教育改革と対立する発想 桑田昭三「よみがえれ、偏差値」他

 何とも人騒がせな題名である。著者は、「偏差値生みの親」と言われる桑田昭三。文部省まで加わってエスカレートした「偏差値批判」の中、一部の雑誌にも取り上げられたので、ご存じの方もあろう。この著者が、偏差値誕生の経緯とその意味について書きつづったのが、「よみがえれ、偏差値」(ネスコ/文藝春秋・一七〇〇円)である。
 中学教師だった著者が偏差値を考えついたのは約四〇年前。読んでみると偏差値が、生徒たちの不安を少しでも和らげようとする教師の善意の産物だったことがうかがえる。しかし著者が偏差値の意義を力説し、偏差値の復活を訴えるに至っては、ちょっと待てよ、と言いたくなる。
 著者は、現行の入試は受ける側が触れることのできない閉鎖的な権力であり、その姿を見えるようにして受験生の不安を和らげるために、偏差値は必要だ、と言う。一見もっともらしいが、これは入試のあり方そのものには手を触れず、受験指導の技術の向上によってとりあえず切り抜けようとする発想である。
 確かに、偏差値そのものが悪いわけではないという著者の主張は正しい。文部省は偏差値の排除を決めたが、そもそも偏差値が必要なくなるような入試改革の方向は示さなかった。しかし、だからといって偏差値の復活を唱えるのは、教育改革とは対立する発想と言わねばなるまい。
 ただ付け加えれば、偏差値の意味や活用法を解説した部分は、具体的で分かりやすい。この部分を読んで受験校の選択に役立てるというのも本書の一つの読み方ではある。
 秋島百合子「パブリック・スクールからイギリスが見える」(朝日新聞社・二〇〇〇円)によると、英国では今、エリート校の成績番付表が流行中だという。入試制度が違うので日本のように偏差値が使われるようなことはあるまいが、英国よお前もか、という思いは禁じ得ない。もっともこれも、エリート校が特権階級以外に開かれてきた結果なのかもしれないが。

(1995.8月配信)

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