小人閑居して不善をなす

E0(エネミー・ゼロ)によせる
不満と期待


というわけで、この「作者のお言葉」のコーナーでは、
毎回異なる"お題"について、作者が好き勝手なことを言うページです。
特に今回の場合、お手軽アドベンチャー「イソディ・ジョーンズ」のあとがきの要素もあります。
 プレイがまだの方は、ぜひともゲームを楽しんでみてください。


いきなりだが、「エネミー・ゼロ」の話をしたりする。
 昨年12月13日の発売以来、売り上げも好調なようで、嬉しいことでございます。
 このゲームは非常に面白かった。 だからこそ、あえて私は不満なのだ。
 まず、難易度が高い。これは個人差があるだろうが、私には難しすぎる。セーブの回数制限もつらい。結局重要なストーリーの流れを阻害しているように思うのだが。
 これは、まあ、私がゲーム下手だからと言われればそれまでだ。
しかし、しかしだ!
 ゲームを進めるのが非常に難しいので、肝心のストーリーよりもエネミーを倒すことに夢中になってしまう。実際、私は現在ラスト直前(だと思う)で、どうにも先に進めない。
 これで、好き勝手なことを言うのは、どうかと思うが、ちょっとクリアーできる日が遠くなりそうなので、先に書いてしまっている。申し訳ない。
 とにかく、ゲームが難しい!
 おそらくは、ラストでは結構感動させてくれると思う。自分の記憶に残る数少ないゲームになることは、現在の段階で決定している。
 しかし、ゲーム進行の辛さから、1度終了したら、2度とプレイはしないと思う。
 そこが、難点だ。まあ、もはや3回もやり直しているから、十分にストーリーも咀嚼できているのだが。  ラストまで行くと、ストーリーだけを見ることのできるモードがあるのかなあ。
 それだったら、10回は見るだろう。
 最大の不満は、主役であるドラマにある。
 「さんざん苦労して会いに行ったデヴィッドを、速攻で殺しておいてドラマもねえだろ。」とは言うまい。
 それにしても、ちょっとストーリーが急ぎすぎていたような気がする。
 あえて、説明不足にして、こちらの想像による補完を期待してのことだろとは思う。  それにしても、
 「デヴィッドの死」
 「デヴィッドがサイボーグであることが発覚」
 「さらに自分もサイボーグであることが発覚」
 「同時に、エネミーが自分の身体に寄生していることまで発覚」
 と、立て続けでは、こちらが消化不良を起こしてしまう。
 もうちょっと、こちらに気持ちを整理する時間を与えて欲しかったと思う。

まあ、これだけ不満が出るのも、「E0」が素晴らしい作品だったからだ。  ゲームというメディアが、
映画や小説、マンガに迫るドラマ性、
 そして、新鮮な驚きと感動を私たちに与えてくれる可能性を見せてくれた。
  この作品は、歴史に残る。そう断言したい。
 インタラクティブ・ムービーというジャンルが定着する可能性だ。
 同時に、インタラクティブ・ムービーと言うからには、マルチエンディングは捨てきれない。
 「E0」には、その点で不満もあるのだが、彼のメッセージをより強く訴える手段としては、マルチエンディングを不向きだったのだろう。
でも、捨てて欲しくなかった!
 マルチエンディングこそ、インタラクティブ・ムービーの王道ではないのか?
 それを確信させてくれた作品としては、
 チュンソフトの「弟切草」や「かまいたちの夜」(亜流多数)がある。
 こちらのマルティエンディングに対する挑戦は素晴らしいの一言だ。
 さすがに、いくつかのシナリオでの話の矛盾は散見するが、これについては今は何も言うまい。
 チュンソフトの挑戦を私は高く評価したい。自分でゲームを作ってみてよく分かった。
 結局のところ、拙作「イソディ・ジョーンズ」(すまん、まだ制作中)も、亜流のひとつに過ぎない。
 それどころか、かなり幼稚な模倣に過ぎない。そこはそれ、今後に期待して欲しい(今後も作ります)。
「ドラマ性を破壊しないマルチエンディング」
 これは、現在の私が挑戦するゲームのテーマだが、「弟切草」がかなり近い位置にいる。
 それを模倣しつつ、私が狙ったのは最終的にイソディ・ジョーンズが何者であるかを決定するのは、プレーヤー次第というものだ。
 あのゲームで、イソディは、
 冒頭の通り、「考古学の助教授」
 「ボディガード」
 「スプリガン(すまん、適当な言葉がない)」
 「泥棒」
 に変わっていく。それを決めるのは、プレーヤーの選択(あるいは希望)だ。
 単純ながら、
「自分の未来は自由に選択(希望)できる」
 このことを、私は伝えたかった。(飯野氏流ですな)
 こういう喜びは、現実で味わうのがベストなのだが、まあ、実際にはとても荒唐無稽な展開(いきなり超能力者になって世界は救えない、というレベル)は期待しようがない。
だから、ゲームで実現する。

 究極の野望は、RPGだ。
 うんざりしないでくれ!今のRPGじゃないぞ。シナリオ通りにイベントをなぞるのがRPGではないはずだ。
 もっと自由に、自分の好きなようになんでもできる世界の創造。
 これだよ。
 「ウィザードリー」は、シンプルな分かなりの自由度があった。
 単にワードナを倒すゲームではなかったことが素晴らしい。
 ワードナを倒してあのゲームを終了したと思った人って、いなかったんじゃないだろうか?
 現在のゲーム機、コンピュータの能力なら、もっと凄いことができる。
人は誰だって、気付いた時にはすでに此処にいた。
 何をするかは自分の自由。それって、とても凄いことだ。
 考えただけで、胸がワクワクしないかい?
 RPGの面白さはここにあると思う。
 自由は、反面「不確かなもの」でしかない。
 「目的」がないと、物語は始まらない。
 それを、「誰か」に与えてもらうのではなく、「自分」で見つける
そこに面白さがあるゲームを!
 これが、私の野望のひとつ(たくさんあります)だ。

 

どうして、肝心のゲームもまだ出来ていないのに、あとがき(前書きだな)を載せてしまうのか?
 それは、メンバーを集めたいからだ。
 残念ながら、私にはプログラムの知識がない。
 やりたいことは前述の通りだが、プログラムも書けなければ、絵も描けない。
 だから、一緒にゲームを作るメンバー募集!
 もしも、このページを読んで、共感していただけた人は、ぜひとも、私と一緒に凄いゲームを創ろう!
 もちろん、シナリオ参加もok!
歴史に残るような凄いのを創ろう!

 すべては「イソディ・ジョーンズ」を見てから決めて欲しい。
 公開はずばり2月1日!
 このゲームに何らかの可能性を感じた人は、ぜひ名乗りを上げて欲しい。

 ・・・なんか、凄い前宣伝になってしまった。
 最後になりますが、このコラムに対するご意見(反対意見大歓迎)、凄いゲームのアイデアをぜひ効かせてください。

メールは下記まで FQ7K-TRI@asahi-net.or.jp