読書メモ  

・「長谷川恒男 虚空の登攀者」(佐瀬稔・著、 \838、中央公論社)


きっかけ:
 夢枕獏の「神々の山嶺」を読んだ後、無性に登山家の話が読みたくなって買い求めた一冊。恥ずかしながら、長谷川恒男の名を知ったのは、「神々の山嶺」の最後に参考文献として挙げられていた本の著者としてクレジットされていたのが最初。「神々の山嶺」では”長谷常雄”という人物が登場するが、そのモデルが長谷川恒男であろうことは、彼の名を知る人にはすぐに、想像できることであったろう。
 本書は登山家・長谷川恒男の輝かしい登山人生を描くノンフィクション。

内容:
 長谷川恒男は昭和22年生まれの所謂、団塊の世代の一人。山の魅力に取り付かれ、山と共に生きて、山で死んだ。日本が生んだ偉大な登山家である。本書で筆者はどうして、長谷川恒男が山に取り憑かれるようになったかを、終戦直後の世代というところに原因があると分析している。
 彼が活躍し始める頃までは、日本の登山界は大学の山岳部や伝統的な山岳会といった、縦の繋がり、秩序を重んじる風土があった。そういうのとは対称的に、長谷川恒男のような大学に入る前に、山に目覚め、はまっていった者たちは、町の山岳会からスタートして、好きなときに好きなだけ登るという生活を送っていた。岩登りを覚えると次から次へと、困難な岩壁を目指し、征服していく。当然、なんの見返りがあるわけでもない。困難な山を、困難な状況で如何に早く登るかを競い、ただそれをやってのけることの名誉だけのために。
 日本の岩登りを極めた長谷川恒男は次第に舞台を日本から、本場アルプスなど海外へ移すようになる。
 彼の名を世界に轟かせたのは、アルプス三大北壁冬期単独登攀を果たしたことだが、彼が一人で岩に取り付くようになった裏には、エベレスト登山隊の一員で遠征して、サミッター(登頂者)となれなかったことが影響したと筆者は言う。この挫折だけが原因ではなかったとしても、次第に彼の回りから仲間が遠ざかるようになっていったらしい。他人に彼の気持ちがなかなか理解されなくなった。
 ヒマラヤ意外の山では数々の輝かしい実績を残した彼であったが、ついにヒマラヤを制することなく、同じヒマラヤ、ウルタルU峰へのアタック中、雪崩に遭遇、43歳の生涯を閉じた。1991年10月のことである。

感想:
 読み始めてから、すぐに気付いたが、「神々の山嶺」で読んだフレーズがあちこちに出てくる。本書も「神々の山嶺」の参考文献に列挙されていた一冊だから、本書から引用があっても当然としても、登場人物の言動やエピソードには非常に共通点が多かった。小説のモデルとなったと思われる人物も多く本書に登場する。「神々の山嶺」は面白かったが、ちょっと幻滅した。感動も半減といったところ。夢枕さん、それはないでしょ。
 私のような臆病者には、斜度のきつい、突起も僅かでとっかかりの少ない岩肌を登ること自体、理解不能の領域であるが、長谷川恒男のようなアルピニストたちが常に死と背中合わせでも、文字どおり”上を目指す”精神にはどんな世界にも通じるものがあると納得。
 しかし、最尖鋭のアルピニズム(登山)には余りにも死の臭いがプンプンしている。誰も死ぬと分かって登る奴はいないが、アルピニズムをスポーツというなら、これほど危険なスポーツはないだろう。しかも、莫大な報酬とか何かの見返りを求めて山頂を目指すわけではない。特に海外遠征となれば、費用も時間も必要になる。
 そういう世界で太く短く自分の人生を生きた長谷川恒男という男は非常に魅力的な人物である。また、クライマー、アルピニストに対する精神分析と、彼らへの共感が込められた筆者の描写がとてもよかった。

追記:
 本書を読み始めたとき、驚くようなニュースが飛び込んできた。谷川岳の麓の渓流でアウトドア・レジャーを楽しんでいたグループが鉄砲水に流され、死傷者が出た。余りに突然の出来事で当事者たちは逃げることも、ままならなかったようだ。詳しい状況は知らないが報道によると、上流で局地的な大雨があったとか。雪渓が崩壊しているところもあったとも聴く。山に慣れた者でも予想できない避け難い現象だとも。
 兎に角、そういう希有ともいえる状況で命をなくす者と、それを免れる者との間には何か差があるのだろうか?比較は出来ないかも知れないが、長谷川恒男の死と言い、人の死は余りにも突然で予測不能だ。

更新日: 00/08/13