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優香の成長

 

生後4ヶ月。やっと赤ちゃんらしい顔に。

98.10.まだまだ小さな足。

 


【カンガルー抱っこ】

 赤ちゃんの集中治療が終わり,33週あたり,1000グラムを過ぎた頃に行う抱っこで,赤ちゃんに産着を着せて保育器の外でたて抱きする。はじめは5分くらいから,赤ちゃんの状態によって少しずつ長くしていく。
 カンガルー抱っこは,両親の胸で直接肌を合わせるので,赤ちゃんの体温は保たれ,酸素の必要性も減り呼吸も眠りも安定し,感染症の危険も少ないということです。

 

ひなまつりでお姫様に。

あやされるとニコニコ顔。

 

98年9月〜やっと誕生予定日〜

  ホントはワタシ9月20日が予定日でした。でも4ヶ月も早く生まれちゃったので、思うようにぐんぐん大きくなれません。早く大きくなりたいなあって思っていたら、ワタシと同じ24週で生まれた赤ちゃんが仲間入りしました。どっちが早く大きくなるか競争しようかな。

 

 

 

98年12月〜口のクダがとれた!〜

 生まれて半年が過ぎたけれど,ワタシの口のクダがなかなかとれないでいました。何度か取る練習をしたけれどあまりもたず,数分ですぐ苦しくなってアップアップしてしまいます。口にクダがあると「カンガルー抱っこ」の時クダが取れないように,お母さんは気を付けなければなりません。ワタシは呼吸が上手にできないという点を除いては元気なので,この頃になるとよく動くようになっていました。抱っこをしていても顔を左右動かすことがしょっちゅうで,その度にクダがとれそうになりました。実際2,3度クダが取れてしまい,すぐ顔色が悪くなって大騒ぎになったことも・・・ でもそのあとはいつもきょとんとして,ニコニコしていましたが。人騒がせなワタシでした。『クダがあるのが不自然なのよ』とお母さんに毎度言われたけれど,どうして? 楽なのに・・・
 それでも12月に入ると何とか口についていたクダはとれました。まだ自力で呼吸するのが難しいので,結局鼻の下にちょこんとクダをつけ,テープでとめることになりました。楽ちん、楽ちん。

 

99年5月〜指しゃぶり大好き〜

 5月に入ると,ワタシの1歳の誕生日が待っていました。1年かかってやっと3700グラム。

 3月はミルクの飲みすぎが心臓に負担を与えるということで制限されて,体重が伸びずやせっぽちになっていましたが,5月に入ると離乳食のおかげで少しふっくらしてきました。

 6月の後半にもなると離乳食は2回になり,体重も順調に増えました。歯はまだ生えてこないけれど,かゆいのでしきりに指しゃぶりをし,かたいものをつかんではかんでいます。手足もバタバタできるようになり,人が集まってくれると嬉しくて,顔はニコニコ,手足はバタバタ。その度に『可愛い』と言われ,ワタシますます嬉しくなって手足のバタバタにハッスルするのでした。

 

 

 

 

お兄ちゃんとの初対面。

 

 

何でも興味しんしん。看護婦さんの名札をおねだりすることも。

 

 

※好奇心が強くなって、離乳食が始まったばかりの頃は食べることより、スプーンに興味シンシン。触ったりなめたりを繰り返していました。食べると顔中に食べ物がべったり。その顔でニカッと笑われると可愛くて仕方ありませんでした。

 

 

 

99年6月〜お兄ちゃんとの初対面〜

 6月2日,ワタシは初めてお兄ちゃんと対面しました。もちろんNICUでは面会できないので,別室で家族水入らずで過ごしました。これは看護婦さんたちからのバースディ・プレゼントでした。

 お兄ちゃんは大喜びでワタシの周りをぐるぐる走り回ってくれました。ワタシはそんなお兄ちゃんが物珍しくてじ〜っと見つめていました。食事も一緒に食べ,眠くなった頃はお兄ちゃんがワタシの横に添い寝してくれました。5時間に及ぶ面会時間はあっという間で,ワタシがNICUに帰る時『またね〜!』とバイバイするお兄ちゃんに,ワタシは『あーあー』と声上げて返事しました。

 口のクダが抜けた頃からお風呂に入るようになりましたが,最初の頃は水が怖くて泣いていました。今では反対にお風呂が大好きで湯船につかると,両足を使って泳ぎます。風呂上がりには,お母さんが鼻のクダをちょっとだけ抜いて,鼻の掃除。これはイヤイヤ,いつも大泣きのワタシです。すぐに顔色が悪くなるのでクダを鼻にあててもらうのだけど,クダから吹いてくる風にびっくり。つい面白い表情をしてしまい,看護婦さんやお母さんに笑われてしまいました。

※病棟の外、別室での面会ではありましたが、NICU初の兄妹面会が実現しました。酸素が必要なため、酸素用タンクを2本用意し、心拍などを見るモニターを設置。スタッフにはずいぶんと面倒をかけましたが、家族4人水入らずで、ピクニック気分で過ごせました。

 

 

 

 

99年7月〜点滴はじまったよ〜

 7月に入ってから急に何だか楽しい気分のことが多くなりました。『あーあー』と声を出せば看護婦さんがやってきて遊んでくれるし,機嫌の悪い時は忙しい看護婦さんの変わりに先生が抱っこしてくれることも。

 離乳食は2回になってからデザートがついて,ワタシ幸せ気分。ワタシ、スパゲティ・ミートソースと桃ペーストが大好き。甘いものが出てくると指しゃぶりについ力が入ります。
 抱っこがはじまってまもなくの頃はお母さんがよく「高い,高い」をしてくれたけど,ワタシ恐くて泣いていました。でもこの頃それがとっても楽しくて,「高い,高い」をしてもらうと,ブハハッて笑ってしまいます。お母さんは『なんか普通の赤ちゃんみたいに声が高くないのね。中村玉緒みたいな笑い声』と言って,看護婦さんを爆笑させていました。ワタシ,変かしらん?
 7月9日 身長56.8cm,体重4010g,頭囲40.3cm,胸囲35.5cmになりました。

 7月15日から点滴がはじまりました。ワタシがどうしても呼吸器から離れられないので,薬を使ってみようということになったから。手と足の血管に糸のような細いクダを入れて24時間薬が体に入っていきます。20ml/hです。この薬は【肺高血圧症】の患者さんが使うらしいのだけど,血管を広げる薬なので,不適当な量が体の中に入ると血圧が急低下して死亡するという怖い副作用もあります。だから,様子を見ながら少しずつ使うんだそうです。
 ワタシは点滴がはじまってから特に変わった様子はなくて,いつも通り遊んでいます。でも看護婦さんは『手足の先がピンク色になってきた』とか,『笑うことが多くなった』とか言ってくれます。薬が効いてるのかな? これで人工酸素量がグングン減ったら,お家に帰れるかなぁ〜,がんばらなくっちゃ!

 

約半年ぶりのクベースに優香はパニック。

 

危険な状態なのに笑ってる優香に大物を感じました。

 

※優香は新薬の治療の失敗で再び保育器(クベース)に入りました。動くと極めて危険なためモルヒネを使用することになりました。おしっこもクダです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※酸素や血液の循環が悪いせいらしいのですが、この頃の優香はミルクの消化が非常に悪く、ミルクをストップしたら2日で600gも体重が減り肉がすっかり落ちてガリガリになってしまいました。

※新しい治療は一酸化窒素ガスで、不認可の為ためらいがあったものの他に選択肢がないので、思い切って挑戦することに。それはまるで化学の実験のような装置で、最初見たときはかなり不安になりました。ベッドの周りは医療器具だらけで、人工呼吸器など夜にはそうとう騒音だろうし、スタッフが定期的にいろんなチェックを行うため、優香が常に浅い睡眠を強いられているのではないかと心配もしました。

 

 

99年8月〜いったい何が起こったの?

 今月のワタシは何が何だかよくわからないまま過ごしています。ずうっと眠っていて,気が付いたら変てこりんな箱の中。動きたくても体がだるくて思うように動かないし,何となく節々も痛い感じ。え〜ん,ワタシどうしちゃったのぉ? でも毎日お母さんが来てくれるようになって,ちょっとだけ得してる気分。8月の終わりになってやっと変てこりんな箱から出られたワタシ。前のベッドより幅が広いので,のびのび遊べるわ。

       
 お母さんが買ってくれたおじゃる丸の人形は大好きになりました。箱に閉じこめられていたときは,何が何だかわからなくて泣いていたワタシ。おじゃる丸の人形も,目が妙に大きくて怖かった。でも,今は楽しいワタシのパートナー。お母さんが面会に来てくれる日は,おじゃる丸をそばに置いてもらって,一生懸命両手をのばして遊んでいます。
 でも,仲良しだったお友達がNICUを卒業していったので,ちょっと寂しいな。ワタシはいつも見送ってばかり。ワタシも早く卒業したいな・・・できるかな・・・お外はどんなところかな・・・

 

 

99年9月〜やせっぽちになっちゃった〜

 半月近くも危険な状態が続き、やっとクベースから出られたものの、口のクダがすんなりとれません。頑張ってみるんだけど、すぐ苦しくなってしまいます。お母さんがとっても心配そうな顔してるので、何とか笑ってみるんだけど、ちょっとお愛想笑いになってしまうワタシ。

 2,3日口のクダが取れて喜んだのもつかの間、様態が良くないのでまた口にクダが入ってしまいました。しかもお腹の調子が悪くてミルクまでストップ。唯一の楽しみがなくなって、ワタシは力が入らずおもちゃで遊ぶ気にもなれません。

 

 

 

99年10月〜新しい挑戦〜

 どんどんやせっぽちになっていくワタシを見て、お母さんがとうとう先生にミルクの再開をお願いしました。このときワタシは先生とお母さんの話を耳をダンボにして聞いていました。

 先生はとにかく病気を回復に向かわせることが大事だけど、ミルクがないと体力もつかないから、お母さんのお願いも聞き入れてくれることに。やったぁ〜! そして、新しい治療法に挑戦することにもなりました。

※赤ちゃんのミルクだと栄養が追いつかないため、高カロリーのミルクを飲ませることになりました。手術後の大人でも流動食用に飲んでるものだそうです。種類はいくつかあるのですが、優香は3種類ミルクを変えました。

 

久しぶりの抱っこにドキドキ。

※入院の長い赤ちゃんはお母さんのぬくもりを人一倍恋しがると聞き、優香の肌着、洋服、シーツと私の洋服を一緒に洗濯していました。お母さんの匂いが伝わって優香の心が落ち着いてくれると思ったからです。

久しぶりにお風呂にも入ったよ。

 

 

99年12月〜やった!久しぶりの抱っこだよ!〜

 新しく挑戦した治療のおかげで、ミルクがどんどん吸収されました。やせっぽちの頃は3500gしかなかったけど、3ヶ月かかってやっと5000gを突破! 力もぐんぐんわいて、ワタシは嬉しくって手足をバタバタ動かすことにハッスルしてます。

 年末近くになって、4ヶ月ぶりの抱っこをしてもらうことができました。抱っこなんてずいぶんしてもらってないから、ワタシ最初は何されるのか怖くて、ふぇ〜んって泣き真似したんだけど、みんながニコニコしてるし、大丈夫かなって段々思えてきて、抱っこしてくれてるお母さんを見上げたら、何だかとっても嬉しくなりました。ああ、抱っこってこんなに良い気持ちだったのね。嬉しくって、ついお母さんの鼻の中に指を突っ込んでしまいました。

 

 

00年1月〜お兄ちゃんの声を聞いたよ〜

 お母さんがワタシの刺激になるようにって、いろいろ工夫してくれるようになりました。絵本や手遊び歌のほかに、カセットテープで音楽を聴かせてくれます。ワタシのお気に入りは「もりのくまさん」。楽しくて、ついつい足をドンドンしてしまいます。テープには大好きなお兄ちゃんの声も入っていました。

 お兄ちゃんはワタシに話しかけてくれて、元気いっぱいの声で歌を歌ってくれました。ワタシもお兄ちゃんの声を聴いていると、体がどんどん元気になるみたいで、両足をベッドにバンバン叩きつけて、看護婦さんたちをびっくりさせてしまいました。

 

 

00年2月〜いろいろ気になるお年頃〜

 心臓の薬の点滴がやっととれました。でも感染症の値が高くて手足がなかなか自由になりません。みんなが私の手先が器用になったって言ってくれます。サチュレーションを察知するモノが指に付いていても,すぐに取ってしまうワタシ。足の指に付けられても,もう片方の足の指でひょいと取ってしまいます。だから時々「めっ」って叱られます。
 最近できるようになったこと,それは鼻のほじくり。かゆいと指を鼻に突っ込んでボリボリかいてます。鼻くそを取ってしまい,コレ何かしら?って思ってじぃ〜っと見てることもありました。
 先生や看護婦さんの言うことが段々わかってくるようになって,ワタシはしょっちゅう耳を傾けて聞いてます。「点滴の針をかえようか」ってヒソヒソ話が聞こえてくると,首をぶるんぶるん横に振るワタシ。イヤよって言っても止めてくれないときは,先生が来たとたん大泣きしてみせるんだけど,やっぱり痛いことされちゃう。
 お友達の声がするときは気になって仕方ないから,のけぞって見ちゃうワタシ。注射されたのかな? ミルクかな? 抱っこかな? 何をしてるのかとっても気になっちゃう。「小姑みたいに障子の隙間から見るような格好はおやめなさい」ってお母さんに言われるんだけど,いろいろ気になるんだもん。ヒマだし・・・

 

 

※優香は感染症(CRP)の値が常に高い状態でした。これはクダがついているせいらしいのですが、この時期値が下がる傾向にあって、半年にわたる点滴生活にピリオドが打てそうかなと期待できました。体重は6000gを超えました。


※病院独特の白の壁に白のベッドシーツは、長期入院になるほど気が滅入ってきたので、目を楽しませたいという思いから、看護婦さんに柄付きのシーツを作らせてくれるように提案。了解を得るまで時間がかかりましたが、シーツは5枚手縫いで仕上げました。のちに友達からも手作り枕を頂きました。又優香が大きくなって赤ちゃん用ベッドでは小さくなってきたため、大きめのベッドを搬入してくれるようにお願いしました。スタッフの仕事にさしつかえのない大きさをということで、オーダーメイドの話が浮上しました。


※病棟外の世界を知らない優香のために、できるだけ刺激を与えたいと考え続けていました。ベッド周辺に家族の写真やおもちゃを置いたり、シーツを絵柄にしたり、絵本の読み聞かせをしたり、手遊び歌を教えたり。1日の中で15分位でもいいから、保母さんに遊んでもらいたいとも思いました。でも、保母さんは派遣のパートさんで一人しかいないため時間的なことと、NICUという特別室であるという点で無理だということでした。優香は成長するにつれ、周りをよく見るようになり、
スタッフが忙しい時には手があくまで待つようになってきたそうです

 

00年3月〜またまた事件!〜

 2月からワタシ何だか元気になったみたいで、よく遊び、よく眠って、徹夜で遊んでしまったこともあります。その度にお母さんには大目玉。子供は夜眠っている間に大きくなっていくんですって。ワタシはよく夜更かしをするから、思うように大きくなれないのかな。

 3月に入ってしばらくすると、急に苦しくなってしまったワタシ。やっぱりお母さんの言うとおり、早寝早起きしていればよかったのかな? 苦しくって、苦しくって、どうしちゃったんだろう、って思っていたら、ワタシが眠っている間にクダの数が増えたみたい。でも起きてるときはおもちゃでめいっぱい遊んでしまいます。安静にしててね、って看護婦さんに言われるんだけど、じっとしてるなんてつまんないもん。

※長い間人工呼吸器を使っていたために、肺が耐え切れなくなって、優香の左肺がつぶれました。わきの下から針を入れ肺に向かってクダを刺し、24時間吸引して肺が元に戻るのを待ちました。回復まで半月くらいもかかってしまいました。

※新しくできた医療センターのNICUでは、中に子供が入ることができるようになってきたそうです。優香の病棟では前例がないために、かなり慎重な姿勢で、病棟内面会が実現しませんでした。しかし、私たち家族が一番望んでいることを、病棟スタッフは受け入れてくれました。優香はお兄ちゃんと1度しか面会していなかったのに、1年ぶりの面会で、しかも危篤状態の中で、とても良い反応を示してくれました。
 のちに、他の長期入院の赤ちゃんにも、兄弟面会ができるきっかけになりました。

 

00年5月〜お兄ちゃんに会いたい〜

 5月31日はワタシの2歳の誕生日。去年はお兄ちゃんに逢って、一緒に遊んだけれど、今年の誕生日は呼吸器がついてるし、体の調子も良くないから面会できそうにないって、お母さんが言いました。お兄ちゃんの元気な声の入ったカセットテープを聞きながら、お兄ちゃんの写真を眺めています。お兄ちゃんに逢いたいな。

 誕生日にお兄ちゃんには逢えなかったけど、お母さんが手作りの布の絵本を作ってくれました。裁縫の苦手なお母さんが頑張ってみたんだって。お母さんはぶきっちょだけど、白のベッドシーツじゃ味気ないからって、看護婦さんにお願いしてキティちゃんや花柄のシーツを縫ってくれたり、絵本を作ってくれました。手縫いだから時間がかかったんだって。ワタシのベッド周りが明るくなりました。今度はお兄ちゃんの1日を絵本にしてくれるって。どんな絵本になるのかな。

 

00年6月〜1年ぶりにお兄ちゃんに会ったよ〜

 誕生日にお兄ちゃんに逢えなくて、ちょっとさびしかったワタシ。でもね,6月に入ってから先生がお兄ちゃんを呼んでくれました。この時,ワタシ以前のワタシとは違ってました。一度心臓が止まりかかって、前のように笑ったり、声を出したりできなくなりました。手足も思うように動かなくなってしまいました。とっても具合が悪かったんだけど,お兄ちゃんはワタシの手を握ってくれて,歌を歌ってくれました。ワタシを励ましてくれました。ワタシちゃんと聞こえていました。とっても嬉しくって,頑張って目を開けてみました。それから次の週もお兄ちゃんは来てくれました。この時は『うんちしたの,だれよ』っていう面白い絵本を大きな声で読んでくれました。同じ病棟のお友達が、お兄ちゃんの元気な声にびっくりして、じ〜っと見てたよ。

 

 

00年6月25日〜優香は完走したよね〜

 お兄ちゃんが2週続けてワタシに逢いに来てくれました。NICUに子供が入るのは初めてのことなんですって。ワタシ,2回ともぐっすり眠っていたけれど,お兄ちゃんの声はしっかり聞こえてました。
 お兄ちゃんの手はとってもあったかでした。優香はね,生まれる前は診察の度に生きているのが不思議って言われていたの。生まれてからも、ずうっとマラソンしてるような心臓だって看護婦さんがよく言っていました。一生懸命走ってばかりいたから,ちょっと休みたくなっちゃった。
 お父さん,お母さん,お兄ちゃん,優香は頑張って完走したよね。だから,休憩していいよね。いつもワタシを大好き,大好きって言ってくれてた人たち,今度はワタシがずっと見守ってます。ありがとう,皆さん。
 優香はやっと退院してお家に帰ります。

※優香のクダのついていない顔を見たのは、いったいどれくらいぶりでしょう。クダをとったら、お兄ちゃんとそっくりな顔だったので、お父さんもお母さんも思わず笑ってしまいました。

※優香は生命力の強い子でした。出会う人すべてに愛され、可愛がられました。天性に人を惹きつけるものがあったように思います。だから、お母さんは優香を日本初の女性総理大臣にしたいと思っていました。総理大臣にはなれなかったけど、優香はいつまでもNICUのお姫様です。そして、お父さん、お母さん、お兄ちゃんのかけがえのない可愛い優香です。今度はいつ逢えるのでしょう。早く帰っておいで、優香。

 

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