音楽の多様な側面に光 海老沢敏「モーツァルトは祭」他



 一昔前まで、日本人のクラシック音楽に対する受け止め方にはある種の偏りがあった。教養主義とでも言えばいいだろうか。音楽を理解するためには努力が必要であり、それを通じて人間は精神的に成長することができる。クラシック音楽は、限られた「教養ある」人々のものだった。その代表格はもちろん、ベートーベンの音楽である。
 ところが、一九八四年に公開された映画「アマデウス」、そして没後二百年にあたる一九九一年の「モーツァルト・イヤー」、この二つの出来事を通じて状況は大きく変わったように思う。今では多くの人々が気軽にクラシック音楽に親しむようになった。
 この間、一貫して最良のモーツァルト紹介者であり続けてきたのが海老沢敏である。「モーツァルトは祭」(音楽之友社・二六〇〇円)は、一九九一年を中心に、前後合わせて五年ほどの間に発表された文章を収めたもの。 モーツァルト研究の世界的権威らしく、該博な知識を縦横に駆使し、モーツァルトの音楽の多様な側面に次々と光を当ててゆく。それでいて決して難解にならない。特に、いくつかの講演録とNHK交響楽団の連続演奏会に寄せた解説文が出色である。
 ただし、この著者の作品に親しんできた者としては、やや不満も残った。ここ数年、著者の元にはおびただしい数の原稿依頼が舞い込んだことだろう。そのため反復や重複が多くなり、時には平凡な文章も発表せざるを得なかったようだ。モーツァルトの商業利用を嘆く時のありきたりな道徳論も、時代遅れの教養主義の臭いがして興ざめだ。
 吉田秀和著「時の流れのなかで」(読売新聞社・二二〇〇円)は、日本における音楽評論の代表的存在である著者が、クラシック音楽の専門誌に書いてきた文章を選りすぐったもの。音楽を論じながらあらゆる芸術領域を横切り、時には日本と西欧の社会に対する洞察さえ示して見せるが、あくまで平明で自然な表情を崩さない。さすがである。

(1994.7月配信)

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