1998全日本選手権レポート


 1998年のトッパー全日本選手権大会は、9月26日と27日に、東京オリンピックのヨット競技が行われた江ノ島ヨットハーバーで開催されました。山中湖や沼津に較べて遠い為、関西方面からの参加選手の減少が心配されましたが、琵琶湖BSCからはトラック(2トンロングドライバン)でトッパー9艇を一括運送するという暴挙により、別に艇をチャーターした大阪の大本選手を含めて、関西から10名の選手が参加する事ができました。(トラックへ艇の積み込みを手伝っていただいた宮口選手他にお礼申し上げます。)

 

9月24日の夕方にレンタカーを借り、トッパーを積み込み、翌日8時に宮口氏の運転するローバー(外車)と共に、BSCを出発しました。

24日に出発したのは、宮口氏、辻野氏、桜井氏、高野氏、井狩氏、村山の6人です。

名古屋の岩田氏は家族連れですので、別行動です。

ローバーには3人、トラックにも3人で、交代しながら運転しました。私は、ずっとトラックに乗っていたのですが、トラックのエンジン音よりもローバーの車内の方が騒がしかった様です。(誰かがずっとしゃべり通しだったようです。)

藤沢の近くで渋滞にまきこまれましたが17時過ぎに江の島ヨットハーバーに無事到着、艇をおろしました。

 

さすがに江の島ヨットハーバーは立派な施設でした。でも、江の島の猫は、ぐうたら者であることを発見。(逃げないし、寝てばかり)

 

民宿小川亭には、応援団の澤田嬢が到着していました。

民宿に荷物を放り込み、近所の店で宴会に突入しました。

 

翌日は、皆、二日酔いの頭を抱えながら、当日合流の稲田氏と長野氏を含め朝食をとり、艇の艤装を開始、艇長会議の後、出艇しました。

今日のレースは34艇出艇です。

出艇時は風が5mぐらいあったのですが、B海面に到着する頃にはなくなってしまいました。本部艇から風が安定するまで待つ、その間に弁当を食べるようにとの指示があり、各艇が弁当を配る観覧艇(40フィートのクラシックなクルーザー、乗ってみたかった)に殺到します。やはり上手な人はさっと弁当を確保しているようです。(やはり艇のコントロールがうまいのか?)

 

第1レースは、風が3〜4mぐらいで割と波があり、特にポートタックは波にたたかれます。私は全然艇速が出ず、25位でした。フィニッシュ直前にジュニアの斉藤選手とデットヒートで何とか勝ちました。その後の艇は皆、DNFになってしまいました。

観覧艇からはジュニアのお母さんや応援団の澤田嬢の声援が聞こえます。

第2レースもさっぱり艇速が出ないで、おまけに上マークで風がなくなり潮流に流され、周回遅れになりました。おまけに今度は斉藤選手に負け、32位でした。

 

ハーバーに戻ってキングストンをあけるとやはり水が入っていました。キングストンをあけるときにプシュと音がしたので、ある程度の気密性はあるのですが、波の衝撃により空気が押し出された時に代わりに水が入った様です。(やはり、艇の整備はきちんとしておかないといけませんね!)

 

パーティは江ノ島ヨットハーバーのクラブハウスで行われ、レースの順位はともかく1年ぶりの再会を喜び合いました。ビンゴではBSCから持参の特製トッパーTシャツ(宮口選手が企画し、BSC勢は着用)が一番先にGETされる大人気となりました。最後に、レース委員の竹下氏と宮口選手のエールの交換があり、明日のレースでの健闘を誓い合いました。

 

翌日の第3レースは、10m近くの風となりました。(レーザーや470はレース中止となったそうです。)出艇数は2艇増え、36艇となりました。

昨日、周回遅れの艇が続出したので、今日は上マークのさらに上にリミットマークをうってフィニッシュラインを設定しています。

中にはリタイヤした艇もあるようです。(スキッパーの適切な判断に拍手!)

今日はジャイブできるかできないかで順位が変わるサバイバルになりそうなので、レース前に一回ジャイブの練習をしたら見事に沈しました。

 

第3レースは本部艇よりからスタート、トップ集団について行きます。ここぞとばかりにフルハイク、上マークを7番くらいで回ります。あちこちで沈艇が見受けられます。クロスホールドでは太股が悲鳴をあげます。(泣きながら体重をかけているのはまるで「妖怪子泣きじじい」の様です。(解説:「妖怪子泣きじじい」とは泣くとどんどん重くなっておんぶしている人をつぶしてしまう妖怪)ジャイブも必死で、ローリングを止めます。最後の上りでは、マークを間違えた2艇をかわし、7位でフィニッシュしました。

 

第4レースは、まだやるの!という雰囲気でしたが、非常にもホーンがなりスタート。さすがに疲れて十分ハイクアウトができません。(歳かな?)サイドマークで沈しかけますが粘ってセーフ。

途中沈している大本選手が艇が起こそうとしたところマストがコツンと私の艇のボトムにあたりましたが、無事通過。後はちんたら走って11位でした。

 

疲労こんぱいの第5レースは、やけくそでスタート、割といいスタートだったらしく、何回もチャンピオンになっている佐々木選手に対し、スターボーで前を通過。必死でハイクアウト。少し風が弱くなりましたが、何艇かと抜きつ抜かれつのレースを展開、左の方がよいと思い思い切り左へつっこみますが、フィニッシュ直前に右に振れ、2艇ほどに抜かれ10位でした。

優勝は野沢選手でした。

関西からは、桜井選手が堂々の5位、高野選手が11位、大本選手が13位、私が14位、長野選手が15位、井狩選手が22位、ティラートラブルの岩田選手が27位、仕事で1日目のみ参加の稲田選手が22位、辻野選手が30位、宮口選手が32位でした。

 

1999年は琵琶湖で開催したいと考えています。ぜひ、関東方面その他から多数参加していただきたく思います。(レンタル艇もあります。)

 


 



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