読書メモ  

・「人生の目的」(五木寛之・著 \1,429、幻冬舎)


きっかけ:
「大河の一滴」などと一緒に買った一冊。内容はやはり「他力」、「大河の一滴」と重複する部分も多いが、こう何度も五木さんに語られると頭に刷り込まれていくような感覚だ。

内容:
「人生の目的」なんて何てストレートな題名だと思ったが、五木さんは人生に目的などはないと、早々と初めのほうで結論づけている。目的なんかなくても生きて行ける。生きていかねばいけない。目的なんて考える余裕も無く、その日の暮らしに追われる人もいる。そう五木さんは言う。
  従って、この本から人生の目的を引き出すことは期待してはいけない。

  私も時々ふと、何のために生きているのか、人生とは何ぞや?と自分に問い掛けることもあるが、性格のためか真剣に、深く考えるまでには至らない。元々がいい加減な人間なのだ。余裕が無いのかも知れないが、目的を考える前に本能のままにというか、長期の目標も立てられずに手探りの状態で何とか生きているのが本当のところだ。
  ときにそれを恥ずかしく思い、自虐的にもなるが、それも長くは続かない。これは幸せなのか、不幸なのか。愚かなだけなのかも知れない。
  しかし、なんとなく手に取ったこの本で、五木さんの言葉に慰められるような思いがした。それでいいんだよ、と五木さんは言ってくれる。

感想:
  この本から何かを得たという感触はないが、一つだけ確認できたのは、人生の目的とは関係ないが、後書きにあった一文。
  蓮如という人は南無阿弥陀仏を「感謝の言葉」として考えたのである、うんぬん。
  昔、年寄りたちが何に対しても、手を合わせて「ナンマンダブ、ナンマンダブ」と言っているのを聞いて、ただの御呪いの一つくらいにしか思えなかっただが、その言葉の裏にある真の意味を知ったような気がした。何か信じられるものに出会い、その偶然に感謝する。それは信仰だけに限ったことではない。天職であったり、愛し信頼できる人であったりする、そういうものに巡り会えて、そこに幸福を感じる。そういったものに出会えたことと共に、そこまで生かされて来たことに感謝し、思わず出る言葉が「ナンマンダブ」だったりするのだ。別に「ナンマンダブ」でなくてもいい訳で、要はその気持ちが大事なのだ。どうやらこれが「他力」であったりするらしい。そういう一時の幸せを求めて、さ迷っていくのが人生(の目的)である、と今日のところは勝手に解釈しておこう。

更新日: 00/01/25