読書メモ

・「ラインホルト・メスナー自伝 〜 自由なる魂を求めて
(原題「Free Sprit : a climber's life」 Reinhold Messner・著、松浦雅之・訳、 \2,500、TBSブリタニカ) : 2001.09.25

内容と感想:
 
登山界では”超人”と言われる、”超”登山家ラインホルト・メスナーの自伝である。その超人的な実績は挙げるときりがないくらいである。記録づくしである。常に危険と背中合わせの先鋭的登山。多くの有名な登山家がそういった山々で命を落としているが、彼はそれらの危険をくぐり抜け、今なお健在である。メスナーが超人といわれる所以であろう。しかし彼は不老不死でも、神でもない。単に運がよかったのかも知れない。が、そんなに良運なんて続くものだろうか?この本を読もうと思ったのも、メスナーとは一体、なにものなのだ?ということが知りたかったからであり、また彼は山で何を考えているのだろうかという興味もあった。これまでの彼の印象は、以前にあるTV番組でちらっと見た、登山家というよりも宗教家、哲学者といった感じで、山に挑むうちに仏教でいう悟りのような境地に至ったのではないかと思っていた。
 本書では彼の幼少期(1949年〜)から、1990年までの足跡が年をおって記されている。イタリア北部ドロミティの山々で登山に目覚めたラインホルト少年は兄弟と共に山に通い、技を磨いていった。成人しても登山が生活の中心であった。そして活躍の舞台は世界各地へ広がり、数々の高峰を踏破していく。
 彼の登山人生は、輝かしい記録ばかりだったのか?否、彼だって人間だ。失敗も多く経験している。悪趣味かも知れないが、彼の登山人生の陰の部分を挙げてみると、

・ナンガ・パルパット下山中に弟ギュンターを失う。自らも左足指4本、右足指2本を失う(1970年)。
・マナスルに単独登頂後、下山中に2人の仲間が行方不明となり、やむなく置き去りに(1972年)。
・1977年にはダウラギリ登頂を諦め、退却。最初の妻ウシーとの別れ。
・チベット遠征中だった留守に、弟ジークフリートが落雷で死亡(1985年)。

 体に障害を負っても、肉親や仲間を山で失っても、彼は登り続けた。何がそれほど彼を山に向かわせたのか?人間の欲には切りがないとはいえ、欲と言い切るには余りにも過酷な地に、彼は挑み続けた。やはり登るたびに何物にも換えられない新たな体験が得られるのだろう。
 そうした彼も、山への想いに次第に変化が現れるようになる。
「8,000m峰の世界を知り尽くしたように感じ始める。新たな体験を得られなくなってきた。」と彼は言っている。
 1981年には2度目の結婚、ニーナとの間に娘レイラをもうけている。
 1986年からは南チロルで農場暮らしを始め、有機農法を試みている。「登山家であらんとする努力をやめてから、平穏が訪れた」とも言っている。しかし完全に冒険の日々から足を洗ったわけではなく、1989年には南極大陸徒歩縦断を行っている。自然と付き合うスタンスが変わっただけである。

 私は山歩きはするが、ロッククライミングはやらない。高所恐怖症では垂直な岩壁にいくらの時間もしがみついてなんかいられない。本書にはメスナーのクライミングの描写が数多く出てくるが、私には想像もできないくらいの高所で様々な障害を克服し、いとも簡単に彼は登っていく。だから本当の彼の凄さが実感できない。
 彼の超人たる所以は、やはり危険な中に置かれても本当の命の危険を正しく認識し、退却する勇気・決断力をもっていたことだろう。

 計算が正しければ彼は今年、56才。現在はどういった日々を送っているのだろうか?

更新日: 01/09/26