読書メモ  

・「みんな山が大好きだった」(山際淳司・著、 \629、中央公論新社)


きっかけ:
 
「長谷川恒男 虚空の登攀者」(佐瀬稔・著)と同時に買い求めた一冊。

内容と感想:
 
文庫化される前のタイトルは「山男たちの死に方 雪煙の彼方に何があるか」と、なんとも恐ろしげなものであった。元のタイトルのままであったら、こうやって手に取ることはなかったかも知れない。私の山際淳司氏のイメージとはちょっと違うかなと思ったが、読み終わってから知ったことなので騙されたことになるか。実際、内容は多くの山男の”死に方”には違いなかった。
 私は本当の山の恐ろしさを自分の身に直接体験することは、幸か不幸か未だにない。最近読んだ本の影響で尖鋭的アルピニストたちの最後が山中での死であることが多いことを知るようになり、恐いもの見たさではないが、いったいこれは何なんだろうと興味を持つようになる。

 加藤保男、森田勝、長谷川恒男の名は最近別の本で知ったが、彼らのこともしっかり書かれている。皆、山で亡くなっている。状況はそれぞれ違うが、共通して言えるのは、非常に極限状態での登山中の死である。勿論死ぬと思って危険な所へ行く奴はいない。しかし、彼らが向うところは一歩間違えれば死ぬかも知れない場所である。トップ・クライマーとして的確な判断で行動したが、(言葉は悪いが)運悪く命を失った。
 ”登山”にも色々あると思うが、彼らトップ・アルピニストが挑むのは”究極のゲーム”。まさに自分の命を賭けたゲーム。TVゲームみたいな仮想現実なんかじゃない。本物だ。リスタートもないし、八百長もない。手を抜いたら即、死が待っている。勿論、八百長なんか出来るわけがない。彼らがそれを許すわけがない。こんなゲームが他にあるだろうか?F1レース、K-1など一歩間違えれば死もありうる競技もあるのはある。が、ルールがあり、安全規定もある。誰も、観客席やTVの前で死の瞬間を見るようなことはないと思っている。そんな死人が出るようなイベントを喜んで見に行く者がいるだろうか?
アルピニストは自然に自分に対して生真面目にならざるを得ないと著者はいう。困難な山を攻略するために、日々トレーニングを積み、自らに節制を課す。ストイックなほどに。

 山男で思い出したがこんな歌があった。「娘さんよく聞ーけよ。山男にゃ惚ーれーるなよ〜」。そう、山男には惚れてはいけない。両親よりも早く逝ってしまった親不孝の山男たちが何人いたことか。この本で初めて知ったのだが、百名山の一つでもある谷川岳では500人を超える人が命を落としているという。

 私は尖鋭的アルピニストとは月とスッポンの”甘ちゅあ”だが山好きの一人として、本に書かれている彼らの言動と自分を重ね合わせて、つい考えてしまう。自分は彼らのような生き方が出来るかと問う。
 自己実現の方法はいくらでもあるのかも知れない。しかし、どういう形であれ、それが見付けられただけで彼らが羨ましくなる。どれが自分らしい生き方かを見付けられずに、思い悩む人間が世界にどれだけいるか知らないが、(私を含め)彼らのような生き方が出来ない人間は一体どうすればいいのか?

 兎に角、これだけ”死”の話が全編に渡って記されると、逃げ出したくなる。次はもう少し違ったのを読むことにしよう。

更新日: 00/08/16