読書メモ  

・岩波文庫「夜叉ヶ池・天守物語」(泉鏡花・著 \360、岩波書店)


きっかけ:
 戯曲。先日TVで見た玉三郎の「天守物語」で、その名演や演出もあって原作が読みたくなった。鏡花の名前だけは聞いたことがあったが、これまで彼の作品を読んだことはなかった。本屋で探したところ、文庫本ではこの「岩波」版と「ちくま文芸文庫」版があった。ちくま版のほうは「泉鏡花全集」の一巻としてあったが(岩波版のこれより収録作品数が多く、分厚い)、薄くて、ルビもしっかり振られていて、渋澤龍彦の解説があるこちらを選択。

内容:
・「夜叉ヶ池」:舞台は現代、盛夏。越前国大野郡鹿見(しかみ)村・琴弾谷(ことひきだに)

 三国嶽(みくにだけ)の麓、今庄駅(北陸本線)から5里の地に龍が棲むという夜叉ヶ池がある。里に住む萩原晃と妻・百合のもとに晃の親友で文学士の山沢学円が訪れる。晃は2年前に東京からこの地を訪れたとき、目の前で鐘楼守の老人が急死したため、彼の意志を継いでその地に留まり、昼夜に3回ずつ鐘を撞くことにした。その鐘には謂れがあった。その昔、水害に苦しむ住民のために泰澄大師(私でも知っているくらいだから、北陸地方では知られた徳のある方だったのだろう)が、災いの素であった龍神を夜叉ヶ池に封じ込めた。龍神が池から出てこないように鐘を鳴らすという役目が代々受け継がれていたのだ。夜叉ヶ池に棲むという龍神の正体は白雪姫という(何処かで聞いたような)池の主・精霊のようだ。池には彼女の他に鯉や蟹の精などもおり、人間界とは異なる世界が。そこに白山・剣ヶ峰、千蛇ヶ池の公達(男の精らしい)からの使者として鯰が文を持ってやってくる。彼女は千蛇ヶ池の公達に会いたくなるが、泰澄との約束を破って池を出ると、池の水が溢れ出し、里を湖に沈めることになってしまうと、回りの腰元たちはそれを止める。
 一方、里では晃が学円を池に案内するといって百合を残して家を出る。その頃、里では日照り続きで水不足で住民は苦しんでいた。思いつめた里の人たちは、雨乞いのため池に犠牲(生け贄)を差し出さんと、晃の家に押しかけた。百合に白羽の矢が立ったのだ。縛られ牛に乗せられ、まさに池に連れていかれそうになった時、晃と学円が戻り、村人たちと争いになる。百合を彼らから奪い返すものの、晃ら3人は鐘楼台に追いつめられてしまう。そうする内に百合は思い詰めて自ら命を絶ってしまう。鐘楼を守り続けた晃は村人にも里を去れと言われ、妻も失って、もう鐘を撞くまいと決心。撞木を下げる綱を切る。
 これを見ていた夜叉ヶ池の白雪姫ら一党は大いに怒り(想像だが)、辺りには急に真っ暗な雲が現れ、雷鳴が轟く。晃も手にした鎌で自らの咽喉を断つ。突然の大洪水(のようだ)。白雪の腰元たち(とんでもない妖怪たちらしい)は村人を皆殺しにし、そして里は水に呑み込まれた。

・「天守物語」
 ...あらすじは玉三郎版「天守物語」で。

感想:
「夜叉ヶ池」:玉三郎は既にこの作品の白雪姫の役を何度か演じているらしい。いったいどんなお姫様なのだろうか?戯曲では細部までは描写が及ばないから、そこは想像を膨らますしかない。天守物語を見た後なのでだいたいは想像できそうだが、池での姫と取り巻き達のやり取りは舞台の上でも、きっと摩訶不思議な世界なのだろう。
 夜叉ヶ池の名は故郷・福井に実在するのかどうかは定かではないが、田舎にいた頃に(随分前のはずだ)、玉三郎効果でその名を知った。その頃は日本昔話や妖怪伝説のような”お話”だろうくらいにしか思っていなかった。
 ところで、原作は現代が舞台であったが(といってもこの作品は1913年、大正2年に書かれている)、玉三郎版の舞台ではやはり歌舞伎様式でやったのだろうか?

・「天守物語」
 事前の知識なしでTVで舞台を見たときは、物語の設定が掴み難く、首を捻ることも多々あった。が、原作を読んでそれらの謎も解けた。天守夫人・富姫はこの世の人ではなかったのだ。しかも、姫の腰元たちの面々も。生首を皆が美味そうだと言ったのも納得できた。また、亀姫が遥か猪苗代から、しかも空からやってきたのも。
 どうやら、富姫が雨乞いに行って来たたという夜叉ヶ池の”お雪様”とは「夜叉ヶ池」の白雪姫だったらしい。時代は違うが、”お雪様”はこの頃はまだ池で大人しくしていたらしい。

更新日: 00/07/23