病院と患者の距離

 自分が入院するのと家族が入院するのとでは、病院への印象も距離もずいぶん違ってくると思うようになった。自分が入院していた時は、してほしいことがあれば主治医なり看護婦さんなりに率直に言えたけれど、優香が入院していた時は、お世話になっていること、自分の手で育てることができないことなどから、思っていた以上にしてほしいことが言えなかった。

病院と患者の距離・・・この距離が短ければ当然満足度も高くなるのだろうけれど、これはお互いに意識していかないと短くならない距離なのだと思う。


 優香が入院しておよそ1年間は、お兄ちゃんを預ける先がないことなどから、せいぜい週に3回くらいしか面会できなかった。午後1時〜3時半、わずか2時間半という面会時間は、ほんの一瞬にしか思えない時間。優香の顔色や機嫌を見てスタッフに逢えなかった時間をどうしていたのか聞いたり、ちょっとした世話で過ぎてしまい、実際遊べたのはかなり少なかった。

 最初の危篤状態の時からほとんど毎日面会するようにしたものの、1歳半頃というのは生活にリズムができる時期で、午前中遊んで、午後お昼ねするというパターンが殆どだったから、面会中に遊ぶということはますます少なくなっていった。なんとか午前中に面会をまわしたいと思っても、病棟側は前例がない、よほどのことがない限り無理ということで断られ続けた。スタッフにしてみれば、午後面会中にできないことを午前中に一気にしてしまいたいという、仕事の段取り上の都合があったのだけど、面会する側にしてみれば兄弟がいれば面会時間内で面会できるとは限らないし、それでも日に1回は逢いたいという思いがあった。この思うように面会ができないことは、母親たちのストレスの一つだった。

 病棟内では6床ベッドがあって、15人の看護婦さんが3交代で勤務している。6対15は一見多そうに思えるのだが、実際は日勤だと4人で、1人の看護婦さんが2人の患者をみることになる。3人で6床、残りの1人はコーディネーターとしてフリーの立場で患者をみている。

 疾患の重くない赤ちゃんであれば、1人で2人の患者をみることは大変ではないと思うが、疾患の重い赤ちゃんを2人抱えてしまうと、露骨にてんてこまいしているのを私たち親は目の当たりにする。この様は不安と不信感という形で私たち母親の心の底に沈んでいった。

 個人的に婦長へ相談に行くお母さんもいたけれど、殆どのお母さんは短期間のことだからと目をつむってしまう。けれども、長期入院をしている者にとってみれば、我が子が一体どういう看護をされているのか心配になってしまう。これは大きなストレスになってしまうのだ。このストレスを放っておけば、当然我が子に影響するだろうし、子供も神経質になってしまうと思う。だから、できるだけストレスをためないように、言うべきことは言わなければと思うようになっていった。そこで、私の場合、主治医と受け持ち看護婦とのミーティングをもつことで、精神的なストレスに縛られないように試みた。

 ミーティングが始まった当初は思ったことをすんなり言えるかなと思っていたが,なかなか難しい。私自身が自分の気持ちを的確に表現できないことも手伝って,スタッフに私の思いを伝えるのが難しいことを実感した。
 3ヶ月ほど経ってから知ったのだけれど,ミーティングをしているのは私だけだった。他のお母さんに聞いてみると「連絡帳」を作っていてそれに病状や発育などを看護婦さんとやりとりしているのだと言うことだった。しかも,たいていがお母さんの気持ちを満足させるやりとりになっていない。「連絡帳」すらない赤ちゃんもいた。
 殆どのお母さんが病院側に対して,我が子がお世話になっていることへの感謝や遠慮,自分が世話できないことへの負い目などから,本心を言えないでいる。お母さん同士の雑談ではいくらでも出てくる要望,不満,質問なども,いざスタッフの前だと言葉が濁ってしまうのだと言う。言っても遠回しになってしまい,結局スタッフにわかってもらえないこともあるということだった。

 時々スタッフが「優香ちゃんのことを一番に考えていますから安心して下さい」と言うのだが,この言葉を聞くと私は眉をひそめてしまう。「我が子を一番に見てくれ」などと思っているお母さんは一人もいないと思う。出産を経験してお母さんになった人たちは,毎日同じ病棟で顔を見るよその赤ちゃんにも愛情をもつし,時には我が子以上に心配することもある。これまで私が要望などを言ってきたのは,全て優香のためだけじゃなかった。優香が一つずつ前例をつくっていくことで,あとにくる赤ちゃんや家族が入院生活もまんざらじゃないと思えるような環境にしたいという思いがあるからだ。月令によって接し方は当然変えていくべきだけれど,基本的には平等に赤ちゃんへの愛情を懐くべきだと私は思う。
 我が子がNICUという特別な病棟に入ってしまったことだけでストレスになる。病状が重く,まして長期入院となれば当然ストレスもはかりしれないものになっていく。ストレスを発散させるには,どうしても病院側の精神的ケアが必要になってくるのだ。

 ミーティングを始めたものの,ストレートな言葉を投げれば投げるほど,お互いの気持ちにギャップがあることを感じる。時として,優香にはとても逢いたいのだけどスタッフに逢うのが嫌で病棟に入る前気持ちがふさぐことがあったくらいだ。
 スタッフは若く未婚が殆どで子育てを経験した看護婦さんは一人もいない。お母さんの気持ちは子育てをした同じ立場のお母さんでなければわからない,気づかないことがなんと多いことだろう。しかも,ストレートな言葉であれば,時にスタッフの気に障ったりするから,それが顔に出る看護婦さんもいる。だけど,看護婦という仕事柄,「負」の気持ちは表面に出すべきではないと思う。
 なかには私たち母親の気持ちを心からいたわってくれる看護婦さんもいる。彼女たちはこちらから尋ねなくても病状やその日の赤ちゃんの様子をていねいに教えてくれ,私たちの気持ちを前向きにさせてくれる言葉かけもあるのだ。これで技術的にも優秀であれば,私たち母親の不安,不信,不満はなくなっていくし,当然ストレスも少なくなっていく。反対にスタッフの気持ちにゆとりがなければ,母親の不安,不信,不満が高まっていく。忙しい時期こそ意識して気持ちにゆとりをもってほしいのだ。
 そして,気持ちをぶつけられないお母さんに対しては,スタッフ側から積極的に話しかけてほしい。「お母さんが言わないと何もできません」では,気持ちを言えないお母さんは我慢し続けなければならないことになる。

 優香が亡くなる半月前に,一度優香が心不全に襲われ数日危篤状態になった。それまで何度お願いしても時間外面会はさせてもらえなかった。前もって言えば時々なら時間外面会が出来たが,スタッフの反応は事務的な態度に思えた。亡くなる前2ヶ月間というものは,いつも鎮静剤,入眠剤などで面会中眠っていることが多く,薬を使ってなくても午後はお昼寝していることが多かった。面会時間中に遊べたのはこの2ヶ月のうちわずか2,3回だった。これは今でも悔いに残っている。もっと優香と遊びたかった。自分たちの仕事の流れが変わるのを嫌がって,こちらの要望をきいてくれないとしか思えなかった。それが,危篤になり,脳障害が残るとなったとたん,時間外面会の許可が出た。
 お兄ちゃんとの面会にしても,前年の誕生日には人工呼吸器を使ってなかったため,別室での面会ができたが,今年は無理だった。何度もお願いして,やっとスタッフ側がカンファレンスの時に相談してみると言ってくれるようになった。けれど,結局優香の様態が悪くなってからやっとNICUに入れることになった。
 私たち患者やその家族は病院側より弱い立場にある。こうしたい,ああしたいという要望があっても世話になっているからと遠慮が先に立ち,結局あとで後悔や愚痴になってしまうことが多い。

 私も例外ではない。ずいぶん病棟のスタッフにはいろんな要望を出してきたが,それでも肝心なところでは言えないことがあった。それは,優香の病気を治せる医者を探してほしいということだった。主治医は優香が生まれた時からずっと診てもらってきていたが,肺高血圧症に関しては専門医ではなかった。今年はじめ医療センターがオープンすると同時に,循環器系の専門医は全て市大からセンターへ転属になった。優香は肺高血圧症より慢性肺疾患のほうが主と思われていたため,循環器系の専門医の診察も殆どなされていなかったのではないかと思う。これは確認をとってないので定かではないけれど,今にして思えば疑問が出た時点で執拗にお願いすべきだったのではないかと後悔している。
 優香が6月14日に肺高血圧症の患者さんが亡くなる時に襲われる発作にかかって危篤状態になったとき,薬はめいっぱい使っていたし,以前使用した一酸化窒素ガス治療ができるレベルでなくなっていたと聞いた。この時も循環器系の専門医による診察はすぐにはなされなかったと記憶している。
 東邦大に小児肺高血圧症の専門医がいらして,できればこの方に診察をお願いしたいと思っていた。メールで状況を伝えたけれど、小児と赤ちゃんでは治療法が違うということだった。小児と大人でも同じ肺高血圧症なのに治療は違うという。何度かメールを交わしたけれど、診察をお願いしたい旨は言い出せなかった。よその病院の一医師が,果たして患者の家族の希望だからといって,簡単に管轄外の病状に首をつっこめるのかどうか。首をつっこまれたほうは気分を害するだろう。けれど,命にかかることなのだから,やるだけのことは全てやりつくしたかった。仮に1日命がのびたに過ぎなかったとしても,やっぱり生きていて欲しかった。1時間でも1分でも生きていて欲しかった。ダメでもお願いしてみればよかったと悔やみは大きい。

 市大病院は何件かの医療ミスが発覚してやっと最近患者側の要望を聞こうという姿勢がなされたと聞く。総合案内のホールに介護相談窓口は以前からあったけれど、優香が亡くなったのち、小児科相談窓口もできたと聞いた。

 病院側は謙虚に患者や患者の家族の気持ち,願いを聞いて,できるだけ応えるように努力していただきたい。科学的な根拠がなくても,肉親の第六感が当たることはよくある。私も優香の様態がそろそろ悪くなりそうだと思う時は,必ずそうなってきたし,それを口にしても,ただの感だけに説得力がなかった。でも,肉親の愛情に沿った第六感を信じて,やり方を見直すだけでもしてほしいのだ。患者や患者の家族の側にたったケアを,医療的なケアだけでなく精神的ケアもお願いしたい。

 市大病院のNICUにおいては、主治医はじめスタッフは私たち家族の要望にできるだけこたえようと努力してくれた。実際要望が実現することも多かった。だからこそ,赤ちゃんだけでなく家族の精神的なケアも期待したいのだ。お母さんの精神的ケアをすることで,それが赤ちゃんの気持ちを安定させ病状さえ良い方へ向かわせると信じるからだ。


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