遠距離介護にチャレンジ!

 


 この度、父が要介護認定を受け「3」になった。

 まだ70歳なのだが・・・ 定年後もともと社交派ではなかったこともあり、家にこもるようになった。当初はテレビを見て過ごしていたけれど、次第に終日布団の中で過ごすようになった。周囲の意見も耳に入れず、気が付けば足腰がすっかり弱り、要介護を受けることに。

 私は神奈川、両親は鳥取に住んでいる。しょっちゅう帰るわけにはいかず、未だ働いている母に、概ね介護をゆだねる形になってしまうのだけれど、私にもできることがあるのでは、と遠距離介護にチャレンジしてみることにする。

 

■情報収集

 母から大雑把な流れを聞いた後、とりあえず鳥取の役所へ電話し、高齢者向けサービスのパンフレット、チラシ類を一式私まで送付してもらうことにした。その後は両親がお世話になる予定の福祉施設へ電話、当初受付をしてくれた相談員の方がたまたま電話口に出てくれ、受付時の様子や担当ケアマネージャーの名前等伺った。すでにケアマネージャーとの契約を終えていて、次の週からデイケアを利用するということだった。できるなら、医師の意見書のコピーと、サービス利用票、ケアプランを郵送してほしいとお願いした。

■サービス利用開始

 担当のケアマネージャーから送付されたケアプランによると、一人でいる時間が長いため,気分転換とリハビリを兼ねてデイケアを週1回利用することになった。リハビリシューズも購入。週3回介護タクシーを使って近くの主治医のもとで、リハビリもやっていくという。

■ケアマネージャー

 父の担当になったケアマネさんはこの4月に入職したばかりの新人。とはいえ、ケアマネになるには5年以上の介護職についていなければならないので、マネージャーとしては新米でも、介護職はベテランの域。私としては、優秀なケアマネさんでなくていいから、家族や本人の目線にたって、一緒に考えてくれたり、笑ったり泣いたりしてくれる人がいいと考えていた。丁寧すぎる言葉遣いや、気配りのできる完璧な人よりも、人間味あるほうが長く付き合えるような気がする。

 母はケアマネさんを「先生」と呼んでいたので、「先生」と呼んでしまうと、頭があがらなくなってしまうから、そんな言い方しないほうがいいよ、と言った。そのせいではないにしても、早くも、何でもケアマネさんの言うことをきく便利な家族になってしまっている。『だって、へんなこと言って機嫌損ねてしまったら、こっちが困るじゃない』と母。『それで機嫌を損ねる人は、ケアマネ失格じゃないの』と、ついキツイ一言を吐いた私。私って、ケアマネさんには嫌な家族になるかも・・・(05.27)

■契約

 どの種類の契約書もそうだけれど、契約書の中身というのは読みにくいし、わかりにくい。母が郵送してきたケアマネとの契約や、ディケア、介護タクシーの契約書は、比較的読みやすくは作ってあるけれど、さてどこまでわかって契約したのか、怪しいところも多分にある。どうせ使うのだからと、わからないところもそのままに、とりあえずサインと押印してるような気がする。

 担当のケアマネさんは、おそらく、たいていのケアマネさんがしているように、丁寧に説明はしてくれたのだろう。契約書の隅に計算した形跡が残っていた。ただ両親がどこまで理解できたのかは不明。私自身読んだけれど、何箇所かどういう意味かわからない文面もあった。介護保険で使うサービスコードは全国共通なので、月いくら必要になってくるかの検討はついたけれど、介護保険は要介護度が重くなれば、その分手間がかかるので料金もあがる。医療への依存度もアップするので、これから先、経済的な負担に悩まされることになるかもしれない。

 要介護生活に入るというのは、いろんな不安がつきものになっていく。ケアマネさんと事業所、そして本人や家族との連携が大切だと思う。

■経過

 デイケア初回・・・終日自ら動こうとしなかったそうだ。入浴もリハビリも拒否。職員は何度か声かけをしたものの、かたくなに拒否をしたという。まず慣れることを目標にする、とケアマネ。先が思いやられるという空気が電話の向こうから伝わった。昔気質の職人で気難しい面があるので、面倒をかけるけれどよろしくお願いします、と頭を下げた。(2004.05.21)

 主治医のもとでのリハビリは順調らしい。介護タクシーを使わない日は、徒歩で病院まで歩くようになった。デイケアは拒否だったけれど、歩いて外出しようという気になってくれただけでも良かった。デイケアでは、自分よりずいぶん年上の方ばかりだったので、ある種ショックを受けたのかもしれない。いずれにせよ、介護認定がおりたことで、このままではいけないと思ってくれたなら、大きな一歩だと期待する。(05.28)

 暑くなってきて、ディケアに行くのが億劫になってきたらしい。ここのところずっと休んでいる。本人曰く『話し相手がいない』『めんどくさい』、ようは行きたくないらしい。主治医のところでのリハビリも思うようにいかず、癇癪を起こすことも度々という。かといって、このままサービスを止めてしまうと、また寝床から出ない生活が始まり,ますます体力が落ちていく。ヘタすると寝たきりにだってなりかねない。とはいえ、今まで好き勝手に生きてきた人、今更人の言うことを素直にきかないことくらいわかっている。もうすぐ里帰りするのだけれど、母と頭を抱えそうだ。(08.07)

 里帰りをしていた1週間ばかりの間に、ちょうど認定調査があって、立ち会うことができた。父は昨夏より心身ともに元気になっていた。足腰は相変わらず弱いものの、むくんで肌が紫色になるという状態もなく、食欲は若干戻り、表情も明るくなっていた。デイケアの効果が出ているのでは、と母と話している。ただ、相変わらず本人はデイケアに行きたがらず、送迎の方にはずいぶん迷惑をかけているようだ。洋服の着脱に時間がかかるため、送迎時に出かける用意ができていないことが続くようなら、ヘルパーさんをいれて、着脱を助けてもらうようにするとケアマネ。夫婦二人の生活なので、あまりお金がかかることは避けたいのだけれど、送迎に融通のきくデイケアを探してもらって、ダメならヘルパーを入れるということにしたい。選択肢をなるべく多めに用意してもらえると助かる。

 故郷を後にする際に、お世話になっている施設を見学させてもらった。都会では考えられない広広とした、ゆったりした空間。特別養護老人ホーム、老人保健施設、短期入所、支援ハウス、ケアハウス、ディケア、ディサービスが同じ建物の中で成り立っている。隣接してグループホームもあった。和風な作りで落ち着ける。手作りの押し花を障子に散りばめてみたり、長期入所のダイニングにお酒の自販機があったりする。急須も一人一人個性的で、「私のもの」がどれかすぐわかるようになっている。6、7人で一つのグループができていて、グループ毎の憩いの場もあった。自分の家みたいに起きる時間まちまちで、朝ご飯を食べることができるのがいい。朝9時という早い時間にもかかわらず、体操をしている人、言語療法士を囲んで話をしている人たち、中庭で菜園を楽しんでいる人など、都会では望めない光景が広がっていた。

 都会だと痴呆棟は精神病院みたいな作りになっているところもあって、白い壁にベッドしかない。カーテンも食べてしまうという理由で取り付けず、水道の蛇口も水を出しっぱなしにするという理由から取り払ってしまっている施設もある。家族側からすれば、『ようは、ちゃんと見守れないんですよ』と言われてるように感じてしまう。

 将来施設を利用するようになるかもしれないことを心の隅にいれて、機会があれば施設見学をしていくのがいいように思った。(08.30)

 父の介護認定がおりた。要介護3から1へ。飛躍的に好転した。ディケアの効果があったんじゃないの、と母に言ったけれど、介護保険証もろくに見ないで、サービスもケアマネまかせにしてしまっている傾向にあり、先行き大丈夫かなぁと不安になる。ディケアは週2回に増やすことにしましたとケアマネに言われたそうで、『週2回に増やすのはケアマネではなくて、本人や家族の希望にそっての提案のはずじゃないの?』と言えば、『そんなもんかね』と母。無関心すぎる。そのうち自分に振りかかるのだから,もうちょっと勉強してちょうだい、と電話口で説教してしまった。(09.08)

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