米大学の憂うべき実態 C・J・サイクス「大学教授調書」他

 日本の大学は今、大きな転機を迎えている。
 旧制大学がドイツをモデルとしたのに対し、新制大学はアメリカ型の大学を志向していた。そして日本の大学は、この二つのモデルの間を揺れ動いてきた。その最大の対立軸は、専門教育重視か、教養教育重視か、であった。
 大学進学率が上がるにつれて、大学は多様な若者たちを受け入れるようになる。当然、学生たちの専門志向は低下していく。企業の側も、新入社員に高度な専門性は求めなくなった。だとすると教養教育の重要性が高まるはずだが、この教養教育が、これまでうまく機能してこなかった。
 教養教育といえば、先輩はアメリカである。高校までの教育にはいろいろ問題はあるが、大学教育に関してはアメリカが優れている、これに学ぶべきだ、というのがよく聞かされる議論である。
 ところが実際はそうでもないらしい。C・J・サイクス著『大学教授調書』(化学同人・2884円)は、アメリカの大学のうれうべき実態を、赤裸々に明らかにしている。
 著者によれば、大学教育を荒廃させた張本人は教授たちである。教授たちは難解な専門用語に自分たちの無知をおおい隠し、研究を理由に授業を放棄し、研究よりも教育を充実させようとするあらゆる動きを拒否してきた。
 その結果、授業の質はひどく低下し、しかも多くの部分が大学院生(その多くは英語の不得意な留学生)に任せられている。反人種差別運動に対する評価など、著者の見識に首をかしげたくなる部分もないではないが、豊富な資料とインタビューをもとにした記述には説得力がある。
 本書で示されている大学の実態は、驚くほど日本と似ている。日本についても同じような本が書かれる必要があるだろう。鷲田小彌太著『大学<自由化>の時代へ』(青弓社・2060円)は、日本の大学教授たちにあいかわらず手厳しい評価を下しているが、個人的経験からの記述が中心なのが難点である。

(1993.5月配信)

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