読書メモ  

・「八甲田山死の彷徨」(新田次郎・著、 \476、新潮社)


はじめに:
 日露戦争の二年前の明治35年1月、厳寒の八甲田山を陸軍第八師団の二つの聯隊が雪中行軍を行った。その二聯隊の結果は対称的であった。史実に基づく迫真力のある小説だ。

内容と感想:
 
子供の頃、TVで見たその映画の記憶はごく僅かであるが、その冬山の恐ろしさだけは忘れられない記憶となった。二聯隊がそれぞれ青森と弘前を出発して、八甲田山を越えて行軍するという設定だったことは本書を読んで初めて知った。きっと映画はろくに理解できないで見ていたのだろう。
 行軍の結果だけを記すと、弘前を発した第31聯隊は八甲田山を無事通過し、総距離210余キロを11日をかけて弘前に凱旋した。一方、青森を発した第5聯隊は出発したその夜に八甲田山中で露営後、死の彷徨を始め、総勢210名のうち奇跡的に11名だけが生還したに留まり、199人もの犠牲者を出した。
 この二つの聯隊の対称的な結果の原因については、巻末の山本健吉氏の解説で簡潔かつ的確に記されている。従ってここでは特に記さない。氏の分析では両隊の指揮官である徳島大尉(第31聯隊)と神田大尉(第5聯隊)の出身が微妙に影響しているとも書いている。

 新田氏の著書を読むのは実はこれが初めてだが、その筆致の迫力に雪中行軍の恐怖を寒々と感じるほどだ。特に、行軍中の八甲田山中で第31聯隊所属の斎藤吉之助が第5聯隊所属の実弟・長谷部善次郎の死体を発見して号泣する場面は涙が出そうなくらい凄惨で悲しい場面である(p.187)。兄は八甲田山とは遠く離れた場所を行軍中に弟の死を直感していただけに、雪中で最初に発見した死体が弟であったことをただの偶然とは思わなかったらしい。

 この小説は実際に起きた事件を基に登場人物の名前以外はほとんど史実に忠実に描かれているらしい。当時この事件は国中に報道され、そうとうな騒ぎになったらしい。意外なのは行軍に成功した第31聯隊はさほど話題にされなかったらしいことだ。行軍を完遂できず奇蹟的に生還した第5聯隊11名が英雄扱いされたのも不思議な感がある。
 個人的には雪山でのサバイバル法の技術的な興味で読んだのだが、事件から100年近くたった今でも想像以上に参考になることが多かった。

更新日: 00/09/09