今回は、「やぶ医者」と「ニセ医者」の話である。
なだいなだ著「やぶ医者が見た日本の医療」(アドバンテージサーバー・五〇〇円)によると、やぶ医者とは本来、庶民が身近な医者を親しみ込めて呼ぶものでもあった。
やぶ医者の対極は「名医」だろう。名医は善、やぶ医者は悪。こんなイメージの背景には、日本の医療体制の変質がある、と著者は考える。
戦後日本の医療は、個人開業医中心から大病院中心へと変化を遂げた。医療の中心は、やぶ医者から名医に移ったのだ。ここで失われたのは、患者と医者の人間関係である。開業医と患者の間には、隣人同士の信頼関係がある。ところが大病院の医者と患者にはこのような関係がない。
だから、大病院ではガンの宣告が問題になるのだ、と著者はいう。開業医と患者の間柄ならば、自然に意思が通じ合う。ガンの宣告なども、ごく自然に行なわれてきたのだ。
権威ある名医が万能ではない。専門化しないやぶ医者こそが果たすべき役割も大きい。やぶ医者と名医には、適当なバランスというものがあるはずだ。現在はそれが「名医」に偏りすぎているのではないか。著者はこう指摘する。
自称「ニセ医者」、徳永進氏の著書は、「ニセ医者からの出発」(同友館・一五〇〇円)。著者がニセ医者を自認するのは、医師国家試験の際、漏れた問題の一部を友人に見せられ、そのおかげで合格したと思われるからである。
ところが著者は、ニセ医者の態度にこそ医者の本来の姿があるのではないかと考え始める。ニセ医者は、何とか信頼をかちえようと患者に必死で立ち向かう。ホンモノ医者のように、権威をもって患者の上に立とうとはしない。
専門化して地域から離れ、患者と同じ平面で考えることのできない「名医」のみに支えられた医療。それは危険であるばかりか、高齢化社会に求められる医療の役割にもそぐわない。これからの医療を考えるのに役立つ二冊である。
(1994.1月配信)