SOTA

2 歳

 

1998

☆ 1996年2月13日生 ☆

この年はSOTAにとって試練の年となりました。
お母さんが入院のため、岡山のジジババのところへ。
お父さん、お母さんと離れての暮らしが3ヶ月余りでした。
SOTA、頑張ったね。

 


 

 1998年。SOTAの誕生日2月13日の頃,

お母さんは切迫流産で自宅静養。

岡山や米子のおばあちゃんに来てもらったり,

ベビーシッターのお姉さんと遊んでもらったり。

でも,とうとうお母さんは3月に入院することになり,

近くに身内がいないので、

想太は岡山のジジババの家に行くことになりました。

 以下は岡山へ出発する当日からのSOTAの記録です。



1998年3月


 7日,朝いつもより手間をかけて朝食を用意するお母さん。グラタンを作りパンといちごを添えて食べた。SOTAは相変わらず良く食べる。にこにこして食べた。今日は岡山へ行くのだと想太は知らない。話しても理解できないだろう。食べてまもなく家を出た。珍しくSOTAがぐずり泣いた。SOTAなりに何か感じるものがあったのか・・・ 手をつないで家を出て少し歩いてもお母さんの手を離そうとしない。公園近くまで行って『いつまでも一緒にいるとかえってよくないから』とお父さんに言われ,お母さんはSOTAの手を離し立ち止まった。お母さんの顔が見えなくなるまで,何度も振り返りながら歩いた。
 10時,お父さんに連れられて新幹線に乗る。行き先は岡山。新幹線に乗ってからSOTAはお父さんと離れようとしなかった。岡山の家に着くと,お父さんにくっついて遊ぶ。

 8日,朝7時起床。9時半から散歩に出る。新しい靴のせいか何度も転ぶので,ババはSOTAの背中の上着を持ったまま歩いた。この間にお父さんはSOTAに気づかれないようにこっそり帰ってしまった。ここからSOTAとジジババの生活が始まった。
 散歩が終わると三輪車で外遊び。午後は室内遊び。夕方からはジジと過ごす。就寝時,何か忘れ物をしてるような,さびしい顔つきのSOTAになる。

 9日,朝起きるとババに甘えてくる。今日は来客が多くその都度SOTAが顔を出し,自分が話に入れないと大声を出して笑いながら注意を引く。女性にはとても愛想が良いが,男性に声をかけられると大泣き。

 18日,SOTAは夜中に泣き声を出したり,起き上がって這い回るようになる。ジジババとの散歩は日課になり,お昼寝もよくするが,よく遊んでいるようでも,特にババの動きに気をつかい,風呂掃除でもトイレでも居場所を確認しようとする。

 

【岡山での最初の仕事はイチゴ摘み】

 

 

1998年4月


 3日,いつものように6時半起床のSOTA。ところが朝食をさそっても手を洗いに行かない。ご飯を前にしてもあまり手をつけず,好物も並べて遊んでいる。やがて嫌な顔,イスから降ろすと下痢をしていた。水も飲もうとしない。その後も下痢をしたので昼から病院へ。熱が38.8度,点滴をしてもらい,帰宅後も下痢,食べたのはプリンのみ。
 5日,食が進まない
SOTA。夕方嘔吐,吐く前に体で告げに来る。体がだるいらしく布団へ誘う。
 6日,午前中病院で点滴。血液検査と尿検査を受ける。少し食欲が出始める。
 9日,体調が悪かった間手をかけすぎたせいか,特にしてほしいことは泣いて要求するようになった。甘えることを覚えたよう。1週間ぶりの風呂で大はしゃぎする
SOTA
 11日,
SOTAのお母さんから電話でゴールデンウィークに横浜へ帰ってきて欲しいとのこと。田畑の作付けが忙しくなるので,むしろ子守をしてもらいたいくらい。雨が降って家にいると家中の物をあらして駆け回っていくSOTA。ジジババはちょっと疲れ気味。
 19日,今日の
SOTAはご機嫌ななめ。昼寝後の寝起きが悪く,夕食もすすまなかった。お風呂も嫌がるので取りやめ。便が固く量も少ないので再び体調を心配する。
 22日,夕方ババが自動車事故。スーパーの駐車場で余所の車にあててしまい,ババはむち打ちのような症状になってしまう。ゴールデンウィークの横浜帰りはダメになってしまった。

 

1998年5月


 11日,今月からSOTAを保育園に入れることにした。今日は初登園。教室へあがるとSOTAに気づかれないように帰ったババ。お昼に迎えに行くと先生が全然泣かなかったと話してくれる。半月は慣らし保育で午前中のみ登園する予定。
 14日,保育園での初めての給食。うどんだったけど想太は全くといっていいほど手をつけなかった。
 18日,鼻水と咳が出始める。熱もあるので食事をせず病院へ行くことに。保育園は休むことにする。食事は食べ遊びが多くなる。薬を飲むのを嫌がるので,ひと苦労。
 26日,久しぶりの保育園。
SOTAは支度ができると玄関の縁に座って待っていた。ちゃんとわかってるんだな。
 30日,朝から熱が出て病院へ。夕方には39度を超える。食欲はあまりない。
 31日,
SOTAのお父さんから電話。夕方お母さんが女の子を出産したとのこと。SOTAに妹ができたので,女の子の人形を買ってきて見せたら恐る恐る触っていた。

 

1998年6月


 1日,SOTAの機嫌が悪い。朝食を食べないので病院へ連れていく。ヘルパンギーナと診断される。長引くらしい。口の中にブツブツができているそうだ。食事はあまり食べず牛乳を飲む。ジジが顔,手,足をタオルで拭いていたら,突然SOTAが左腕を噛みついた。歯形がついて赤く腫れ上がった。保育園はまたしばらく休むことに。
 2日,おしりが臭い。うんちが出るといつもはちゃんと横になって待っているが,今日は大暴れ。ジジババ二人してやっと取り押さえる。食欲はまあまあ。偏食がすごい。
SOTAは自分の思うようにならないとき,ガラス戸を叩いたり物を投げたり当たり散らす。
 3日,喉がかなり痛いらしく,突然何回も泣く。ババがずっとおんぶしてやった。寝ていても時々泣く。
 4日,微熱があって朝食をほとんど食べない
SOTA。機嫌が悪く何をしてもダメ。昼食はまあまあ食べてくれホッとする。ストーブのスイッチを付けたり消したりといたずらもするようになり,ちょっと元気になったようだ。
 8日,久しぶりの保育園。粘土遊びを楽しんだ様子。給食の時に野菜を少しだけだが頑張って食べたらしい。
 10日,
SOTAのお母さんが退院したと電話があった。SOTAは保育園での生活に少し慣れてきたようで,給食もだんだん食べる量が増えてきたということ。
 12日,
SOTAを連れて病院へ。扁桃腺と左耳が中耳炎になっているとのこと。耳鼻科への紹介状をもらって行く。病院では診察時になるとSOTAは大泣き。他の子も泣くけどSOTAの泣き方はすさまじい。
 15日,今朝はほとんど食事をしない。口へ入れても出してしまった。保育園ではまあまあ食べたよう。少し体温が高めで鼻水も気になる。園でも家でも寝ていて何回となく泣き声を出したり,あばれたり,ひんぱんに移動する。ジジババはちょっと寝不足気味。


【保育園ではおちゃめでした】

 

 

 

 

 

 

 25日,SOTAのお父さん,お母さんからそろそろ横浜に戻っておいでと連絡があったので,今週で保育園とはバイバイ。相変わらず病院通いは続いていて,横浜へ帰っても耳鼻科は通院した方がいいだろう。
 27日,いよいよ今日は横浜へ帰る日。ババが
SOTAをお父さんとお母さんのところへ連れていくことに。SOTAは6時半に起きて朝食後急に機嫌が悪くなり,今までしたことがないいたずらをしでかした。神社の祭壇の三玉をひっくり返し,ロウソクを投げて1個壊してしまった。ジジがババとSOTAを駅まで見送りに行った。


 

【横浜へ戻ってから】


1998年6月


 27日,午後2時56分,新横浜駅着の新幹線でSOTAが帰ってきた! なんと3ヶ月半ぶりの母子対面。お母さんは朝からドキドキしていたけれど,思った通り哀しいかなSOTAはお母さんの顔を忘れていた。岡山でお父さん、お母さんの写真を一切見せなかったせいもあるだろう。でも家に着いて遊んでいるうち少しずつ思い出したらしく,夜お風呂に入るときや寝るときはちゃんとお風呂場や寝室に自分で行けた。
 
SOTAはジジババと暮らしている間にすっかりお兄ちゃんになっていた。背が伸びたし顔もお兄ちゃんらしくなっていた。お手伝いもちょっとだけやる気をみせるようになったし,喋る言葉も増えていた。食べ物の好き嫌いはなんかすごそうだ。夕食はご飯と豆腐しか食べなかった。食後の歯磨きをずっとしていなかったらしく,歯が汚れていたがお母さんの仕上げ歯磨きを嫌がらずにさせてくれた。もう離れてくらすことがないように!と強く願った日だった。
 28日,朝
SOTAと一緒に電車を見に行った。駅までの道順を少しだけど覚えていたが,お母さんと手をつないで歩こうとしない。なんだかSOTAとの間に心の距離がある感じ。家近くまで歩いて帰ってくると,お父さんとババの乗った車とすれ違う。とたんSOTAの顔が不安になった。おいてきぼりをくう不安がSOTAを一瞬泣き顔にした。車が止まって『走っていこう』と私が言うと喜んで,大はしゃぎで車に乗り込む。今日はSOTAの妹・優香(ゆうか)がいるNICUに行く予定にしていたので,みんなで病院へ。SOTAはババとロビーで待つことになったが,別れるときちょっと泣いたものの,面会から戻ってみると元気にロビーを走り回っていた。
 30日,ババが岡山へ帰っていった。せっかく新横浜駅まで車で送っていったのに,
SOTAは眠ってしまってババとバイバイできなかった。家に帰った後ババがいないのでSOTAはちょっと寂しくなったらしい。お母さんとはまだ心に距離をつくっていて戸惑っている。夜お父さんを迎えに行ったら,お父さんの顔を見て大泣き。


1998年7月


 4日,SOTAはごめんなさいを素直に言えない。洗濯物をめちゃくちゃにするので今日たまりかねて叱ったら,お母さんと目を合わせようとせず,お父さんの横へ行ってゴロゴロ。そのうち眠ってしまった。
 5日,午前中
SOTAが冷蔵庫の開閉をひんぱんにやるので叱るとまたもすねる。言葉をゆっくりかけてみたが嫌々の連続。SOTAはずいぶん泣いた。泣くと何でも許してもらえると思ってる。事ある毎に泣き出したり泣きわめく。お父さんが『お母さんにごめんなさいをしよう』と言っても嫌々。ずいぶん泣いて汗かいて疲れたところで,やっとお母さんの前に来たが言葉はなしで頭だけ下げた。『ごめんなさい出来たね。いい子だね』と言ってSOTAを抱きしめた。その後一緒にシャワーに入って汗をおとしてやると機嫌が直った。
 8日,
SOTAの偏食が直らない。野菜を全くといっていいほど食べない。岡山に行くまでは好き嫌いがあまりなかったのに,どうしたことだろう。それでもやせるわけでなし,体力はあるようなので,しばらく様子をみることにする。優香の面会日を増やしたいので,SOTAを保育園に預けることにする。
 9日,今日は区役所へ行き保育所入所の申請をだしたので,ついでに保健所へ寄って
SOTAの偏食について相談した。長い間親元を離れていたのでかなりの精神的ストレスがたまっているのではと指摘された。お母さんがSOTAに安心させることが大切で,不安感がなくなれば元に戻るということ。ただしすぐにというわけではなく半年以上はかかるとか。子供にとってそれだけ親元を離れることは大事件なのだと思い知らされる。
 10日,
SOTAとたっぷり遊ぶ。時々抱っこをお願いしてくるのでしっかり抱きしめてやる。岡山での写真を整理しながら,ジジババや優香の写真をリビングに飾るとSOTAは指さして何やら言うので『これはSOTAのじっちゃん,ばっちゃん,それに妹の優香だよ。大切な写真だから大事に飾っておこうね』と言い,夜寝る前にはジジババと優香におやすみなさいをしてから床につくことにした。


1998年9月


 盆を過ぎてからトイレ・トレーニングを始める。岡山の保育園でおまるに座っていたせいか,トイレへ行くのは嫌いではないらしい。あんぱんまんの補助便座で,時間を見ながら誘いはじめる。当初トレーニング・パンツにしていたが,おもらしばかりするので,普通のパンツにしてみた。おもらしをするとどうにも気持ち悪いらしく,9月も終わり頃になると自分でトイレに行くようになった。
 7月後半から保育園生活がスタートし,1ヶ月もすると園生活に慣れた様子。家では相変わらず偏食が続いているが,園での給食はきちんと残さず食べてるらしい。野菜もちゃんと食べてるということだ。9月から保育園は週3回に増やした。
 心に距離がある感じもなくなり,嫌々もすっかりなくなった。ごめんなさいも素直に言えるようになってきて,以前の
SOTAらしさが戻ってきた。

 

 

【お母さんが作ったロボットでポーズ!】

 

 ※岡山にあずける時、SOTAがわからないと思って何も言わなかったのが悪かったと改めて思う。SOTAにどうして岡山に行かなければならないのか、いつ頃戻れるのかをきちんと話すべきだったと後悔している。どんなに小さくても説明することは非常に大切なのだと思った。岡山にいる間の様子を読んでいると、SOTAにとっていかに精神的に大きな負担だったか、どんなに不安だったかがわかり、心が痛む。そして、SOTAが横浜に帰ってきたとき、まず彼に謝るべきだったのだと反省した。

 

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