| 小人閑居して不善をなす
 
  
 ついに「新世紀エヴァンゲリオン」を語る(後編)  
 昔、「伝説巨神イデオン」という映画があった。これは非常にすぐれた作品であり、劇場版「接触編/発動編」は、その不幸な生い立ちもあって、
 公開前にはほぼ狂気に満ちていたと言い切れるほどの、
 さまざまな宣伝活動が(プロもアマチュアも入り乱れた状態で,
かつ、異常なテンションで)展開していた。
 そのとき、俺はまだ14、だか15の子供で、その異様に便乗して雰囲気には酔っていだが、
 当時、「イデオン」の本質を見ることはできず、ただ、うかれているだけだった。
 作品としての「イデオン」の凄さをはっきりと理解したのはつい最近のことだ。
 俺はつまり、「イデオン」の波に乗ることができなかった。と思っている。
  俺は、基本的にリアルタイムで何かを感じ、何かを考えることを重視するが、 なかなかリアルタイムで「凄い」ものに出会う機会に恵まれていなかったようにも思う。俺的には、いろいろあったが、
 世間をも巻き込んだ大ムーブメントの波になったかどうかという点ではなかった。
 「イデオン」の場合で言えば、あの気狂い沙汰の中で、「イデオン」のメッセージを考え、悩み、自分の中の糧としておきたかったのだ。
 あの当時の空気や臭いとともに、だ。
 同じメッセージを14、5で受け取るのと、30で受け取るには大きな違いがある。
 遅すぎたとは思っていないし、そもそも、14,5では理解しえなかったわけだが。
 それゆえに、30という年齢になって、
 ある程度まともな理解力を得て、
 社会にも出て、
 できることとできないことの違いなどなど、
 いろいろわかるようになってから「エヴァンゲリオン」がやってきた。
 これはすごいことだ。 すごい偶然だ。
 これが神(とかそういう存在)による運命なら、感謝する。
 俺の場合、30でなければ、ダメだった。
 20では、俺はまだ社会に対して無敵モードだったし、半ば自閉症だったのでダメ。 40過ぎていたら、もうアニメを見る機会もなくなっているかもしれない。
 だから、感謝する。
 さすがに、映画を見る以外、「エヴァ」の騒ぎ(さまざまなイベント)に参加はしなかったが、
 俺的には気狂がい沙汰、
 ここに極まれり、だった。
  そして、今、ようやく第26話「まごころを、君に」を見ている。なんだ? この違和感は?
 ようやく、洗脳から覚めたのか。そうではない。
 こうして、今見ていても、この作品の価値は少しも輝きを失っていないし、
 昨年の夏、劇場で見たときの「見終わった後のさわやかな印象」(意外だろ?)も感じる。
 しかし、違和感。
 言葉で説明してしまうと、かなりニュアンスが違うが、
 瘡蓋をはがしたときのような、「痛・気持ちいい」感じに近いようにも思う。
 少し、冷静になったのだと思う。
 気狂いだった自分を、まともな自分が見ているような感じだ。
 ま、今でも別の意味で気狂いだが。
  結局のところ、前編でも述べたような気がするが、この作品は年齢(あるいは理解力)を超えて、というか、必ず誰でも一度は感じたであろう、傷口なのだと思う。
 作品がすなわちそのままそれぞれの心の傷口だ。
 それゆえ、共感したものも嫌悪した者もいるわけだ。
 どちらも、同じ意味。
 「エヴァ」についての論議が、謎解きを除けば意味をなさない理由はそこにある。
 人の傷口は、普通触らせてもらえないし、触ってもその痛みはわからないから。
 「エヴァ」はそういう話だ。
  で、最後にラストの結末についての解釈など。あのラストは、ハッピーでもなければアンハッピーなエンディングでもないと思う。
 だって、終わってないもの。
 あいつら、また同じことを繰り返すに違いないし、
 宇宙の彼方に飛んでいった初号機は、何万年だか後、ソロ星で遺跡として発見されるんでしょ?
 で、今度は地球人(あの二人の子孫?)もバッフクランと戦争して滅びちゃう。
 (こじつけようかと思ったが、やっぱ無理があるなあ)
 第25話「まごころ、君に」は、劇場公開版と一部変更があるが、そのひとつであるタイトルを見たとき、最初
 「THE END OF GENESIS EVANGELION」
 と勘違いして戦慄を覚えたが、
 (本当は、TV版と同じく「NEON GENESIS EVANGELION」だ)
 「THE END OF GENESIS EVANGELION」っていったら、
 「イデオン」のことだよね(一応、半分冗談)。
 (富野監督大変申し訳ありません)。 「エヴァ」の続きが見たい人は、「イデオン」を見てみましょう。
 続編はもう10年以上前に完結していたのだ。
 これは冗談だから、本気にするなよ!
 でも、いいアイデアだよね。
 名作の続編(またはリメイク)はよくある手だけれども、
 過去の名作の元になる作品を新作するのは面白いかも。
 この時間軸の歪みがもう・・・。なんか気持ち悪い。
 そんなことを言ってるうちに、「スターウォーズ〜エピソード1」とか「リング0」とか、そういうのがどんどん出てきたな。
 結局のところ、この作品について、決定版と言える解釈は今後も出ないと思う。
 監督は絶対に言わないと思うし。
 なぜなら、
 真実は、誰もが知りたがるけれど、誰も教えてはくれないものだから。
 真実は君の中にある。
 ということで。
 (了)  |