脳死、尊厳死、人工受精、代理母、男女産み分け....。現代医療は、コンセンサスの得にくい問題を数多くかかえている。しかもその多くは、「出生」「死」という人生最大の出来事に関わっている。誰もが当事者であり、また当事者になりうるのである。
加えて、患者の自己決定権やインフォームド・コンセントといった考え方も浸透しはじめた。医療はこれまで、素人の口出しできない、専門家支配の徹底した領域だったが、それで済まされる時代は終わったとみるべきだろう。
村上陽一郎著「生と死への眼差し」(青土社・一八〇〇円)は、科学史研究の視点から、現代医療へ根本的な問いを突きつける。
現代医学の特徴は、一言でいえばそれが「臓器医学」だという点にある。医師は臓器ごとに専門分化し、しかも人間を臓器中心に捉えようとする。そこに、苦しむ一人の人間としての患者への視点はない。近代科学特有の、物質中心の視点があるだけだ。
さらに専門分化した大病院の医師たちは、一般の科学者と同じように、専門的な研究業績を上げることに強い関心を示すようになった。科学は医療を変質させたのである。
著者は、脳死を人間の死とすべきだという主張の背景には、こうした医療の変質があると考える。そして医療は謙虚さを取り戻すべきなのではないか、と問いかける。
毎日新聞社会部医療取材班「いのちがあやつられるとき」(情報センター出版局・一三〇〇円)は、出産をめぐる医療技術の問題に焦点を当てている。体外受精や障害新生児の治療拒否など、しばしば報道される問題だが、こうしてまとまった形で読むと問題の深刻さに胸を衝かれる。
繰り返し強調されているのは、多くの夫婦が医学的にも倫理的にも未解決の問題の多いこうした手段を望むのは、子どものいない夫婦は不幸だ、障害者は不幸だ、といった偏見のゆえであるということ。医療とともに、社会のあり方が問われているのだ。
(1993.10月配信)