産科病棟ものがたり

 

 これまで病院と殆ど縁のない生活していて、健康には自信があった私。けれど第2子のおめでたで大喜びもつかの間、胎盤の下に血のかたまりができていると聞かされ、慌ただしく入院生活へ入ることに。入院中は度々ホームシックにかかって、特に想太に逢えないことがとても悲しかったけれど、先生、看護婦さん、仲良くしていただいた患者さんに支えられました。ここでは入院生活のこと、病棟のことをまとめてみました。 


☆ そもそものはじまり ☆


 当初近所の個人病院へ通院していたが,2月に入って下腹部の痛みと出血が出たので,エコーを通して子宮の横に影が見えると指摘された。筋腫なのか他のものなのかよくわからないため,設備の整った市民病院を紹介された。病院に行くや『今すぐ入院して』と言われ悲鳴を上げた私。何とか2,3日猶予をもらい,SOTAを主人の実家へ預けることにし,準備も慌ただしく入院。
 何度もエコーを撮ったが,胎盤の下にあるものが何かわからないまま。原因も不明。出血はどうやらそれが原因らしい。血のかたまりは胎盤と一緒に成長し,時々破れるらしくその都度出血した。微量の時もあれば100cc以上の出血の時も。16週を過ぎたところでMRIでの検査もしたが,結局原因不明の血のかたまりということだった。まずいことにこれが胎盤と一緒に成長していて,どうやら胎盤とくっついているらしいという。刺激を加えれば胎盤がはがれる恐れがあり,そうなると赤ちゃんばかりか母体も危険になるとのこと。
 赤ちゃんが成長するにつれ子宮も大きくなるのだが,不思議なことに私の場合子宮が大きくになるにつれ,血のかたまりは形が大きくなっているのではなく,あくまで子宮に対する比率が小さい頃と同じなのだという。医師たちもこれがこれからどうなるのか,まったく検討がつかないということだった。前例がないのだそうだ。双子がお腹にいるみたいに胴回りも大きくなった。わずか17週頃ですでに90センチ近くにまでなっていた。
 10日間の入院予定が,半月に延び,1ヶ月になり,原因もこれからどうなるかもわからないので,出産までいましょう,と言われ愕然とする。検査の度,こんな状況で赤ちゃんがすくすく育っているのが不思議だと何度も言われた。普通なら入院前の大量出血の段階で流産しているはずだという。入院してからも出血は続いたし,お腹が大きくなるにつれ,出血の周期も量も増えた。絶対安静,と看護婦さんからクギをさされたが,体調は悪くないのでついつい出歩いてしまう。そのうち出血するとベッドからトイレまでしか歩行許可がもらえなくなり,転院になる頃にはベッドから出てはいけないことになってしまった。トイレもポータブルになってしまったのだ。
 とにかく1日がとてつもなく長く感じられた病院生活だった。


☆ 点滴と薬のおはなし ☆

 産婦人科では妊娠15週までは婦人科扱い,16週から産科扱いとなるという。だから薬も鉄剤,止血剤,お腹の張り止めなど初期には婦人科用を,中期に入ると産科用に変わった。お腹の張り止めは,動悸,発汗,頭痛,胃もたれ,手のしびれなど副作用があるという。人によっては全部出るという。私の場合は発汗しやすく,2,3日で手がしびれ箸やペンを持つ手が震え思うように動かなくなった。張り止めプラス止血剤の点滴を24時間していた頃は,尿の色が少しずつ止血剤のオレンジ色になっていった。
 鉄剤は便がだんだん黒くなっていく。最初人の話を聞いて信じがたかったけれど,実際自分の便が日に日に黒くなっていくのを見ると変に感動していた。何だか違う生き物になった気分だった。
 入院当初は貧血防止の薬(鉄剤)くらいだったのが,出血の量と下腹部の張りの具合で点滴にかわっていった。点滴は止血剤とお腹の張り止め(ウテメリン)が主で,時には鉄剤も加わった。
 産科では双子ちゃんの場合28週から管理入院することになっているという。他に私のように切迫流産で出産前に入院してくる人も結構いる。まだ出産の時期でもないのにお腹が張りやすいと,最初は薬が出るのだが,薬で効かなくなると点滴になる。2A(20ml/h)からスタートする。3A以上になると副作用も強くなるという(ちなみに3A以上は保険がきかないらしい)。お腹の張り具合で量は増減する。私の場合は胎盤の下に血のかたまりがあるので,よく出血するため19週から点滴開始,半月後には止血剤も加わった。
 点滴は週に1回針を差し替える。衛生上の問題だ。点滴の針はわりと太いので,針刺しが上手な先生なら痛くないが,下手な先生だと腕が腫れ上がって刺し直しということもあった。刺し直しはかなり辛い。針を刺したら針の上に固定用のテープを貼り付けるのだが,肌がかぶれやすい。文房具店に売ってるナイロンテープが意外とかぶれないらしい。ウテメリンのポンプはかなり大きめ。空気を抜くために針が刺さっている。看護婦さんが交換の度に,新しいポンプに赤ちゃんや天使の絵などを描いてくれてほのぼのした。
 私よりちょっと背の高い点滴台に点滴,点滴を管理する器具がくっついて,24時間一緒。寝食,トイレも。トイレは狭いので点滴台と一緒に入るとかなり不自由した。
 出血が多くなるにつれ,お腹の張り止め(ウテメリン)の量が20から30,40と増え,転院直前の大量出血の時には点滴がきかないので,坐薬のお世話にもなった。あとで知ったのだが,この坐薬は妊娠初期と後期に服用すると胎児の心臓を閉塞気味にする副作用があるという。妊娠中に薬を飲むことに抵抗を感じていたが,点滴生活に入るとこれがないと赤ちゃんが危ないんだと思うようになったものの,薬に対する不安は最後までぬぐえなかった。


☆ 転院騒ぎ ☆ 



 23週の半ばにさしかかった頃,ある夜突然生理痛のような腹痛に見舞われた。下痢かなと思いナースコールして湯たんぽをもらい,お腹を温めていたがよくなるどころか規則的な痛みになった。再びナースコールをしてモニターをつけてもらったところ,腹痛に伴いお腹も張ってきた。点滴の量が増えたが効かず坐薬に。これで腹痛はおさまった。朝方トイレに行ったら大量出血,しばらくして数分おきに出血しはじめた。同時に体がだるくて耳鳴りがし,胃が痛くなった。ナースコールしたところ,大量出血のため血圧が急低下。耳鳴りは血圧低下が原因だった。気分が悪くて眠れなくなり,再びモニターをつける。赤ちゃんの心音はしっかりしていたが,その後も出血は続いた。
 担当医が来ると分娩室に呼ばれた。分娩台に横たわったとたん,真平らなベッドに仰向けになったせいで気持ち悪く吐き気がした。血圧は70まで一気に下がった。70,50あたりだった。普通の人の3分の1しか血がない。足元を高く上げ頭を下げてもらい,体は横向きに。点滴500mlを急遽受け,小1時間で気分が少しよくなり車椅子で病室に帰れた。出血があまりに多すぎたのと,貧血の値が6.3にまで下がったこと(正常値は11),週数が早すぎて出産になっても対応しきれないことから,大学病院へ転院することになった。1時間もしないうちに荷物が整理され,私は救急車に乗って転院先の病院へ向かった。転院するや超音波,採血,内診,心電図,レントゲン,モニターとめまぐるしく検査をし,貧血症状がひどいので800ccの輸血をすることに。また、赤ちゃんの肺を強くするという薬をお尻に筋肉注射されてしまった。
 そしてベッドから出てはいけないほど絶対安静になり,尿のクダまで入れられてしまったが,3日後出産となった。赤ちゃんは超未熟児,わずか604グラムの女児だった。


☆ 産婦人科病棟ものがたり ☆  



 入院した当初通されるのがデイルーム。看護婦さんが病室を決めベッドを整えるまで待つ。それから看護助手さんに病棟内を一通り案内されたあと,病室へ通される。病室の前にはネームプレートがあるが,産科患者は名前の下に赤線が引いてあった。
 私が入ったのは6人部屋の窓側。この室は主に出産前や手術前の産科・婦人科の患者さんが入ってくるので,ローテーションが早かった。一番引っ越しの多い部屋。1日で2,3人がらりと変わる時もあった。移動する時はベッドごとだ。ベッドごと看護婦さんが二人がかりで移動してくれる。
 ナースステーションに近い3人部屋は,術後の患者さんや入院したばかりで病棟ベッドの空きがない時に使われもした。私が入院した当初はまだ体が結構自由に動いたので,手動式のベッドを使っていた。ベッドサイドにあらかじめ柵がついていて,簡易テーブルが乗せてある。ベッドの足元には頭部,ベッド,足元の高さを手動で調節する取っ手があった。しゃがんでぐるぐる回すのだが,お腹が大きくなるにつれしゃがめなくなるので,のちに自動式ベッドに変えてもらった。自動式だと寝たままリモコン操作で上体を起こしたり,足元を高くできるので便利。足元についていた柵も,お腹が大きくなってくると,上体側へ移しベッドから降りやすくした。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●お風呂(シャワー)●


 私はお腹が張りやすく出血もあったので,お風呂(シャワー)は調子の良いときしか入れなかった。お風呂に入れないときは,週1回看護婦さんがシャワー付き洗面台で,美容院にあるのと同じシャンプー台で洗髪してくれる。看護婦学校で洗髪も習うそうで,殆どの看護婦さんは美容師さん並に上手だった。洗髪もできないほど絶対安静になったときは,看護婦さんが2,3日に1回体拭きをしてくれたが,私の場合出産前の大量出血が続いた頃は体拭きをするだけでお腹が張ってしまうこともあって,転院先ではベッドごとシャワー台へ連れていってくれ,寝たままシャンプーしてもらった。


●看護婦さんについて●


 看護婦さんの制服は結構種類があるという。一人あたり4,5枚持っているそうだ。

 最初の病院では基本的にフリーで,市販カタログで買って良しという許可も出ていて,山本寛斎などのブランド制服を着ている人もいるらしい。胸元にブランド名があったりして,気を付けて見ると面白い。ブランドの中にはすけすけのマニアっぽい制服もあるそうで,誰がそういう趣味をしているのか観察するのも面白い。
 看護婦さんの制服ではワンピースタイプのほかに,スラックスタイプもある。中にはワンピースタイプの上にピンクやベージュのエプロンをしている人もいる。これは後ろで紐を結んだリボンの形で,なかなか可愛い。足元は一様にナースシューズ。スラックスタイプを履いている人は白いズックを履いていることも。
 看護婦さんのシンボルといえば,制服の他にキャップがある。後ろ姿を見ると,それぞれ個性的で面白い。ヘアピンだけでとめている人もいれば,キャラクター・バッジを何個も付けている人もいる。一時キャップ廃止運動があったという。髪を束ねたりピンでとめると頭が禿げていくというのが原因だった。実際キャップのない病院もあるという。キャップがないと,看護婦さん,助手さん等の区別がつかないのではと思うのだが,患者さんたちはわりと区別がつくのだそうで,特に問題はないとか。服装の色を変えたり,名札をきちんと付けたりするのだろうか?

 看護婦さんの持ち物の中に変わったハサミがある。刃先がカーブしている。『テープを切ったりする時に,患者さんを傷つけなくていいんですよ』と看護婦さん。市販されているという。








●産科の一日●


 産科の一日は早朝の採血から始まる。採血は週1回だけれど,必要なときは2,3回することも。午前6時から6時半には看護婦さんが来て血抜き作業。患者さんはまだ眠い目をこすりながらの受け身姿勢だ。
 検温をすませてから朝食。市民病院では低カロリーのわりに量がたっぷりあり,食欲旺盛な産科患者としてはとってもありがたい食事だった。カロリー別,洋和食別,産科用など食事の種類も豊富だった。のちに転院した病院ではおかずの数が少なく,味も決して美味しいものではなかったが・・・
 午前は検査が主で,特に検査がない日は退屈なので病棟をぶらぶらしたり,他の患者さんとお喋りしたり,私はもっぱらノートに落書きをして過ごした。入院中はとにかく時間がたっぷりあるので,日頃できない読書にあけくれることもできた。離れて暮らしている
SOTAを思って涙ぐむこともしばし。テレビもラジオもない頃には世間から隔離されたみたいで,ナーバスになることもあったが,患者さんと仲良くなることでずいぶん気持ちに余裕ができたように思う。
 夕方には患者さん一人一人に担当医がまわってくる。変わりはないか,不自由はないか等わりと細かな願いも聞き入れてもらえて嬉しかった。私は入院前からわりと早く寝ていたので,病院の就寝時間前にはうつらうつらしはじめて,早々に眠りにつくことができた。その分朝は4時半とか5時に起きていたけれど。
 入院していると,人とのつながりがとてもありがたく思えてくる。親しくなった患者さんとのお喋りの時間はとても楽しいし,看護婦さんも結構無駄口をたたく私たちに対して大らかに接して下さった。市民病院の看護婦さんはとても庶民臭くてあたたかい人たちが多かった。転院先の看護婦さんはベッド数のわりにスタッフの数が少ないのか,いつも慌ただしくてゆっくり話をする暇もなく,頼み事も忘れられがちだった。入院日数も半月程度と少なかったせいか,親しくなる前に退院となってしまったのが残念。その分担当の研修医の方にはずいぶんあれこれとワガママをきいてもらった。
 思いがけなく入院することになっても,何か楽しもうという気持ちをもってたっぷりある時間を過ごすと入院生活は案外面白い。私の場合はぐうたらな入院生活を送ってしまった,もったいないことをした,と思ったりもするけれど,いろんな人と出会えて得たものは大きい。私にとっては大変だったものの,楽しいことのほうが多かった。もし,また入院する機会があったら,今度は看護婦さんの言うことはきちんときこう,と反省している。ちょっとお行儀の悪い患者だったから。

 担当の先生,看護婦さん,いろいろお騒がせしました。


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