Ikuyo's Familyの実態


ぞうさんの足

 靴がまた壊れてしまいました。どうも靴との相性が悪い私。年に2回くらい買い替えています。表面が破けるくらいならまだいいけれど、つま先がぱっくりと口をあけてしまうこともよくあるし、防水靴を買ったはずなのにずうっと履いていると、ある日突然水が浸透して靴下が濡れたなんてこともありました。丈夫そうな、ちょっと高価なパンプスを買ってみたこともあるけれど、半年しないうちにかかとが折れてしまったことも・・・オットには『ぞうさんの足みたいにでっかいからだ』と言われてしまいました。グスンッ・・・横幅があるのは確か。だからEが3つ並んだ靴を買ったのに・・・やっぱり半年もたなかったナ。予備で買っていたパンプスを履いてみたものの、仕事場まで30分歩くには不向き。傾斜のきつい坂道を時には走って下ることだってあるのだから、へたすると、すべってころんで、ごろんごろん坂下までころがり落ちてしまいそう。ちょっと憂鬱になりながら、昨日ワンサイズ大きいスニーカーを買ってみました。幅は十分。でも何となく長さが合わないような気が。オーダーメイドにする決心はつかないので、しばらくこのmade in USAのスニーカーで通勤します。(2002.06.10)

 made in USAのスニーカーは、その後1年ほど頑張ってくれました。ある日ふと足下を見たら、左側面とつま先の生地に穴が開いていました。「後継者」は2足くらい変わり、現在は合皮のペタンとした靴。幅広の靴だったので歩きやすくて快適。昨秋購入したのだけど、春まで持たないような気も・・・。だいぶ靴の裏が擦り切れてきています。そろそろ靴屋さんへ顔を出した方が良さそう。(2004.01.28)

 

懐かしい笑顔

 娘の3回忌を迎えました。彼女が2歳で亡くなって丸2年。亡くなった後2,3回夢で再会しましたが、どれも私の腕の中でにこにこ笑っているシーンでした。楽しいことなんてわずかなことだったはずなのに、思い出すのは娘の笑っている顔ばかり。手足をバタバタさせて二カッと笑っています。絵本を見せている時も、管でミルクを飲んでいる時も、満面笑っていました。2つ上のお兄ちゃんは、妹の手を握って歌を歌ったことや、絵本を読んであげたことを覚えていて、『これからもずっと覚えていると思うよ』と。彼女がいなくなってしまって腕の中がひどく寂しいのだけれど、彼女のぬくもりや匂いが未だ記憶新しいから、少し慰められています。(2002.06.25)

 

もしかして力作?

 久しぶりに手縫いでカバンを作ってみました。SOTAの習い事用に作ったものがかなり窮屈だったので、いつか作り直さなければと思いつつ2年・・・ 使わなくなったラッチョンマットと余り布を使い、黒いボタンをアクセントにしてみました。今度はゆったりして、A4サイズのノートが縦にも横にも入るから、ずいぶん喜んでくれ、作った甲斐あり。(2002.06.03)

 我が家にはミシンがないので、幼稚園に行く段になって、手作り袋物を9種も用意しなければならず、かなりあせってしまいました。2,3回目までは失敗し、入園までには何とか間に合ったけれど、人に見せるには恥ずかしい出来栄え。その後時間を見て作り変えていきました。ソーイング仕事は高校以来。家庭科の苦手な私はヒジョーにキビシイ宿題でした。最近ではやっと紐で閉じる袋の作り方を知り、うまく出来たら、調子にのって2,3つ製作。今度は布を買わずに、古着でリサイクル。特に私が着ていたデニムの長袖を使って体操服を作った時には、SOTAにも喜ばれ私もホクホク。幼稚園時代から使っていた絵本袋に傷みが出てきたことから、これも作ろうと思案中。絵本袋は防水加工された生地を使っていたので、かなり丈夫でした。防水加工でお兄ちゃん向けの生地があれば、それを買おうと思っています。生地を見てまわるのも今は楽しい。進歩したみたい。(2004.01.20)

 

田舎にブツブツ・・・

 久しぶりに里帰り。田舎は去年より覇気のない街並みになっていました。特に商店街は人通りが少なくて、閉まってしまった店も多く残念。駅に近い場所柄なんだかもったいない気がします。ただ、プレハブ小屋が4棟くらい並んだ、一坪ショップのような「チャレンジ・ショップ」ができていました。ほう、と思って覗いてみたら12時開店で中に入れず。看板を見るとアロマ・テラピーや和風雑貨など流行りものの店で、この裏手には、何故かちんちん電車が一両突っ立っていました。店の横手には幼児の遊び用具がいくつかあって、バランスの悪い一画となっています。

 バス賃が帰る度に高くなっています。駅から実家のある地域まで4キロ、片道360円。一家に2,3台の自動車保有率だけに、バスに乗る人がお年よりや学生、子供に限られてしまい、運賃を上げざるを得ないからだと言うこと。値上げばかりでなく、本数も極端に少なくなっていました。この春から市街地のみ100円バス、いわゆるワンコインバスが登場。観光客も利用しやすいようにということかもしれないけれど、観光地は市街地より外が多いので、企画倒れじゃないかナと思うのだけど・・・ 2つ隣の街は市街地の観光名所が多いので、やはりワンコイン・バスがあり、3つのルートに分かれていましたが、一日券といって500円で終日何度でも使えるようにもなっています。こちらは観光者・住民共々利用者が多いようです。

 公共施設がやたら増えてるわりには利用者が少ない気がしました。デザインの凝った大きな運動公園もできていたのでプールに行ってみたけれど、10人も入っていなくて貸切みたいでした。どこかと競争するように立派な建物ばかり目立っていく一方で、街の良さがどこかかすんで消えているように思ってしまうのは、私だけなのでしょうか。(2002.08.23)

 

訪問者

 久しぶりに発熱。咽喉がいがらっぽいなと思った矢先、翌日には熱が出始め、半日で39.5度を超えてしまった私。結局2日ほどで熱は下がったものの、その後もリンパ腺が腫れてしまい、結局病院のお世話に。熱が出てすぐに病院に行っていれば良かったんだろうけれど、熱が下がると完治した気になって家事をいつも通りやってしまい、ぶりかえしてしまうこともままあります。なんせ手伝ってくれる人(オット!←聞いてるかぁ?)がいないので・・・ 気をつけなくちゃと思いつつも、私の代わりがいないと思うと、つい体を動かし頑張ってしまいます。ちょうど熱を出した日から、玄関に小さな客人が現れるようになりました。ヤモリ。夜の帳が下りる頃、玄関のドアにあがってきてべたっと張り付いています。1週間ほど毎晩やってきました。私の体調が戻り始めると、いつのまにか小さな客人は姿を見せないようになりました。お見舞いにきてくれたのかなあ、と真顔でオット。私はなんだか嬉しくて、今度熱を出したら何がやってくるんだろうと楽しみに。(2002.09.09)

 

クリスマス!クリスマス!

 朝目覚めたら、クリスマス・ツリーの下にたくさんの包み紙。いつもよりちょっと早く起きたSOTAは目をキラキラさせて、寝ていた私の傍で足をバタバタさせました。『来たよ、来たよぉ〜!』とっても欲しがっていたゲームボーイ・アドバンスはなかったけれど、プレステ2のソフト「トルネコの大冒険3」、絵本4冊、バドミントンセット、ノート、セーターなどのプレゼントに興奮していました。例年私のもとにサンタさんからプレゼントが来たことはないのに、この度は私の枕もとに映画のビデオがセットで置かれていました。大好きな『エイリアン』シリーズ。ウフフ・・・ 私はウキウキ。SOTAも大はしゃぎ。オットは・・・何もなくてちょっと肩を落としていました。まあ、クリスマスは子供のためのイベントだからァ〜と言う私は苦笑い。夜、パンが食べ放題のレストランへ行き、もうこれ以上食べられないっていうくらいたらふく食べて、親子3人お腹を抱えながら家路につき、やっとオットも満足。みんな満足。メリークリスマス!(2002.12.25)

 

オナラ論争する一家

 よその家ではオナラ論争ってするんでしょうかネ。オットが結婚5年目頃私の目の前でオナラをするようになりました。要するに緊張感がなくなったわけ。私の方はその前からだったけれど、2人してお互いに平気でオナラをするようになってから、しばしばオナラ論争に。オットのオナラは男のくせに小さいですッ! 『男なら一発勝負でいけぇっ〜!』と内心叫んでいました。そして私は常に言うのです、『私の(オナラ)はリズミカルで、メロディーを奏でてるようで、聞いていても可愛い』・・・対してオットは『確かに誰にも真似できない技で笑いがこみあげてくるが、オナラはオナラらしくあったほうがいい』と、私の目の前にお尻を向けて一発。それから互いに自分のオナラの良さを訴え合うのです。私たちの間でSOTAはニタニタ笑いながら、これまた平気でプリプリ音をたてはじめ、いつしか3人でオナラの合奏。自分のオナラを誉め、自分以外のオナラが環境破壊の行為だとののしり合う・・・こういうオナラ論争って、ウチだけ?(2003.01.07)

 オットのオナラはその後進化しましたョ。小さかった音が次第に大きくなっています。私がごろんと横になって本を見ていると、オットがニコニコして近づいてくるのです。そしてくるっと背中を向け、巨大なお尻を突き出しブリッと一発。時には二発、三発。『ひえぇ〜〜』と叫んで逃げ惑う私に、益々喜んでお尻を振りながら後ろ向きで追っかけてくるオット。『こ、こ、子供の前で恥ずかしくないのぉ!』と声上ずる私に、今度はSOTAへニコニコしながら突進。SOTAはキャーッと悲鳴を上げつつ、喜んで逃げ回っています。こうしてリビングで親子3人の鬼ごっこが始まるのです。そのうち笑いすぎて私も管楽器みたいな音を出してしまう。もう我が家のリビングの空気は汚れ、窒息寸前!(2004.01.05)

 

B型な性格

 思いつくと試してみたくなる性格。昨日会社で同じ銘柄のコーヒーに飽きてきたので、傍らにあった粉末の煎茶を少し加えてみたら、奥行きのある味になったと言えば聞こえがいいけれど、龍角散の味そっくりでした。今夜はかき揚げ丼にしたのはいいけれど、肝心の天つゆを買い忘れてしまいました。オットは天つゆがないとダメな人。そこで、お湯、チンタンスープ、かけぽんを混ぜてみたら、天つゆになってラッキー。美味しかったらしく、SOTAは天つゆだけなめていました。オットも文句なしのよう。アレとコレを混ぜたらどうなるんだろうと思うと、試したくなってしまう私。未だ爆発物は作ってないけれど、生卵を電子レンジに入れると爆発するという話を聞いたことがあるので、電子レンジが壊れかけてきたら、もしかするとチャレンジしてしまうかも。黒柳徹子さんはこれをやって爆発して、ほうっ!と感動したらしい。私もいつかやってみたい。うふっ。(2003.01.29)

 思い込みが激しいのもB型の特徴と言われます。これで失敗することの、なんと多いことか。ずいぶん前の話になるので白状するけれど、田舎から出てきて間もない頃、パンを買いにデパートの地下へ行きました。パン屋さんには試食品がズラリ。どのパンにしようかなと思いながら試食していると、ちょうど出来たての食パンを持って店員さんが私の前にやってきました。『いらっしゃいませ〜』と軽やかな声。・・・と、店員さんの目が私を見つめています。私はエヘッと愛想笑いをしました。店員さん怪訝な顔をしています。「愛想悪い人だナ」と思って、ふと目を下にやると、今自分が食べている試食品と同じ物が隣のバスケットに山ほど乗せてありました。よ〜く見ると、私が手を伸ばしたバスケットと同じ形、それぞれに名札が付いています。ここで私は一瞬にして全てを理解。3,4センチほどの小さなパンだったのだけど、試食品ではなく売り物だったらしいのです。私はカーッと頭と顔が熱くなったものの、トレイを戻して、ジリジリと店の端に移動し、くるっと踵を返して大股に逃げてしまいました。夜オットにこの話をすると、シローイ目で見られ、『自分ばっかり食べて買わなかったのかよぉ〜!』とお叱りを受けた。だってぇ、どうしていいかわかんなくて、とりあえず逃げちゃったんだもん。・・・それから、そのデパートの地下には行っていません。(2003.11.12)

 

耳クソが鼻クソを笑う

 オットと耳掻きのことで喧嘩してしまいました。彼はいつも耳掻きを自分のパソコンのそばに置いています。救急箱に入れないのです。私も時々それを使っていたのだけど、今夜オットのいる前で耳掻きをして、ちょっと鼻がむずむずしてきたので、何の気はなしに耳掻きを鼻にもっていったら、こっぴどく叱られてしまいました。『汚ったねえなあ!』が第一声。私の顔は『はあ?』 他人じゃあるまいし、何故耳掻きを使ったくらいで怒られなければならないんだョ〜 そしたら、オット曰く『オレの耳掻きを勝手に使うだけでもムカツクのに、それを鼻に突っ込みやがったな』、私曰く『耳も鼻もつながってるんだからいいじゃないのぉ〜』、オットは『もうそれあげるから、持ってけ』と。私は『耳も鼻もへそも、同じ仲間じゃないのよぉ、汚くないじゃないのよぉ』と叫びました。両眉がヒクヒクつりあがり、『へそのクソまでとってたのかよぉ〜!』といつになくテンション高くなったオット、『もう金輪際その耳掻きは使わんぞ』と言い放ち、部屋から出て行ってしまいました。オットの耳クソ、鼻クソ、へそのゴマに比べれば、私のは綺麗なものなのに。ま、いいや。私専用の耳掻きができたと、私は密かに喜んで救急箱に仕舞いこんでしまいました。共同で使うモノがあると、争いのもとになるのネ。新婚の頃はこんなことでは喧嘩しなかったような気もするけれど・・・う〜む。(2003.01.30)

 

オイシイ話は人に教えない

 オットが先日ヨドバシカメラでUBS接続フラッシュメモリ128MBを買ってきました。空箱がパソコン部屋の散らかった机に無造作に置かれていたので、特に気にもとめなかったのだけど(だっていつも机上は散らかし放題で全然片付けてくれないのよ!)、今夜モソモソと背広のポケットからこの携帯メモリ「フラッシュディオ」を出し、パソコンのキーボードに取り付けてデータを取り込んでいるのを発見。なんと、私の中指と同じ長さでした。ストラップまで付いていて、色もパステルカラーで何だかカワイイ。改めて空箱を見れば、WinにもMacにも使えるとか。MacのデータをWinに持っていくとき、ちょいと便利かも。こんなに小さな外付けハードディスクがあったなんて・・・ちょっとしたショック。ぼ〜っとしていると、世の中に見捨てられていくんだなあと思い知らされた私。それにしても、オットはいつだって、こういうオイシイ話題を私に教えてくれないのよね。『そんなの常識やんけ』とケンモホロロ。(2003.01.30)

 

すべすべ肌には・・・

 SOTAはひどい乾燥肌。冬になると頬はまっかになるし、体中カサカサしています。この冬もお腹まわりと背中に細かい湿疹がいっぱい出て、2度皮膚科のお世話になった。皮膚科医によるとローションや乳液などはあまりつけないほうが良いとか。尿素もいいものではないと言われたので、野菜や果物で内面からカサカサを治せるものならと試したけれど今一つ。ある日ふっと思いついて、米のとぎ汁をお風呂に入れてみました。米のとぎ汁は雑巾がけの時に使っていて、フローリングにつやが出ます。家具なども同じ。だから、肌にもいいかもしれないと思いついた次第。バケツ一杯のとぎ汁をお風呂に入れるようになって、そろそろ半月ほど経ちますが、予想以上に子どもの肌がすべすべになってきました。かゆがることも少なくなったみたい。乾燥肌の人、ぜひお試しあれ。(2003.02.01)

 豆乳が静かなブームになっているらしく、書店でHOW TO本をよく見かけます。豆乳は苦手。どうしても美味しく頂けない私。市販の豆乳鍋用スープなら美味しいけれど、豆乳だけを飲むのは体に良くても続きません。でも、豆乳と重曹を混ぜて顔にパックすると、一度で顔のシミが薄くなるというのを聞いて、パックを作るのは面倒なので、豆乳を手のひらに適量とり、マッサージしながら顔全体にのばしています。ミルクローション&パックとして使用中。効いているのか、すべすべになっているような気がしています。(2004.02.29)

裏の顔でございます。

 学校の3学期終業式が終わり、いよいよ明日から春休み。SOTAは国語、算数ともに1学期より頑張っていました。毎朝起きると10分ほどではあるけれど、漢字練習と算数問題を解くのが習慣になってきて、宿題のある日は15分程度机に向かうようになっています。まあ1年生だからこのくらいが負担にならなくていいかな。3学期は体育が苦手だったようです。鉄棒が前回りすらできないらしく、本人は気にしています。こういう時父親が鉄棒を教えてやればいいのにと私は思うのだけど・・・ 鉄棒でもサッカーでも母親よりは父親のほうが教え上手だと思うのだけど、オットは子供との関わりが異常に少ないほう。そのためSOTAもオットとは一線おいてる感じ。にもかかわらず、オットは気にせず『父親とはそのくらいの方がいい』なんて、時代遅れなセリフを吐いています。ケッ(-_-; 休みの日子供と積極的に触れ合わず、パソコンとお見合いしているオットを見るにつけ、ストレスを感じる私。子供が生まれる前は、子供と一緒に泥んこになる父親像を夢見ていました。サッカーや野球を教えたり、公園へ連れて行ってくれたり。でも、こういうお父さんは稀なんだろうと思うようにしています。よそと比べるとむかつくもの。しかし、オットは、人前ではいかにもいつも子供と遊んでますって顔をするのですッ!(特に里帰りした時)。周りには『良き父』に映るらしく、これが私はどうにも気に入らない。ブツブツブツブツ・・・(2003.03.25)

 

大好きなヒーローたち

 「ヒカルの碁」が昨日で最終回となってしまいました。ガ〜ン・・・振り返れば、SOTAが小学校に入学し、預かり保育「はまっ子」を利用するようになって、上級生に最初に教わったのが囲碁でした。去年の初夏からテレビの「ヒカルの碁」を見始め、最初囲碁に全く興味のなかった私も、ヒカルや藤原佐為(サイ)のキャラクターに惹かれ、我が子が2人のように何か一つでも情熱的に極めていけるモノを見つけられる人間に育ってくれたら、と何度となく思いました。テレビ放映は1年半だったとか。これからはマンガ本を買って手元に置こうかなあ。・・・淋しいなあ。楽しみにしてる番組がまた一つ減ってしまって残念。(2003.03.27)

 「ヒカルの碁」その後。結局テレビ東京の放映が終了すると、そそくさとコミック版を買いあさり23巻まで揃えた私。解説版のコミックや図版集まで買ってしまいました。SOTAはもっぱら解説本を見て、トーナメント表を作って一人碁をしたり、棋譜並べをしています。また、ケーブルテレビをデジタルバージョンに変えたら、囲碁・将棋チャンネルがついていたのだけど、週に2回「ヒカルの碁」の再放送をしていて、予想外の出会いに母子共にワクワクして観ています。(2004.01)

 テレビアニメ「花田少年史」がすっごくいい。子供の頃を思い出させてくれる風景、お母ちゃん、あったかい近所の人たち・・・ 私は「花田一路(イチロ)」みたいに鼻たれ小僧ではなかったけれど、必ずクラスに一人、二人は一路みたいな悪ガキがいました。現在は憎めない悪ガキが少なくなって、陰湿なことをするクソガキ(言葉が汚くてすみません)が増えています。一路は自動車事故で九死に一生を得てから、亡霊が見えるようになり、幽霊からいろいろ頼まれるようになるというお話。一路は幽霊を代弁して、生前親しかった人たちへメッセージを送るのだけれど、その経緯が切なくて、哀しくて、心にじ〜んと染み込んでくるのです。そして優しくて、暖かい気持ちになれます。遠い昔心にあったものを蘇らせてくれるような物語。

  「花田少年史」は毎回私たち家族を大笑いさせてくれます。SOTAなど涙を流して笑っています。私は時にほろりとさせてもらって、ウルウルしています。テレビを見てウルウルしたのは「みなしごハッチ」以来。ところで、その「花田少年史」で天邪鬼が出てくる回に、オットのお兄さんと同姓同名の男の子が登場するのです。一路のお姉ちゃんが恋するのだけど、『Yくぅ〜ん』と鼻息荒く叫ぶ姿をみる度に、親子3人画面にくぎづけで大笑い。我が家も同姓なので、我が子に『あんたもYくぅ〜んって叫ばれるようになるといいねえ』と言ったら、ニヤリニヤリとしていました。オットに向かって『そこのYくんは叫ばれたことないでしょ』と言えば、これまたニタリニタリ。父子で同じ顔して笑っていて、私は思わず口がへの字に。(DNAの不思議さを改めて感じたのです。) 花田家のじいちゃんを始め、とうちゃん、かあちゃん、ねえちゃん、一路クンには、毎回元気をもらい、優しさをもらっています。私も一路クンみないな子、もう一回産んでみたい。ちなみに、コミックの番外編でテレビとは違う最終話が載っていますが、花田家の長男の宿命を垣間見れましたョ。うふふふ・・・今すぐに見たい!っていう人は、花田少年史サイトへGO!(2003.04.05)

 「ヒカルの碁」、「花田少年史」に比べて、ちょっと強面系なのが「犬夜叉」。アニメが始まった当初は、犬夜叉に夢中だった私だけど、桔梗とかごめの三角関係でシラケてしまい、殺生丸がカッコイイと思い始めた矢先、七人隊の蛮骨に出会いました。17歳、されど野性味あふれる顔といい、悪ぶりといい、腕っ節の強さといい、『私好みだぁ』と久々に嬉々としてテレビに釘付けとなりました。最期の姿は胸迫るものがありましたねぇ〜 切ない最期だったなぁ〜 物語は未だ続いていますけれど、蛮骨や殺生丸を上回るキャラは今のところお目にかかっていません。原作者の創造力とネームのうまさに毎度感心しながら観ています。映画版の方は、普段テレビで見慣れた顔でないため観る気せず。ラブストーリーに傾く内容に不満があるせいかも。テレビはかかさず観ていて、子供が散髪でお世話になる理髪店では「少年サンデー」を見ています。最近では逆輸入版DVD『犬夜叉』をオットが通販で買ったのでパソコンで見ましたが、英語ヴァージョンのコマーシャルはやっぱりカッコイイ。「半妖」という言葉が英語で表せないのが残念だけど・・・(2004.01.27)

 

ブヒッブヒッブヒッ

 ウチの夫婦の会話はちと面白いかも。ブヒッ言葉が結構多いのです。ずっとブヒッ、ブヒッと発しています。『ブヒッ、ブヒッ、ブヒッ』と三連発言っても、それぞれにトーンが違います。このトーンで何を言っているのか見当づけるわけです。相手がわかってくれないと、『ブヒッ、ブヒッ、ブヒヒン』となります。オットなんかしまいにはお尻を振って『ブヒヒヒヒ〜ン!』(なんでわかんないだよ。バカヤロー!)と、豚だか馬だかわからない発音をしてます(目が笑っているのがコワイ(^^; 。家でこういう風だと、たまに他所でもブヒッ言葉になって、相手をキョトンとさせてしまうことも。先日職場でこのことを話したら、同室の女の子が家に帰ってご主人に報告、ご主人は結構ウケてくれたそうで早速使い始めたそう。いやぁ、なんかうれしいなあ〜 発音のわからないところがあれば出張指導しようかなあ。ところで、このブヒッ会話を子供の前でしても、SOTAは我関せずといった風で聞き流しています。ノッてくるのは、オナラ合戦の時くらい。こういう両親がもうすぐ40代になろうっていうのだから、『オラがしっかりせねば』と内心SOTAは思いつめていたりして・・・ブヒッ!(2003.04.30)

 

ペンギン一家

 オットはペンギンが大好き。そのせいか最近本人の体形が頓にペンギンに似てきたみたい。でも、何故かオットは私を『ペンギンさん、こっちへいらっしゃい』と言って呼ぶのです。私はペンギン体形してないのに。失敬な。・・・朝ご飯を食べながら『ペンギンの物語を作ると面白いかも』と、思いついたようにオットが言うので、『大ペンギン、中ペンギン、小ペンギンの一日なんていいんじゃない』とアイデアを出すと、オットは私を指差して『大ペンギン』、自分を指差し『中ペンギン』、SOTAを指差し『小ペンギン』と言うので、私はオットを『大ペンギン』、自分を『中ペンギン』、SOTAを『小ペンギン』と大きく上下に指を揺らして言い返しました。これを2,3回続けていると、SOTAがふふんっと笑いながら、両親を見上げているのに気づき、『何よぉ』とSOTAを見やると、『面白いんだもん』と言ってニタリニタリ。おっ、そう言えば、先日の家庭訪問で担任から『よくお母さんの話は伺ってます』と何やら意味ありげに笑いながら言われたっけ・・・ 『ちょっと、クラスで発表しなくていいからね』と私が言うと、SOTAは『はぁ〜い』と返事しながら、目がにんまり笑っています。思わず『うっ!』と咽喉を鳴らして、この件さっさと止めにしようと思った私。毎度のことながら、我が家はこんなくだらない話をしては、ヘラヘラ笑って過ごしていたけれど、SOTAが結構クラスの朝礼などでバラしていることを知って、ちょっと警戒気味の昨今。友人からは『少しフツーの生活をしたほうがいい』などと窘められ、今まで我が家はフツーだと思っていた私はウ〜ッと唸ってばかり。(2003.06.14)

  

カブトガニ観察

 学研が発行している「2年の科学」、7月号の付録はカブトエビでした。カブトエビはカブトガニに似ています。頭から胸あたりに甲羅があって、それが兜に見えるからカブトエビと名付けられたみたい。水槽、青い砂、水草の種、カブトエビの卵、餌がセットになっています。卵は木屑と一緒に入っていますが肉眼では見えません。水槽に入れて2日もすると、1ミリくらいの非常に小さなカブトエビを発見。5日もすると5ミリほどに成長していました。水草も魔法にかかったみたいにスルスルと伸びていって、まるで手品みたい。最初3,4匹見えていたけれど、今は5ミリ君と生まれたばかりらしい1ミリ君しかいないよう。他は死んじゃったかな。それとも5ミリ君が共食いしたのかな。5ミリ君はすっごい元気で、ひっきりなしに水槽の中を泳ぎまわり、水草を食べまくっています。カワイイ。1週間〜3週間の寿命だそう。せっせと愛してあげなくっちゃ・・・という母の思いとは裏腹に、SOTAは今一つ興味なさそうなので、母としては大いに不満なのでした。それにしても、一つの生命が付録でついてきてしまうのが、何だか可哀相な気がします。カブトエビはどう思っているのでしょうネ。罪滅ぼしみたいに可愛がってしまう。寿命の3週間をこえて25日生きてくれたことが、カブトエビの気持ちと思っていいんでしょうか。(2003.07.02)

 

旦那、顔をリニューアルする?!

 オットが眼瞼下垂という病気だそうで、先週末簡単な手術をしてもらいました。そもそもひどいドライアイで、公私共にパソコンの前に座ることが多く、さらに逆さまつげも手伝って、目は悪くなる一方でした。眼瞼下垂は瞼が下がってくる病気で、直すには形成外科で二重瞼にする必要があるということ。手術というから瞼を切るのかと思ったら、縫って二重にするとか。最初は偽者二重っぽく違和感があるけれど、ひと月もすれば顔になじんでくるという話でした。もっとも、うまくいった場合で、ひと月経つと元に戻る可能性もあり、その時は他の手段を講じることになりそう。

 簡単に眼瞼下垂か否かを判断する方法があるそうです。第3者に眉毛を強く押さえてもらい、最初目下30センチのところを見ます。その後そのまま今度は目上30センチあたりを見上げます。眼瞼下垂の人は見上げることができないそうです。旦那は先天性だと医者から言われたので、もしやと我が子にこれを試したところ、まさに眉毛が思いっきり上がり見難そうな顔をしていました。一度眼科に行って相談したほうがいいのかな。

 さて、オットの手術当日、医者が奥さんを連れてくるようにと言ったとかで、私は彼と一緒に病院へ。どんな顔になるのだろう・・・と内心ドキドキワクワクソワソワ。ロバート・デニーロや佐藤浩市の写真を持って行きたかったなぁ〜 老医曰く『奥さん好みにするからねぇ』と言ってくれ、私は両手で頬で押さえてウフフ状態。こんな感じにするョと、瞼のうえに爪楊枝みたいなものを乗せて、いくつかの二重パターンを見せてくれました。けれど、どのパターンもデニ−ロや佐藤浩市とは違う・・・ 見て不自然じゃなければいいと思ったのだけど、オットの顔に似合うのは奥二重だろうと率直に言いました。幸いオットと好みが一致したので、そのパターンでお願いすることに。30分かからないで室から出てきたら、あまりの不自然な奥二重にぷっと吹き出してしまいました。本人を前にして笑うとさすがに可哀相なので、後ろを向いて声を殺して笑った私。数日腫れるのだとか。さすがにオットも気にしていたので、目についてアレコレ言うのはやめましょう。

 今日で4日め。だいぶ自然な奥二重になってきました。半年経てば手術したことすら忘れてしまっているかも。けれど、とりあえず今はまだ様子見。この週末は経過を見るということで、また病院へ。そこで違和感あるなら、また何かの処置がなされるそう。(2003.07.08)

 オットの話だと手術しても相変わらず逆さまつげに悩まされているらしいのですが、偏頭痛は以前に比べると若干緩和されたようです。「バファリン」を飲む回数が減ったとか。手術のあとは気にならず、二重がすっかりなじんでいます。半年経って、毎年今の時期花粉対策も含め、ドライアイ用の目薬を買うのだけれど、今年はまだ買っていないみたい。術前よりは良くなっているようなので、まずは一安心といったところ。花粉+ドライアイ+逆さまつげ+偏頭痛になる1月後半から5月いっぱい、オットは非常に不機嫌になるので、今年は私もとばっちりを受けずいや〜な思いをしなくてすむかナとちょっと期待。(2004.01.29)

 

アウトドア派にあこがれ

 オットの眼瞼下垂治療のその後。とりあえず二重は顔になじんできています。つぶらな瞳になったので、時々『あ、カワイイ』と思う時もあるけれど、顔をリニューアルしても心は以前のままなのでムッとすることも。花粉症で一年のうち半分は殆ど外出しないオット。にもかかわらず、この度の眼瞼下垂の手術で、ますますインドア派に傾斜してしまったようです。アウトドアの経験が皆無な我が家に、友人からキャンプの誘いがあったのだけど、オットは行かないと言い張り、私と子供の2人参加。あと2組家族が合流するけれど、オット抜きなのはウチだけ。人付き合いが苦手なのか、面倒なのか・・・ 『平日の疲れを癒したいから行きたくない』と言うけれど、他の家族のパパだって平日仕事をしてるのに参加するのだ。私には理解できない。子供と一緒に出かける年数は限られているだろうのに、年齢があがるにつれ親と過ごすのを嫌がるようになるだろうのに。今こそいろんなところへ一緒に行って楽しむべき!

 父親がインドア派なら、SOTAもインドア派。キャンプに行ってみたいと言っておきながら、いざキャンプに行くぞ!と言うと、ちょっと身が引いた様子。かたい所で眠れないだの、虫がやってきたらどうしようだの、ごたごた言い始めたSOTA。文句言わせず参加にしたものの、この週末天気予報は降水確率50%。せっかくの初体験がおじゃんにならないよう、今から照る照る坊主でも作りましょうか。(2003.07.14)

 

アウトドア初挑戦!

 母子共々初のアウトドア体験をした。天気が良ければ丹沢でテント泊まりをしようという計画でしたが、かなり怪しげな空模様だった為、相模原の川原でバーベキューということに。3組の家族が集合。もっともウチのインドア・オットはお留守番でしたが・・・。子供はSOTAが一番年上で、5歳児が3人、2歳児1人。子供たちは気温が低めにもかかわらず水遊びに熱中し、普段以上によく走り回って過ごしました。アウトドア初体験組が2組なので、経験者にあれやこれやと聞きながらの悪戦苦闘。火をおこすだけでも知識がないと手間がずいぶんかかることを教えられ、それでも外で食べるご飯は美味しくて、大人も子供も満腹状態に。私はおかげでせっかく2キロ痩せていたのが、一気に戻ってしまいました。次回はテントをはるときに手伝って、少しずつコツを覚えたいナ。テーブル、イスくらいは買ってもいいかなあ〜

 それにしても頭にきたのが、大渋滞をくぐってヘロヘロになって戻ってきた私に、『晩御飯、作ってよ』とすまして言ったオット! 終日たっぷり眠ってすっきりした顔のオットに言われて、カチンときてしまいました。『今日はテント泊まりの予定だったんだから、晩御飯の確保くらいしてたでしょ』と返事すると、『あ、そう』と言ってそそくさと出かけていったオット。こっちは疲れて晩御飯の支度する気はとうていなかったから、バーベキューを2食分食べてきたのです。SOTAはそんなオットを見て、『自分で作ればいいのにね』と。本人に大きな声で言ってやって!(2003.07.20)

通信簿いろいろ

 この度の「あゆみ」はA4横の見開きタイプでした。去年はA4縦で所見欄には手書きでびっしり文字がうまっていたけれど、今年はデジタル処理してあり、所見も活字。狭いスペースに100字も入らない。非常な簡素な所見でした。学校(校長先生の考え)によって、何事も違うようだけれど、「あゆみ」は手書き版の方が良かったなあ。先生が時間をかけて子供の顔を思い浮かべながら書いてくれている姿が想像できて、先生ありがとーっ!という気持ちになったもの。この度は事務的で「情」が伝わってこない。「あゆみ」を開いた時の『おお〜っ』という感動が今年はなくて、非常に淋しかったナ。ところで、肝心の中身のほうだけど、まだ低学年なので、みんなどんぐりの背比べみたいなもの。SOTAは得意なもの、苦手なものが早くも出てきたよう。本人曰く、『去年嫌いだった科目が、今年は嫌いじゃなくなった』とも。とりあえず今年は三角マークが一つもなくて良かった。(2003.07.23)

 

田舎はいいなぁ

 10日ばかり田舎へ帰ってきました。田舎はいいなぁ〜 空がどこまでも高く広い。大山(だいせん)という明峰の恵みで川はキレイだし、温泉はあるし、日本海に面しているから魚介類が美味しい。時間がゆったりと流れていて、普段なんとせかせかした生活をしていたんだろうと反省しました。暮らすにはとってもいいところ。田舎の友達に言わせると、変化のない土地は退屈この上ないらしいけれど。市街地からわずか10分ほど山にあがったところで、小さな池にメダカと10センチくらいの小魚を見つけました。おにやんま、からすとんぼなども久々に見ることができて、ウキウキした私。青カエルがそこここの雑草からぴょんぴょん飛んで行くのを見るのも久しい。SOTAは虫が苦手だけれど、バッタを手でつかまえることができるようになりました。とんぼも触ることができました。日頃つい小言を言ってしまう私も、言う前に言葉をごっくんと飲み込んでから、子供と接することができたような気がします。心に余裕ができると(豊かになると)、きっと子育てももっと楽しくなるんでしょうネ。もっともせわしい横浜での生活があればこそ、田舎で過ごす時間が宝物に感じられるのだろうけれど。(2003.08.23)

 

びっくり仰天、目がテンテン

 SOTAが目を細めてものを見るようになってきたので、ヤバイかもと思いつつ、眼科へ検診に連れて行きました。6月頃に測ったときは0.6と0.7で、これ以上悪くなるとメガネかなぁと思っていました。ところが、今回は0.1と0.2。一瞬『えっ?』と先生の言葉に耳を疑った私。先生によると、小学生から中学生にかけてどんどん成長していくので、身長がのびていくのと一緒でヒトミも大きくなっていくのだとか。その過程でぼやけてしまうものだから(学校近視っていうのかな)、親が大騒ぎしてはいけないョということでした。もちろん近視にならない子もいるし、環境が原因の一つもあるだろうし、たいてい遺伝が関与しているとされるけれど、因果関係ははっきりとわかっているわけではないみたい。近視は治らない。でも、親が騒ぐと子供はそれがトラウマになってしまうから、本人が支障が出てきてメガネを必要だと訴えてくるまでは、自然まかせで過ごして良いのだとか。最新設備のある眼科だったので、詳しく調べてもらうと、父親ゆずりの逆さまつげでもありました。2,3本目に向かってまつげが伸びているとのこと。ただ、眼球は傷ついていないし、逆さまつげをとるにも本人は嫌がるだろうから、今はとらないョということでした。あくまで自然にと言われても、帰る道2人で歩きながらシュンとしていたのか、SOTAは『飛行機が見えるよ』と言って、親に気をつかっていました。考えてみれば、私は高校時代から0.1と1.0という変な視力をしています。左が0.1なのだけど、左で見るとたしかにぼんやりとだが飛行機が見えました。普段は視力の良い右目が殆どを見てくれているのです。まあ、生活するには大丈夫そうかな。親に気をつかうSOTAが可哀相。いつも通りで行きましょう!(2003.10.11)

 

す・な・お

 最近SOTAはどこからか熟語を覚えてきて、どんな意味かよく聞いてくるようになりました。昨日は「長所」と「短所」。『みんなそれぞれ良いところと悪いところを持っていますから面白いんだよ』と言うと、『ボクの長所と短所は?』と我が子。『長所は明るくて、元気で、いつもニコニコしていて、優しいところかな。短所は・・・う〜ん、思いつかないなあ・・・(しばし考える)・・・お母さんはそのままの貴方に大満足していますから、短所は思いつかないなあ』と言うと、SOTAの目がキラキラ。『ほう〜っ』と思う私。やっぱり良いことを言うと、子供って率直に喜ぶんだ。・・・などと当たり前のことを改めて思い、『どんな友達でもみんな長所があるからね、例えばなかなか友達になれないなって子がいれば、その子の良いとこ探しをしてごらん。そしてね、良いことが見つかったら、必ず褒めてあげるんだよ。そしたらね、心が近づいていくから。』SOTAはにこっとして、『うん、そうする。友達がうんと増えるね』と。子供は素直・・・ このまままっすぐ育って欲しいな。(2003.12.06)

 

お初の日本棋院

 東京・市ヶ谷にある日本棋院へ初めて行ってきました。朝7時前に家を出発し、9時前に到着。寒かったぁ〜〜〜 日本棋院は年期のはいった建物、掃除が行き届いてなくて埃っぽい。コンセントに埃がいっぱいたまっていますのを見たときは、火事にならなきゃいいけどと変なところで心配してしまった私。・・・なぜ日本棋院に行ったかというと、マクドナルド杯ジュニア囲碁大会にSOTAが参加するため。400名くらいの小・中学生が参加したようです。今年で5回目。棋譜カードには15戦分のマスが作ってあったけれど、最初の5戦で昇級が決定。4勝以上でないと昇進はないそう。今回は厳しい。SOTAは昨日囲碁スクールで7級になったばかりでしたが、本人のたっての希望で棋力を7級に変更してもらい手合いすることに。申込み時は9級でした。クラスは6〜8級。SOTAはどうもプレッシャーに弱いらしい。初戦は勝ったものの、その後2敗、結局5戦中2勝3敗となり、それでも7級の認定状をもらうことができたので、本人は満足気でした。午後3時までに12戦することができ、結果的には8勝4敗。いい勝ちっぷりなのに、前半に力を出し切れなかったのが残念。中学生とも対戦して勝てたのは自信につながったようです。帰宅しても碁盤の前に座って棋譜並べをしています。本当に囲碁が好きみたい。こんなに熱中できるものがあることだけで、SOTAには大いに期待してしまう。親バカだけど、このひたむきさ、一人の人間として見習わねば・・・と思うのです。(2003.12.14)

 

サンタ発見?!

 今日は小学校の修了式。午後から職場へ連れて行きました。夕方帰宅して、玄関の鍵を開けようとしたら何か物音がしたような気がし、『何か聞こえなかった?』とSOTAに尋ねると、ちょっと怖がった様子。『気のせいかな』と言いながら、家に入り、いつも通りにリビングへ。『おお〜っ!』という私の叫び声に、SOTAは何事かと思い、母親の目線の先を見やって『あっ!』と悲鳴に似た叫びを上げました。『あれは何だ!?』と私が叫ぶと同時に、彼はダダダッとクリスマスツリーの下へ駆けて行きました。ツリーの下にSOTAの上半身くらいの大きな袋が横たわっていました。サンタクロースのカードが着いています。『さっきの物音はサンタさんだったんだぁ!』と再びすっとんきょうな声でわめく私。SOTAは『顔見れなかったよ』と叫びながら大きな袋へ近づいていきました。袋を少しだけ開けて何が入っているか確かめるSOTA。『おお〜っ!』と感嘆たる声。『ガッシュベルのカードだ!最強だぜ!』と興奮気味な声、『本が2冊もあるよ』『冬休みに読めってことかな』『なんか先生みたいだ』『今日来たサンタさんはもと先生だったかも』『おお〜!』私はSOTAの叫びに袋の中を覗きました。『日本棋院だ、依田名人の扇子だ!カッコイイ!最強だぜ!』他にも自分で組み立てる飛行機や、シャベルカーのセット、バドミントンセットがありました。『でも、どこからサンタさんは入ってきたんだろう』と首をかしげるSOTA。あちこち窓を確かめる。私はデジカメを持ってきて、『記念撮影しよう』と叫びました。SOTAはニマニマ笑いながら、プレゼントを一つ一つ持ってはポーズをとりました。『今年のクリスマスは最強だよ。でも脚付碁盤はなかったなぁ』・・・なんつぅ、欲張りな・・・口の端をヒクヒクさせながら、デジカメのシャッターを押した私。こうして今年も暮れるのでした。あー、ヤレヤレ。(2003.12.24)

  

車の好みいろいろ

 この度車検にまわす愛車は6年ほど乗っています。私には4代目の車。免許とりたての頃は三菱のミニカに乗っていました。スピード感のある男性的なブルーで、フツーの二十歳そこそこの娘は選ばない色と言われました。次がスズキのアルト。これはオフホワイトだったけれど、限定車で乗っている人はあまりいなかったですね。3代目は広告代理店に勤め出した頃に買ったシトロエン。田舎で外車、とりわけフランス車の左ハンドルっていうのは結構目立った存在。結婚して横浜に来たとき、オットがシトロエンの運転席に狭くて入れず、運転はいつも私だったことから、『こんなことでは疲れる!』と叫び、現在乗っているトヨタのRAV4に変えてもらったのです。RAV4より前はすべてマニュアル車。横浜は傾斜のきつい坂道が多くて、マニュアルでは坂道発進が怖くなり、オートマに変えてしまいました。15年くらいマニュアル車に乗っていたけれど、オートマより車らしく感じられて私は好き。オートマは女性的で、マニュアルは男性的なイメージがあります。マニュアルのほうがブオォォォ〜ンッ!と加速する時にかっこいい。職場に唯一のマニュアル車があって、ほんのたまに乗ることがあるものの、年代モノなのでなかなかエンジンがかからず、おっかなびっくりで運転しています。エンストを体験できるのもマニュアルならでは。平坦な道の多い地方へ転勤にでもなったなら、またマニュアル車に乗ってみたいナと考えています。スライド式のドアでハイブリッドがいいな。しかし、こうして振り返ってみると、人目をひく車を乗っていた私って結構な目立ちたがり屋なのかも・・・ RAV4を選んだのは、結婚を機にフツーの人でいいやと思い始めたせいなのかもしれない。(2004.01.17)

 

幼稚園の思い出

 幼稚園の壁画に描かれた卒園制作(2002年)。クラスの子供たち全員が遠足で行った「ズーラシア動物園」の動物を描いたもの。これは後に担任へのプレゼントで作成したCDのインデックスに使いました。子供の絵というのは純真ゆえか、胸打たれることが多いですね。壁画は園の前を通れば見ることができるので、その都度懐かしく、いつまでも残っていて欲しいなと願ってしまいます。今年もまた壁画制作の時期がきました。SOTAたちが描いた壁画は色落ちしつつあります。そのうち塗り替えられるのでしょう。デジカメで撮影しておいたので、プリントアウトして額装し、部屋に飾ろうと考えています。(2004.01.22)

 

JAZZ喫茶

 最近喫茶店に行くようになって、独身時代にせっせと足を運んでいたJAZZ喫茶を思い出しました。20代半ばから結婚直前まで、車で小1時間かけて通っていた喫茶店です。夕方6時から深夜0時までの営業で、マスターは80代。いつもイタリアの服を着て帽子を浅く被っていました。粋で洒落た人でした。パチンコ屋の2Fにある「ウェザー・リポート」はとても静かで、時間がゆるやかに過ぎていき、私はハードなジャズと珈琲に酔いしれて過ごしていました。週に2,3回仕事帰りに車を飛ばし、閉店まで居座っていた私。マスターは若い頃船乗りになりたかったそうで、店内は船底のイメージで作ったとか。サイドテーブルや壁にかけられた雑貨はマリン・グッズ。ソファはどっしりと深く腰をおろすことができます。一度座ったら立ち上がるのが億劫になるほどでした。店内にはいくつかスピーカーが置いてあって、中央にガラス張りでレコードとアンプの部屋が設けられていました。湿気の多い土壌のため、非常にデリケートにレコードたちは保護されていたのです。普段はスタンダードなジャズも流れていましたが、月に一度、フリージャズがパチンコ屋の音に負けないくらいの音で流れる日がありました。その音楽を聴く人だけが店に残って聴かせてもらえるのです。体も頭も受け入れられない人は店を出て行きます。店の外まで響き渡る音。この時にだけ使うスピーカーから流れるフリージャズの世界、頭で聴くのではなく全身で聴いてしまう迫力がありました。音楽というより音、脳裏に砂漠や砂嵐の映像が流れるのです。ある種狂気じみたこの音は芸術的でした。あの頃、私はいつも何かに飢えていて、常に何かを欲しようとしていましたた。この店のジャズを聴くことで仕事ができたし、仕事をするためには一風変わったこの店の音楽が必要だったのかもしれません。感性の世界に身を置いていたいという望みが欲求となって、仕事にも反映できていたあの頃。この頃の感性は、結婚してからすうっと遠のいてします。田舎に帰った時にまた車を飛ばして行こうと思いつつ、思うようにならずにいたのだけれど、昨夏やっと実現したら、店は閉まっていました。噂でマスターが老齢にして東京に出て行ったと聞き、都会であの「音」を聴く機会に出会えるかも・・・と、ときめいた私。(2004.01.25)

 

絵の好きな女の子

 Leonard Weberという画家の絵を観る機会がありました。絵の鑑賞などどれくらいぶりでしょう。一目見て吸い込まれてしまい、ずうっと魅入ってしまいました。どの作品も横長のキャンパスに、自然と建物が調和した風景が広がっています。とても落ち着いた雰囲気と色使いが特長。3,4点作品を観ましたが、「アナポリス/メリーランド州」にもっとも惹かれました。眺めていると、自分がその風景の一部のような気になってくるのです。絵の中に入って行きたいと思ってしまう。大きな作品を一つリビングに飾りたいなぁと憧れながら、財布の中が淋しくて現実に引き戻されてしまいました。(2004.01.22)

 小学校にあがった頃から絵が好きでいろいろ描いていた私。お小遣いをもらうようになって、「りぼん」や「なかよし」などのコミック月刊誌を買うようになると、いがらしゆみこの『キャンディキャンディ』などいつも写して描いていました。同じクラスに『ベルサイユのばら』が好きな女の子がいて、彼女もまた写し絵のうまい子でした。彼女はのちに漫研や演劇部に入ってその才能をいかんなく発揮したけれど、私は外へ向かって描くことはありませんでした。20代に油絵を習ったこともあったけれど、時間がうまくとれなくて1年ほどで止めてしまいました。唯一の作品が着物姿の女性像でしたが、未完成のまま実家の壁に飾られています。何となく気乗りせず、しばらく自ら描くことはしなくなったものの、美術雑誌を眺めたり、美術展や画廊にはよく足を運んでいました。マティスの版画を手に入れたのもこの頃。この版画は今は我が家の玄関に掛かっています。広告代理店に入った頃から必要に迫られてイラストを手がけるようになりました。そのまま仕事を続けていればスケッチブックの前に居続けたと思いますが・・・ 先日パソコン部屋の掃除をしていたら、結婚する時に持ってきた画材が出てきました。懐かしくて、ちょうどLeonard Weberに出会ったのもあって、そろそろ絵を描こうかなと思い始めています。今日出来上がったSOTAの幼稚園の卒園制作・壁画の額装を眺めながら、やっぱりこういうモノに囲まれているのが好き。アートが好きなんだナ。(2004.01.31)

 

風呂嫌い、風呂好き

 オットはお風呂に週の半分入るか入らないかの面倒くさがり屋。バッチィから風呂に入ってくれと詰め寄ると、『風呂は嫌いじゃないよ』とヘラヘラ笑って言っています。夏は汗をかくから、1日入浴しないだけでも髪の毛が脂ぎっています。それでも入らないのです。『髪はテカテカして見た目にも汚いし、髪がべったりするから頭が薄く見えるし、体も臭くなって周りが迷惑!部屋も臭くなる!』と一度言ったら、逆ギレされてしまいました。本人は体臭がわからないものなの??? 週に2回くらいしかお風呂に入らないから、オットの入浴後は風呂場が汚れています。抜け毛は多いし、シャンプーの泡のかたまりのようなものが排水溝あたりに落ちていて、最初の頃は掃除をする度にまゆげがヒクヒク動いてしまった。もちろんオットの後でお風呂には入れないから、母子は先にお風呂をすませています。不思議なのは里帰りするとちゃんと毎日お風呂に入ること。こういうところでも「ええかっこ」しています。家でも身奇麗にしてくれぇ〜! 先日SOTAが『お父さんが来ると臭い。お風呂に入ったの?』と言いました。一瞬私の口は「へ」の字になりオットの様子を伺ってしまったけれど、『そうかぁ?臭いのはSOTAじゃないかぁ? またオナラしたな〜』とかわしていました。その夜遅くシャワーの音で私は目が覚めました。オットがお風呂に入っていたのです。ふ〜ん、子供の言うことは効くんだな。しょっちゅうSOTAに突付いてもらおうっと。

 一方、私は風呂好き。田舎にいた頃は週末温泉に行っていました。地元・皆生(かいけ)温泉は車で15分。露天風呂に入って、湯上りにビールを一杯。冬になると寒さが厳しいので、自宅の風呂に日に2,3回も入っていました。雪が降り始めると、お風呂の窓を開けて湯船に熱燗を乗せキューッと一杯。これがたまらなく美味しい。雪見酒、なんと風情あることでしょう! お風呂に入りながらラーメンをすすったこともあったっけ。そういえば冬はよくお風呂でご飯を食べていました。窓から牡丹雪が入ってきて、ご飯や味噌汁の中に落ちたこともあるのです。これがまたたまらなくいい。クーッ! おかげで長湯して気分悪くなりヘナヘナになったことも・・・遠く懐かしい思い出。今では「親」ゆえ子供にヘンなところは見せられず、お風呂で食事などはしなくなりました。また風情のある雪見酒もまるでなし。雪が降らないんだもんねぇ〜 せめて雪見酒はしたいもの。(2004.02.01)

 

オットさまさま

  オットはパソコンで人生設計をしています。エクセルで結婚から晩年までのスケジュールを作り、概ねそれに沿って生きています。何歳ぐらいで家のローンを返済し終わるとか、子供の教育費にこのくらいかかるだろうとか、きちんと計画しています。私がそろそろ車の買い替えかナと密かに思っていても、オットの予定では数年後なので、それまでは買う気がないみたい。こういうきちんとしたオットをもつと、女房は大雑把で金喰い虫だったりします。彼の人生設計をずりずりと狂わせているのは私。自分のお小遣いを増やすためにチビチビと稼いでいるのに、ちーっともお金が貯まらない。お金を使いすぎてる感はないのに、毎月生活費が足らず私のささやかな貯金を引き出しています。オットは生活費を余分にくれることはない、非常にキビシイ人。それゆえ、家のローンが着々と繰り上げ返済でき、かつ貯蓄も少しずつできているのでしょう。オットさまさま・・・かな。それでも、このオットについ最近まではストレスがたまって(バチアタリかしらん?)、飲み会で発散していました。現在は私も心を入れ替え(?)なるべく貯金しようと頑張っているので、ストレス解消は月1回の友達とのランチでおさまっています。私はオットが作った線路の上をひょろひょろ歩き、時々はずれてどこかへ行きそうになると、引っ張って連れ戻されるのです。オットの手のひらでグルグルまわっている猿みたい。う〜ん、いいような、悪いような・・・


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