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								小人閑居して不善をなす 
 
								かくも長き不在
 
 
								前置きもないまま、なんとなく松岡圭祐センセの話なんだけど、「催眠」の間接的な続編である「千里眼」が映画になるねえ。
 これはこれで見たい。しかも、「千里眼」は3部作だって?
 そんなの、誰がいつ決めたのよ?
 いつの間にか、第2部である「千里眼/ミドリの猿」が発売されて、
 それ読むと、第3部「千里眼/運命の暗示」ももうすぐ発売ということらしい。
 「千里眼」自体、どちらかというと映画版「催眠」の続編って感じだったんだが、
 いよいよ出たね。「ミドリの猿」が。
 やっぱし、インパクトあったからねえ。
 これについては、「千里眼」が完結ししだい、いずれなんか書くと思う。
 そう言って、書かずに放っているネタがいくつあると思っているんだ?
 それはさておき、前に「催眠」について書いたときにもちょっと触れたけど、「グラディウスIII」やってる?
 これ、今回の本題なんだけど、いちいち「グラディウスIII」の説明しないよ。
 だから、知らない人は読んでもつまらないはず。
 特に今回は、全国の「グラディウス野郎」ためだけに書いているので、
 興味ない人は「さよなら」ってことで。
 
 恐ろしいことに、ようやくPS2で完全移植なんだから恐れ入る。実際のところは、どうなのかなあ。プレステでも完全移植はできたと思うけど。
 ピン(1作のみ)では、売れないって判断なのかしら。
 カップリングされている「グラディウスIV」の方は、PS2でないと完全移植は難しいだろうと思うので、
 結果的には、ナイスな判断だったような、もっと早く出して欲しかったような。
 だって、1989年のゲームだぜ。
 確か、スーパーファミコンが出たばかりのときのキラーアプリだったんだぜ。
 ま、あれは、巷じゃ「ニセIII」と呼ばわれりされているアレンジ版だけど。
 そんでも、みんなハードごと買ったはずだ。
 で、その後、10年の不在。
 もちろん、秋葉原のゲーセンやら、各地のゲーセンで時々姿を現していたので、
 まあ、本当に長く愛されてきたのねえ。
 実際問題、俺と少なくとももう一人は、「グラIII」のためにPS2を買った。
 (そいつは、「グラIV」をプレイする気はないらしい)
 PS2自体は、ゲーム機どころか、DVDプレーヤーとしても使えるし、
 なにせ、可能性だけは無限の新ハードだから、
 どういう理由で買っても損はしないと思う。
 今すぐに買う必然性もないんだけど。ゲーム機としてはソフト少ないしね。
 少なくとも、年内は不要? 「ドラクエ」も「FF」もプレステ用だし。
 
 それでも、俺的には「グラIII」がある以上、PS2はゲーム機なわけ。たまらないぞ、最新鋭のハードで、(グラフィックの質としては)スーファミ並みのゲームをやるのは。
 「リッジレーサーV」とか、プレイした後だと、脳が揺れるよ。
 プレステのソフトやるよりインパクトがある。
 プレイしていると、当時の思い出まで甦ってくるからすごいね。
 当時の思い出はさておき、俺もシューティング好きとかいいながら、
 プレイするときは難易度一番下でプレイしちゃうんだけど。
 「グラIII」の場合、それはつまらない。
 もしかすると、あの激烈を極める難易度ごと「グラIII」なのかもしれない。 俺の場合、多くの人がそうであるように、アーケード版は3面ボスが倒せずに終わったクチなんだが、
 PS2版で難易度最弱にすると、そいつチョロいのよ。
 パターン使わずに、力ワザで倒せるんだから笑う。
 やっぱ、それじゃいかん。
 おかげで、難易度をアーケード並みにしたら、3面クリアできねえ。
 (一応、今はクリアできるけどさ。)
 すでにPS2版をさんざんプレイしていたのだが、改めて「グラIII」やってる気になった。
 このきっかけは、俺の友人と「グラIII」の話をしたときに、
 「己のプライドのかけて難易度ノーマル以下ではプレイせん」との言葉に感銘を受けたため。
 いいこと言うぜ。まったく。おかげで余計な苦労しているぞ、俺は。
 ちなみにそいつは、俺の「グラIII」師匠。さらにその師匠もいる。
 師匠の師匠は、やすやすと1周できる腕前の持ち主で、
 すでに俺には手の届かない存在だが、
 話によると、3周目以降もプレイできる「神の領域」に達している人もいるという。1コインで10時間以上プレイしてたらしい。
 (ま、無敵とか永久パターンとかもあるらしいから、3周できれば「神」ではないと思うが)
 すでにここまで読んでいる人には、釈迦に説法なわけだが、
 「グラIII」で、一度シリーズが終結した理由は、
 ほぼ同時期にシューティングが斜陽化した時代的な要因。
 「無敵」および「永久パターン」発覚のため、アーケードの寿命が短命に終わったこと、
 「詐欺判定」をはじめとするバグがやたら多いこと。
 (そのいくつかはきちんとPS2版で移植されているらしい。)
 などなど、あまりイメージの良くない理由もいくつかあるが、
 それでも、最大の要因は、熾烈な難易度にあると思う。
 それゆえ、それまでの多くのファンを失いながら、
 しかし! 今だに愛され続けることになったのではないだろうか。
 「グラIV」=「グラIIのバージョン'99」とは、俺と俺の友人の共通見解だが、
 それでも俺は、ゲームとしてのバランスは「グラII」がベストだと思うので、それは正しいと思う。
 が、それでは歴史に残らないんだよなあ。何故か。
 いや、歴史には残るんだけど、10年の時を越えて再びプレイする気になるかどうかは自信がない。
 極論すると、他者がその才能を認める凄い人達が、「お客様のことなど因果地平の彼方へ追いやり、自分たちが好きなように作ったもの」が、長く愛される理由のひとつになるのではないだろうか。
 もちろん、お客様の認識力(またはプレイ能力)の範囲内でも十分に楽しめる内容を持っていることが前提になっているが。
 これって芸術の領域? それともタダのマスターベーション?
 どっちでもいいんだけど(判断はその人次第だし)、そういう作品って、
 ゲーム以外でも多いように思う。文学はもちろん、映画とかアニメも。
 (表現があまりいいイメージではないので、具体名は伏せておく)
 もちろん、そうでないのも多いけど、その作品が提示する、
 「取りつく島もないほど」の高みにある何かを求めて、
 結果、凡人である我らは、長くその作品を愛し続けるのではないだろうか。
 「グラIII」は、その意味において、
 あくまでも俺的には
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