構想は実現されることはなかった。それは真に秀吉には理解されなかったのかも知れないし、または信長の意志をそのまま継承したとしても彼と全く同じ運命を辿ることを恐れたとも考えられる。より現実的な判断だったと言える。これは秀吉のあとを継いだ家康にも言えることだ。このとき中世は終わったと言われるが、信長の構想が実現していたら、江戸時代以降の”近世”などと呼ばれる不思議な時代を経ることなく、一気に近代化へ向かっていたのかも知れない。そういう意味で中世は終わっていなかったとも言える。

-目次-
プロローグ
第一章 明智光秀が背いた原因は何か?
第二章 画策する足利義昭
第三章 「秀吉神話」を解く
エピローグ

 結局、信長が死んでも足利幕府の復興を夢見た義昭は将軍として京に戻ることはできなかった。頼りの光秀は死に、毛利も動かず、秀吉に対抗しようとして柴田勝家に接近したが、その勝家も秀吉に討たれた。秀吉が関白となると、さすがの義昭も諦めたのか出家して、京に戻っている。

更新日: 04/05/24