読書メモ  

・「神々の山嶺(いただき)」(上・下巻、夢枕獏・著、各巻 \1,800、集英社)


きっかけ:
 英国の登山家ジョージ・マロリーの名前は知らなくても、なぜ山に登るのか、その問いの答え「そこに山があるから」という言葉は余りにも有名。本書はそのマロリーの言葉の引用で始まる。
 そのマロリーが地上の最高峰エベレストの登山中に行方不明となったのが1924年6月。彼の遺体が山中で発見されたというニュースを知ったのは昨年(1999年)5月4日の新聞記事。その衝撃的な突然の報道記事を切り抜いて、とっておいて約1年が過ぎた。本書は、たまたま古本屋で見付けたものだが、山を素材とした小説が急に読みたくなって買ってしまった。なぜ、人は山に登るのか、人は何のために生きるのかを問う一冊。
 マロリーの遺体発見の一件は一冊の本として発刊されているようだが、まだ読んではいない。

内容:
 遠征隊の一員としてエベレスト登頂に失敗したカメラマン深町誠がその帰りに、マロリーのカメラをネパールのカトマンドゥの店頭で見付けたのを切っ掛けに、日本とネパールにて繰り広げられる物語。
 もし、そのカメラがマロリーの持ち物であるとしたら、登山史上最大の謎、マロリーはエベレスト登頂に成功したか、成功していたとすれば、マロリーが世界で最初にエベレスト登頂したことになり、登山史が書き換えられるほどのスクープだ。それが明らかになるかも知れないと直感した深町はそのカメラを手に入れるが、何者かに盗まれる。そのカメラは元々、ビカール・サン(毒蛇の意味)と呼ばれる、日本人らしい人物の家から盗まれたもので、それが裏ルートで登山道具の中古販売店に流れていたのだ。カメラはほどなく盗人の手から取り戻され、ビカール・サンの元へ。一旦、日本に戻った深町であったが、カメラのことが気になり、色々調べているうちに、ビカール・サンとは、かつて日本の登山界で異端児とされていて、突然姿を消してしまった羽生丈二らしいことが分かってくる。
 羽生を見付ければ、マロリーのカメラが本物であるか、その中にフィルムが残されていたかが分かるかも知れないと、たまらずカトマンドゥへ向う。
 日本で羽生を調べていたときに知り合った、羽生と交際のあった岸涼子が後から、カトマンドゥへやってくるが、彼女が何者かに誘拐されてしまう。涼子はかつて、羽生が日本の北アルプス屏風岩に取り付いたときに、彼のパートナーであった岸文太郎(その北アルプスで転落死。その死をめぐって、羽生には良くない噂もあった)の妹であった。深町が羽生とカメラを探し回っているのが知られたらしい。金になると踏んだ連中の仕業だ。幸か不幸か彼女の誘拐が切っ掛けで、羽生に再会出来る。世界最強の元グルカ兵・ナラダール・ラゼンドラの協力で無事、涼子を救出。
 羽生にネパール人の妻と、その間に2人の子供がいることを知り、涼子は一人日本へ帰る。
 羽生はネパールには現地人に成りすましての不法滞在であったが、その目的はただ一つ。まだ誰も成し遂げていないエベレスト南西壁冬期無酸素(酸素ボンベを使用しないこと)単独登頂。その羽生のとてつもない企みに、深町はマロリーのカメラのことも忘れ、羽生がやろうとしていることを自分の目で確かめたくなり、彼を追う。深町自身は山頂までは行くつもりはなかったが、行けるところまで、単独行の羽生を邪魔しない程度に同行する。
 その途中で落石にあい、危ないところを羽生に救われる。その山中で岸の死の真相を羽生の口から聞かされる。マロリーのカメラを見付けたが、フィルムは入っていなかったことも。
 途中で羽生を見送り、一人ベースキャンプに戻るが、羽生は何日待っても戻っては来なかった。登頂に成功したかどうかも連絡もなしで。
 忘れていたマロリーのカメラは深町の手に渡るが、ネパール政府に無許可で入山したことが知られ、深町は罰金と国外退去、入国禁止の処分となり帰国。深町の帰国前にこの騒ぎは日本にも伝わり、マスコミでも大きく取り上げられることになる。
 帰国後もエベレストが気にかかる深町は、再びヒマラヤへ。単独行であるが、ただし、プレ・モンスーン期のチベット側からの比較的易しいノーマル・ルートで。
 見事、登頂を果たした下山中、風雪の中、食料が尽きて危険な状態に陥ったとき、偶然にもマロリーらしい英国人と、羽生の遺体を発見。羽生に生還を誓って再び歩き出したところで物語は終わる。

感想:
 ハードカバー2冊組であったが一気に読んでしまった。それくらい引き込まれてしまったわけだ。最後に深町が下山中にマロリーの遺体を発見したが、カメラのフィルムは、遺体の衣服の何処かにあったかも知れなかったが、深町にはどうでも良くなっていた。従って、マロリーが登頂した姿が写っているかも知れないフィルムの存在は謎のまま。しかも、深町が無事ベースキャンプまで戻れたかどうかまでは書かれていない。
 本書は、昨年のマロリー遺体発見のニュースよりも先立つ1994年から連載されていたものだから、夢枕氏の着目点の良さというか、先見の明というか、予知能力のようなものに驚いた。まさか、マロリーの話が直接、物語に絡んでくるとは思っていなかったからだ。本書はあくまでもフィクションであるが、マロリーの遺体発見の報道を読んだ時の衝撃と同じくらいに、わくわくして読ませてもらった。
 特に、7章のヨーロッパアルプス、グランドジョラスに取り付いていたときの羽生の鬼気迫る手記は、フィクションと分かっていても背中がぞくっとするくらい生々しいもの。
 山に登る者の一人として、エベレスト(チョモランマ、サガルマータ)は憧れの山の一つであるが、私には文字どおり雲の上の存在。山頂は踏めないとしても(既に諦めているのが情けない)、その姿くらいはこの目で見たいもの。

 ところで、以前あるTV番組でエベレストのベースキャンプに残された多くのゴミを見て以来、世界の最高峰を踏むという行為に、私は疑問を感じている。登頂のためには酸素ボンベほか多くの物資を必要とする。これまで彼の地には、多くの登山隊がやってきて、空のボンベほか大量のゴミを残していった。今でも毎年のように世界から登山隊がやってくるという。登頂自体は凄いことではあるが、山中のあちこちにゴミを残していくことは山を冒涜していることにはならないだろうか?こんなことが許されてよいのか?そこまでしての登頂を素直に賞賛することは残念ながら私には出来ない。単なる人間のエゴにしか写らない。

 どうやら本書の登場人物にはモデルとなった人がいるらしい。有名な登山家・冒険家としては植村直己くらいしか知らないが、いろんな登山家の著書を読んでみたくなった。

更新日: 00/08/06