永定は、福健省の北西にあり、広東省、江西省との境の近くである。永定に行った目的は、客家の住居として有名な土楼を見ることである。土楼は、中国の一元切手にも福建民居として描かれている。
 梅州→大鋪→永定というルートで永定に入った。ミニバスを乗り継ぎ、朝六時半に梅州を出て、永定に着いたのは午後三時を回っていた。この日は、八月二十日で誕生日であったのに、朝からバスに乗り、誰からも祝福されることなく過ぎた。ずっと山道ばかりだったが、家屋が特徴的で楽しかった。客家の地域なので客家語ばかりかと思っていたが、普通語も使われていた。山が深いので、山一つ超えると言葉が若干異なるのだろうと思った。
 永定では、暇日旅館というところに泊まれた。ここで、土楼の情報を集めた。土楼旅行社という旅行会社があり、ここで情報が得られた。土楼は永定県の他の場所にあり、永定県の永定の近くには有名で一般に開放している土楼は少ないようである。
 次の日は来た道をバスで戻り、高頭というところに行った。ここには、大きな土楼があった。土楼の代表的な形である、円楼と呼ばれる外周がまるい土楼も、方楼と呼ばれる長方形の外周をした土楼ともあった。また、バスで移行中には半円形の土楼もあった。客家の土楼は方楼が一般的であり、円楼は、福建省と福建省に接する広東省の東端にしかない。これらの土楼は大きな物では数百人が生活できる集合住宅で、一族大家族で暮らしている。土楼に住んでいる人の姓は同じである。出入り口は、一ケ所だけである。高頭のある大きな円楼は四階建てで、現在500人弱住んでいるようだ。円楼も方楼もいくつか中に入れてもらい、みさせてもらった。中に入ればどちらもあまり変わらないと感じた。戦争になれば城として機能していた建造物なので、一つの村がそのまま入ってしまった様な感じであり、井戸も設けてあった。家畜を中で飼っていて、ごちゃごちゃしているものから、整然としたものといろいろだった。実際に人が住んでいるので生活感が漂っていた。土楼は夏涼しく、冬暖かいといわれている。高頭の円楼に泊めてもらったが、暑い日にもかかわらず、涼しく寝苦しくなかった。
 高頭の土楼にはいろいろな人が観光に訪れているようだ。日本の雑誌やTVが取材に来たこともあるようで、ここの土楼が載った雑誌を見せてくれた。また、観光目的で土楼を開放している、“永定土楼民俗文化村”なるものも近くにある。
 高頭からは、ミニバスを乗り継ぎ、厦門(アモイ)に出てきた。その途中でも、大小の土楼を見ることができた。永定での移動はすべてミニバスで、鋪装されていない悪路が多かった。また、この付近は山岳地帯であり、峠の連続で、気合いが必要です。特に、高頭から厦門は、転落したらなかなか見つけられないだろうと思うくらい山深く、ハードでした。