読書メモ  

・「禅の本 〜無と空の境地に遊ぶ悟りの世界」(\1,000、学習研究社)


はじめに:
 写真や絵を多用して、禅の世界をちょっとだけ感じることが出来るムック本。
 構成は、

1章 禅の発想
2章 禅僧列伝
3章 禅の歴史と思想
4章 禅の実践行法
5章 禅を科学する!
6章 禅と西洋文明
その他
・雲水の日々
・禅宗寺院・禅道場ガイド
・禅問答の世界

内容と感想:
 
なぜ禅なのか?禅宗は最も宗教的で哲学的でシンプルで、清々しいイメージだ。この世の中、如何わしい宗教が多すぎると思いません?これが日本人を無信仰にしている原因の一つでもあると思うのだが(葬式のときしか坊さんとの接点がないのも原因だろう)。近年、オウムや足裏診断や、定説やら、次から次へと新興宗教も登場している。それだけ、経済大国ニッポンには迷える子羊たちが溢れているのかも知れない。しかも、いとも簡単に怪しげな狼に捕らわれてしまうほど弱っている。経済成長を掲げて突っ走ってきて、気が付くと何も残っていなかったのか、その流れに付いて行けなくて脱落した者か?兎に角、高度成長やバブル崩壊のツケが回ってきたのかも知れない(教育にも一因があるだろう)。
 さて、本書は坐禅を通して悟りへ至るという禅宗という、宗教というよりむしろ哲学世界を平易に紹介する入門書である。
 平易とはいってもこれを読んだだけで悟りを得られるはずもない。
 数多くの高名な禅師が登場するが、彼らが大悟する(悟りを得る)きっかけは様々である。曹洞宗開祖・道元の場合は、師匠である如浄が坐禅中に居眠りする僧を一喝する声で大悟したという。”大悟する”ということがどういうことなのか?大悟すると、それ以前の自分とどう変わるのか?大悟すれば楽に生きていけるのだろうか?まったく理解できない。
 今更、雲水の厳しい修行には取り組めそうもないが、日常に追われながらでも、少しくらいは前進できるよう、できるだけ努力したいのだが。
 ところで山歩きを始めるようになって、最近ふと感じたのだが、ただひたすらに山頂を目指して歩くことは、禅の世界でいう”只管打坐”に通じるものがあるのではないかと。苦しい山行で何らかのヒントが得られれば儲けものだ。

更新日: 00/09/09