優香の誕生

●98年5月31日
  市民病院から市大病院に転院して3日目。一時安定したかに見えたが朝食をとったら直後に激しい腹痛。出血も多くかたまって何度も出てくる。点滴の量が増え輸血もはじまる。規則的な腹痛,陣痛だった。以後飲食がとれず,ひどい発汗,酸素呼吸と点滴,数時間おきに採血と血圧測定。数分おきに腹痛,その都度出血が続くのでこのままでは母体が危険ということで,緊急オペ。輸血は800ccになっていた。
 長い間胎盤の下に血腫があったので子宮がぼろぼろになっている可能性があると言われ,その場合は子宮を取るということだった。そのため通常の帝王切開のように半身麻酔でなく,全身麻酔で手術することに。
 麻酔がはじまって2,3回の深呼吸で私の意識はなくなった。次に目が覚めた時は,看護婦さんの『起きて,終わったのよ』の声だった。『口を開けてみて』『舌を出してみて』『手を動かせる?』と次々に質問が飛んでくる。全てに応えられた。足も動く。『お腹痛いです』と言うと,『お腹切ったからねえ』と先生。
 手術は正味1時間くらいで,お腹を開いてみたら血腫はまさしく血のかたまりで,きれいに掬い取れたという。子宮もきれいだったという。赤ちゃんは無事で,元気に保育器の中に入っているとのこと。
 ここ数日でずいぶん疲れたような気がしたのに,ウトウトしながら睡眠は浅い。長い長い一晩,夜明けが待ち遠しかった。


●98年6月1日
   まぶたが重い。眠りたいのだけど寝付けない。点滴の針が一つ,二つと取り外されていく。点滴と長いお付き合いだったけれど,やっとサヨナラ。
 麻酔が効いているせいか体が思ったより動くので,午後車椅子で赤ちゃんのいるNICUへ連れていってもらう。NICUは無菌室なので,
イソジンで3分消毒手洗いし抗菌エプロンをしてから入室する。
 片手のひらに乗るくらいの,本当に小さな小さな赤ちゃん。皮膚というより皮ができたばかりといった痛々しさ。でも時々ピクンピクン動いて,大きなアクビもする。保育器の生活では,器内に1週間入っているのは,お母さんのお腹の中に1日いるのに相当するのだそうだ。赤ちゃんにとっては本当に大変なことなのだ。
 まだ第一段階をクリアしたばかり。早く丸々とした赤ちゃんになってね。


●98年6月2日
   担当の研修医が手術中のことを教えてくれた。胎盤より血腫の方が大きく1キロもあったという。胎盤を病理にまわしたが結局原因不明。それよりも母体の回復の早さと赤ちゃんの生命力の強さのほうが驚異的だったとか。

●98年6月3日
   赤ちゃんは日に日に手がよく動くようになってきた。元気が良くて口のクダをはずしそうになる。しかもよく動いたあとは必ずといっていいほど呼吸困難になり,警報器が鳴る。その度に看護婦さんが赤ちゃんの体をゆすって刺激したり,酸素マスクをポンプ式に変えて(カーツという)手で操ってくれた。ハラハラした。
 赤ちゃんは袋を手にはめ,器具をはずさないようにしている。この袋は手袋,足袋で,市販ではないので未熟児の赤ちゃん用にお母さんが手作りするのだという。袋作りの宿題をもらった。

 

★赤ちゃんの手袋、足袋はお母さんの手作り。しょっちゅう使った。


●98年6月7日
   1週間経ってちょっと赤ちゃんらしくなった。今日はうつぶせバージョン。皮膚も皮という感じだったのが皮膚らしくなりつつある。今日は何度もまぶたが動いた。看護婦さんの話ではそろそろ目を開ける時期なのだという。おっぱいは注射器で今日から3時間おきに
0.5cc。紙おむつは超未熟児用なんてないので,生理用ナプキンをおしりにあてがっている。それがちょうどいいサイズなのだ。

★紙おむつ紙おむつは2000g近くなってやっとお尻におさまってくる。業者との取引の関係でパンパースがおいてあったが、お尻かぶれになる赤ちゃんがよくいた。看護婦さんによってはおむつに原因があると指摘する人もいたが、私の個人的な考えはおむつだけがかぶれの原因とは思えなかった。赤ちゃんの体質との相性もあるだろうし、うんちをしたあと長時間おむつ交換されない場合もあったからだ。


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