小人閑居して不善をなす

最後のフルCG映画

劇場版『仮面ライダー アギト PROJECT G4』を見た。
予想はしていたんだが、ガキが多い。
それは覚悟の上で見に行ったし、ある程度は我慢しようと思ったが、
最後の最後でブチ切れた。まったく大人げない。
そもそもガキ向けの映画にしては、予想以上に面白かったせいだ。
(ある意味、大人が喜ぶガキ向け映画は失敗作だと思うが)
ガキ的には「アギトが暴れてればOK」 だろうから、
大人の鑑賞に耐えるストーリーにしちゃってもいいかな。
そんな作り手の思惑があるのだろうか。
本当にそれでいいの?
ま、TVシリーズの方も人気あるみたいだし、商売になるならそれでいいか。
で、本題は「FINAL FANTSY」である。
かつて、絶対に俺は見ないと断言していた「映画」の方ね。
それはさておき、「映画版FINAL FANTSY」本編前の予告で、
アメリカのどっかの会社(ピクサーとかそのへんだったかも)
制作のフルCG映画の予告があった。
すげー面白そう。
いわゆる、日本でも有名なおとぎ話をぜんぶごった煮にしたような作品。
フルCGだが、人間もデフォルメされたコミック調。
(わりとリアルに作り込んであったが)
ストーリーからして「大人も子どもも楽しめる」系だが、
やっぱしフルCGで映画やるなら、コレだろうと思う。
それにしても、なんか意図があってこういう構成にしたのか?
だとすれば、すごい皮肉だ。

というわけで、本題。
俺は昔から、「アニメ」とか「特撮」っていうのは、
ネタのばれた手品だと思っていた。
だから、プロの手品師がそうであるように、騙すためのテクニックがとても重要なわけだ。
「タネも仕掛けもありません」という明かな「嘘」という高いハードルを越して、
「驚き」であるとか、「感動」を与えなければならないメディア だと思う。
はっきりいって、作るの辛い、と思う。
さらに言えば、SFとかファンタジーというジャンルも、同様に「ネタのばれた手品」で、
作るの辛い、と思う。
だから、「映画版FINAL FANTSY」は、2重に作るの辛かった、と思う。
作り手の苦労と努力がとてもよくわかるので、とりあえずその「チャレンジャー精神」は高く評価する。
お金払って見た観客としては、
「ネタのばれた手品」をえんえんと見せるという行為が、ただの詐欺行為であることを知った。
それはいい。映画はそもそもそういう性質があるから。
問題なのは、それが2時間近い時間になると、拷問に匹敵する苦痛となるってことだ。
もはや言うまでもないことだが、途中で寝た
思いっきり素面だ。
所詮フォローにもならないので、別に褒める必要もないんだが、
CGで作った人間、凄かったねえ。肌のシミまで再現するこだわりには脱帽する。
表情も比較的控えめなものではあったが、よく動いていたし、感情も表現されていた。
ボーっと見ていると、本物のような気もする。
CGってのも極めるとここまで行くんだね。
と、まあ、そんな感じ
あと、このためだけでも、とんでもなく費用がかかったんだろうな、と。
その費用って、もしかすると、ハリウッドのトップスター起用するのと同じくらいかかったのかな?
だったら、人間起用して
これは、『スターウォーズ エピソード1』でも思ったのだが、
CGって、「汁っぽい」表現が苦手だと思う。
例えば、汗とか唾液なんかの、体液系の表現。
別に、ジャバ・ザ・ハッドが「汁っぽい」必要ないんだが、俺はそう感じた。
昔の着ぐるみの方が本物らしかったと思う。
しかも、ジャバ・ザ・ハッドとか、エイリアンなんかの怪物系はまだそれらしくできても、
人間の汗とか涙、そういう「汁っぽさ」はとても難しいと思う。
俺が一番気になり、まったく感情移入できなかったのは、そこが理由だと思う。
あらゆる場面に言えることだが、「映像に力がない」。
驚きもないし、感動的でもない。
その辺の理由も人間が描けていないことに起因していたと思う。
「FINAL FANTSY X」の方はかなり「力のある映像」だったのに。
つまり、CGで感動とか驚きを伝えるのが無理ってわけではない。
だいたい、CGでいまだに驚きがあったのは、FF7のオープニングだ。
PS2なら、リアルタイム処理でも再現できるレベルのCGじゃない?
解像度とか、ディティール再現でどうにかなる問題じゃないんだろうな。

現代の日本では、二足歩行のロボットが真面目に開発されていて、
その技術力は世界でも評価されているんだろうけど、実用的なのかどうか?
奇しくも、坂口監督が絶賛したというコミック『MOONLIGHT MILE』2巻で、
宇宙開発用にNASDAが二足歩行のロボットを開発するエピソードがある。
紆余曲折を経て完成した実用機は、四足歩行。
多分、これが合理的なんだと思う。はっきり言えば、足を付ける必要性さえ疑わしい。
なんというか、無駄に高い技術力
その技術力を他に向ければ、もっと有効なものができるような気がする。
ロボットはまだ結論が出ない。等身大なら有効性も実用性もあると思うし。
だが、CGで本物そっくりの人間を描く技術は無駄だ。
だからこそ言おう。「最後のCG映画」だと。
「映画版FINAL FANTSY」のようなCG映画はもちろん、次回作も追従作もでない。
作る意味がないから
人間がやった方が、はるかに楽だし、その分の費用を他に使えるから、作品の完成度も上がる。
CG技術のレベルを発表するという意味においてのみ評価されるものだから、
まったくエンターテインメントではない。
「ここまでできるんだ、すごいね。でも、本物にはおよばないね」
これが結論。結論がでた以上、ここから先の努力は無意味。
ただし、CGおよびCG映画を否定するわけではない。
「FINAL FANTSY X」だとか、余談で出たアメリカのフルCGとか、
CGには無限の可能性がある。
セルアニメとも、実写とも違う、別の表現手段なのだ。
これさえ間違えなければ、傑作はいくらでも生まれると思う。
万が一、映画版第2作を作るようなことがあるとすれば、
「人間は本物を使ってね」
「シナリオもなんとかしようよ」
という感じ。

実際のところ、俺はFF7あたりで、すべてのプレイをビデオに録画して、
それをうまいこと編集したら、さぞかし面白い映画になるのでは?
と思っていた。
が、それが「映画版FINAL FANTSY」なのかと思うと、かなり凹む。
これは昔の話だが、RPGなんかの「感動的なドラマ」は映画にくらべりゃとんでもなくチープ。
ただ、プレイヤーとして物語に参加するインタラクティブ性という奴のおかげで、
映画に匹敵する感動を得ることも可能だ、と。
これは、今では半分くらい間違いだと思っていて、
「FINAL FANTSY X」はムービーにしても面白いと思うよ。
ドラマ自体の質はかなり近いものになっていると思う。
俺は、かなり感動したし、落涙しかけた。FF7以降では一番面白かったことは確か。
最後の最後だけちょっと異論もあるんだけれど、これも答えが出ていない。
そのへんはさておきとして、
映画にしたらどんなに切りつめても8時間40分くらいになりそう。
つまり、TVシリーズ26話ぶんね。
通しで13時間の内容にしたら誰も見ないはず。TVシリーズにするなら、構成からなにから全部作り直さないとダメ。
というわけで結論。ゲームと映画も別物
それぞれにエンターテインメントなんだけど、それぞれ別の面白さがある。
「映画版」のシナリオをゲームにしたら面白いのかな? という疑問もある。
これもダメだと思う。
実際、アクションもパーティ構成によるバトルって感じじゃないし、
魔法も使わないし召喚獣も出ない(笑)
それはどうでもいいんだが、それを含めて「映画」として割り切ったのなら、
8つの精神体だかなんだかを探すとか、よけいな設定も不要だったんじゃない?
坂口監督にそこまでの意図があったのかどうかは不明だが、
「ゲームのテイストを持った映画」という方向では大失敗
ハイレベルなCGによって、人間の感情までも表現するという方向でも大失敗
(現在すでに何本もあるゲームを原作としたアニメ作品の方向の方がまだマシ)
これが「次回作」(もちろんゲーム)で生かされるのかどうか。
っていうか、「FINAL FANTSY X」で十分生かされていると思う。
とんでもなくハイクオリティーになったムービーを見ていると、
映画で目指したリアルにはほど遠いけれども、
むしろ映画版より「本物っぽい」
アニメとも違うが実写とも違う。このへんの微妙なところがCGの面白いところではないかと。
その意味では、「FINAL FANTSY X」の方が、究極のCGの完成形の一つと言い切れる。

ついでに、「FINAL FANTSY X」は「ゲーム」としてのドラマもほぼ完成形の一つと言い切れるんだが、
本当にこれが最後なの?
ネットワークゲームになっても、こういうドラマを成立させられるの?
できるのならば、それは凄いことなんだけど、果たしてどういうものになるんだろう?
いろいろな意味で、次回作が気になるところだ。

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