赤松文相の「丸刈りを見るとぞっとする」発言を機に、丸刈り校則が注目を集めはじめた。ある調査によると、全国の三割の公立中学で校則による丸刈りの強制が行なわれているという。
芹沢美保・芹沢俊介著「ある闘いの記録」(北斗出版・二二〇〇円)は、丸刈り校則撤廃を実現させた運動の記録。芹沢俊介氏は家族論などで知られる評論家だが、ここでは一市民として運動に取り組んでいる。
事の起こりは一九八八年、PTAから校則見直しを求める声が上がったことにある。生徒の一部から頭髪自由化を求める声が出ており、これを受けてのものだった。
論争はやがてマスコミや議会をも巻き込んでいくのだが、丸刈り校則を変えまいとする学校側の壁は厚い。自由化すれば学校が荒れる、悪法でも決まりは決まりだ、決まりを守れない生徒が問題、等々。「教育的」詭弁とでもいうべきだろうか、運動は学校側が次々に繰り出す珍妙な理屈との闘いだった。
著者たちがこうした詭弁に、想定問答集まで作って立ち向かい、次々に撃破していく様は痛快である。同じように校則改善に取り組んでいる人々には、大いに役立つだろう。
著者たちが頭髪自由化の最大の論拠としているのは、身体の自由、そして教育についての親と子どもの自己決定の原則である。髪型は学校と家庭とで変えるわけにはいかない。丸刈りの強制は二四時間の管理であり、家庭への介入なのだ。
大都市部ではこうした原則がほぼ合意を得てきたのではないかと思うが、他方では、家庭の学校への過剰な介入ともいうべき事態も生じているのではないか。竹内常一著「日本の学校のゆくえ」(太郎次郎社・一八九〇円)によると、今や教師たちは、受験学力をどれだけ身につけさせたかによって、親や子どもから監視・評定される立場に追い込まれている。学校と家庭がいい関係を保つのは、大変に難しいのである。
(1993.6月配信)