パリの東部、運河に面した下町に、「エスパース・ジャポン(日本空間)」と名付けられた三階建ての建物がある。内部には日本の書物を集めた図書室とギャラリー、日本語講座の行われる教室など。この草の根の文化交流拠点を支えているのが、小沢君江さんと夫君のルネ氏である。
小沢君江著「パリで日本語新聞をつくる」(草思社・一六〇〇円)は、二人の出会いから今日に至るまでを、日本とパリの時代背景とともに描き出した好著。
二人の活動の発端となったのは、結婚後の七四年に創刊した日本語ミニコミ誌。まだ日本大使館にも和文タイプのない時代である。経験の少ない二人を助けてくれたのは、数々の雑誌を手がけた名アート・ディレクターの堀内誠一氏だった。
道のりは平坦ではなかったが、次第にフランス在住日本人の間に支持を広げ、コミュニケーションの場として成長していく。同時に、折り紙展や津軽三味線のコンサートなど、日本文化を紹介する企画を成功させていく。
著者は、ベトナム反戦運動に彩られた青春時代から、文字通りパリの「日本空間」の中心人物となった今日までの二十数年間を、淡々と語っていく。そして読者に、異文化の中で生きる勇気を奮い立たせてくれる。
逆に、異文化の中で生きる難しさを感じさせられたのが、岡田光世著「ニューヨーク日本人教育事情」(岩波新書・五八〇円)である。
北米に住む学齢期の日本人は二万人を越えるが、その大部分が現地の学校に通う。一時滞在の場合が多い日本人の子どもたちは、学校への不適応にしばしば悩まされる。他方では帰国後の受験に備えて、日本から進出した塾へ通うなど、重い負担を背負うことが多い。そのため学校を軽視したり、他の子どもとの交流が少なくなるなどして、しばしば誤解や反発を受けるという。日本の教育は、どうやら構造的に、国際化の阻害要因になっているようだ。
(1993.8月配信)