「奥玉ねぷたと総おどり」で子ども出車と太鼓や踊りに

「平成19年度千厩夏まつり・千厩おどり山車競演会」が、7月28日夜開催され、奥玉振興協議会(菅原一郎会長)からは「奥玉ねぷたと総おどり」と銘打って子ども山車を先頭に根山打ちばやし13名の太鼓山車、それに70名の踊り手など総勢約230名が参加し、まつりを盛り上げチームワーク特別賞を頂きました。 当日は、町内15団体で約1300人の中のひとつとして参加、奥玉は1番多い参加人数で「奥玉」を発信しました。せんまやおどりでは、8自治会からもれなく参加でそろった踊りをし、太鼓山車では、休憩時に本部席前で千寿荘の方々等に「根山打ちばやし」を披露するなど大奮闘しました。今年で、35回目を迎えたまつりになり、奥玉振興協議会としても多くの方々の協力を仰ぎ、山車準備等連日・連夜行いました。また、昼には「入山沢もちつき隊」によるイベントもあり、つきたての餅が振舞われました。(写真下右) 8月15日夜には「第35回ふるさとまつり」を、180発の花火の下で地区民総参加による仮装盆踊りや出店も出てお盆の帰省客を含め盛大に開催する予定です。各自治会では、引き続きがんばっています。

奥玉小学校6学年が「奥玉一周あらたま探検隊」奥玉地元学研究会員案内
奥玉の宝を発掘・ぐるっとまわって郷土学び、秋に成果発表も=7,17

奥玉小学校6学年19人は、総合的学習の時間で「奥玉の秘密」について調べるということで、7月17日「奥玉の宝(昔から伝わっているものや地名の秘密)を発掘し、それをみんなに伝えよう!」と、「一周あらたま探検隊」で奥玉地元学研究会(武者昭一会長)の皆さん7人が対応。「白藤」では源義経にまつわる説明、奥玉の地名の由来となった水晶が掘られた摺沢長者の「玉堀山」での説明では、小さい水晶らしき物を堀あてた児童もいました。玉を地中に埋めその上に「興玉神社」を建てた桜森神社では神社参拝の仕方、地名の由来が刻まれている石碑「桜森伊勢市祠碑」や「橘城跡」では奥玉を一望できる場所で当時の町並みの説明がありました。物見石にある稲の種を蒔く時期咲くことから名づけられたという「種蒔桜」、吉立では閉山まで働いていた畠山春男さんから、鉱山で金が産出され名古屋城の金の鯱に三枚献上したことから「三枚山」と名を称したと説明。ここでも金があるかもと石を持ち帰った児童もおりました。終わりに児童から「普段行けない所に行ったのがよかった。大東では水晶が取れたのがよかった。」など感想を話していました。6年生は成果を秋の学習発表会に劇で発表する計画しています。地元学研究会の皆さんのおかげで今日は有意義な学習になったと思います。

〜奥玉プロレス〜  加藤誠凱旋記念チャリティ興行が300人の観客の下
バトスカフェ特別編・奥玉プロレス興行で6試合=7月16日

奥玉出身の加藤誠凱旋記念プロレスが、7月16日奥玉の千厩維新館で(バトスカフェ主催、町下自治会後援)300名の観衆のなか15人の選手(女性1名)よりシングルマッチ2試合、タッグマッチ3試合、全選手によるバトルロイヤル1試合がおこなわれました。この試合の収益金の一部を加藤誠選手が幼いころお世話になった気仙沼市の児童養護施設に寄付しました。動きの早い技に各選手に歓声と声援が送られました。加藤誠選手はフアイナルイベントでタッグマッチに登場すると一段と大きな声援があがりました。加藤誠選手は小仲=ペールワン選手と組み、プロレス界入りした師匠でもある冨宅飛駈選手・女性でありながら男子プロレスラーと互角に渡り合う唯我選手のペアと対戦「誠コール」の中、終始動きの早い多彩の技での試合運びでした。師匠には勝てませんでしたが大きな声援と拍手が送られ勇ましい姿を見せてくれた。バトルロイヤルでは加藤誠選手が最後まで残った唯我選手と戦い優勝しました。 加藤誠選手は16歳でパンクラスへ入門、CMA−KPW第2代王者を獲得するなど着実に活動しております。試合終了後加藤選手より、「今日師匠である冨宅選手と初めて対戦させて頂きました。自分も家族もプロレスが好きで夢を持ちこの道に入った。人に夢を与えるようなプロレス試合をやって行きたい。子供に夢をもって欲しい。」とあいさつがありました。

第33回千厩町老人スポーツ大会で千厩優勝、奥玉準優勝、300名参加
高齢者の交流親睦と健康の保持増進・県予選も兼ねて=7月12日

一関市老人クラブ連合会千厩支部老人クラブ主催の第33回千厩町老人スポーツ大会(金野肇大会長)が、7月12日前日からの雨で場所を奥玉の千厩維新館、おくらんどに移し4地区対抗により9種目で県予選も兼ねて開催されました。千厩・小梨・奥玉・磐清水の60歳以上の高齢者が一同に会し、300名の参加のもと開会式が行われました。金野肇大会長より「町大会と県予選も兼ねています。昨年は県大会に出場した種目で1位になった種目もありました。今年も頑張って下さい。」一関市長代理菊地宏雄千厩自治区長から「地域のコミュニティ単位の活動が必要になって来ます。」とあいさつがあり、伊藤勇一審判長から競技上の注意、準備体操につづき、競技に入りました。
奥玉チーム(千葉英一郎団長)は約70名の選手団で参加。「60m女子」ボール送り」の3種目で1位。「100m男子」「安全運転」「一心同体」「ボール運びリレー」「ゲートボールリレー」「長寿リレー」の6種目で2・3位のため総合得点440点となり千厩と同点でしたが1位の数が千厩より少ないので準優勝しました。優勝は千厩440点、3位は磐清水、4位は小梨でした。今日の成績タイムにより県大会出場が選考されます。

中日向が優勝、準優勝は花貫、3位に大平・宝築=第58回奥玉地区野球大会

第58回奥玉地区野球大会が、7月8日千厩野球場に梅雨の合間の晴天の中、8チームが参加し、熱戦が繰り広げられました。開会式には8自治会からもれなく参加し、菊地福男大会長があいさつ。(写真上左)選手宣誓が前年度優勝の中日向チームからあり、7回又は1時間10分の中で試合が繰り広げられました。中日向チームは女性も参加し熱戦の試合でした。試合結果は、1回戦=花貫10:6三沢、宝築13:5町下、大平18:7寺崎、中日向8:8天ヶ森(ジャンケンで中日向勝)、準決勝=花貫11:3宝築、中日向15:11大平、決勝=中日向16:8花貫。その結果、優勝に中日向が輝き優勝旗等が贈られました。(写真下)準優勝は花貫、3位に大平と宝築が賞状等をそれぞれ手にしました。最優秀選手に千葉和也選手(中日向)、優秀選手は菅原亮選手(花貫)が選ばれました。ホームラン賞には、藤森仁選手と畠山恒春選手(大平)と太田政巳選手と千葉和也選手(中日向)の4人に贈られました。

「奥玉」のルーツ=多賀城碑と東北歴史博物館などを訪ねて
「奥玉地元学研究会」の移動研修に18名=6/28

 「奥玉地元学研究会」移動研修(奥玉公民館共催)が6月28日、多賀城市の多賀城碑、東北歴史博物館等を18名が訪れ、奥玉の地名を賜った大野東人が築いた多賀城の地等を訪ねました。 初めに、多賀城跡でボランティア案内の方に多賀城の南門跡の近くの覆屋の中にある多賀城碑の碑文に刻まれている碑文には、平城京や各国境からの距離と、多賀城の創建・修造に関する記事など141文字が刻まれている内容と多賀城についての説明を受けました。その後、東北歴史博物館を訪れ博物館職員から展示室にて多賀城の規模や構造、性格から行政的性は格が強い、立地として仙台平野を一望できる。外周の塀は土をつきかためて築き屋根をかけた築地、厚さ3m高さ4mを超す塀に囲まれ、外郭の門は南・東・西の辺で門が確認され創建時は簡単な構造であったが、奈良時代中頃以降には各の高い八脚門に変わった。政庁は中央に約100m四方を築地で囲んだ政庁が置かれ、重要な決裁や儀式が行われたとみられた。城内の各所には多数の役所、木工や鍛冶などの工房、警備する兵士の宿舎が配置。官人は都から赴任してくる官人のほかに書生など下級役人、兵士など全体で1,200人をこえる官人がいた。年代は8世紀前半〜10世紀中頃まで存続、この間3回の建て替えがおこなわれた。T期(724~762)は、大野東人が創建しその後修造・焼失大地震で被害を受け復興された。性格として多賀城は基本的には福島・宮城・岩手県地域を治める陸羽国府、出羽国まで管轄する広域行政府、蝦夷対策を進める中心拠点であった。ことを展示物の前で説明を受けました。午後には、葛西滅亡の跡である佐沼の地を訪れ登米歴史博物館・佐沼城跡を見学しました。 帰りには、感想を含め今後も自己テーマを持ち学習していくことを確認しました。今回の研修は、歴史的に奥玉との関係もある地を知ることができた有意義な研修となりました。

「土づくり・人づくり・夢づくり」事業=100人健康増進行事で親睦深める
ゲートボール・キンボール大会・生活習慣予防食講習・健康講話等

「土づくり・人づくり・夢づくり」事業の一環として、趣向も新たに第21回天ヶ森おさなぶりゲートボール・キンボール大会(写真上左)と健康増進行事が、6月24日維新館・おくらんど・奥玉公民館を会場に開催され、天ヶ森地区民100人以上が参加しました。 恒例のとなっていた行事で自治会総合補助金対象事業のひとつとして8班対抗で競われたゲートボール大会の部では1位に入山東班、2位入山南班、3位林ノ沢・上川原班。ニュースポーツとして初めてキンボール大会の部は、1位が入山西班、2位天ヶ森班、3位竹ノ下班・入山東班となり、総合優勝は入山東班、準優勝に入山沢南班が輝きトロフィー等贈られました。生活習慣病予防食として「白身魚のクリームあんかけ」「糸こんの梅肉あえ」「デザートにヨーグルト和え」の3品とエコクッキング:いつもは捨てている部分も食べてみましょうで「大根皮のあえもの」をつくる調理講習も進められ、参加者にも賞味していただきました。 競技の合間に血圧測定も行われ多くの人が測定。健康講話では今年千厩に内科医とNPO法人「宅老所せんまや」を開院した千厩まちかどケアセンター谷藤正人理事長さんから、「介護予防と宅老所せんまや」についてお話を受け、そのあとは表彰式やおさなぶり懇親会、レシピ紹介などと続き、なごやかに交流を深めました。

10種目の競技で第35回大平地方さなぶりスポーツ大会
防災訓練や参道口鳥居の建替報告・懇親会等も

大平自治会(浅理健雄自治会長)では第35回大平地方さなぶりスポーツ大会と防災訓練が、大平集落センター庭を会場に開催され。地区民100人以上が参加しました。 スポーツ大会では、4チームよる「玉入れ」「もっこ背負い」(写真上右)「お洗濯は大好き」「二人は若い」「班長さんご苦労さん」など10種目にわたり競技が行われました。また、参道口の鳥居が傷み修復できないことから、木造の鳥居を御影石造りの鳥居(写真下右)に建て替え完成、奉納祈願魂入れを行い、地域のシンボルとして末永く愛されるようにと熊谷務氏より報告がありました。 競技終了後、一関東消防署員を講師に防災訓練と題し「AED・人工呼吸・心臓マッサージの方法等」についてのお話を受けました。その後は鳥居の完成祝賀の御神酒をいただき、おさなぶり懇親会として、つめりばっとうを食べながら交流・親睦を深めました。

町下が優勝、寺花準優勝=第33回奥玉地区老人スポーツ大会、6/20
200人の選手と奥玉保育園児らのリズム交流や交通安全指導も

第33回奥玉地区老人スポーツ大会(藤野福男大会長)が、6月20日、千厩維新館で行われ、7チームから200人の選手と奥玉保育園児50名も交流行事に加わり、にぎやかで楽しい大会となりました。「安全運転」「一心同体」「ボール送り」競技など8種目で競技が行われ、途中奥玉保育園児から「がんばれ、がんばれ」の声援も飛び交い、「一等賞音頭」「ミックスジュース」(写真左下)などのリズムが披露され会場の方々から盛んな拍手が贈られました。園児との「玉入れ」などの競技をし、最後の「長寿リレー」では、寺花が1位をものにし、2位に町下、3位に三沢と熱戦でした。競技終了後、五嶋秋子市専任交通指導員らからの高齢者交通安全無事故を訴えました。競技の結果、優勝は町下、準優勝は寺花、三位に三沢が輝き、優勝旗やトロフィー・奥玉体育協会からの副賞などが贈られました。(写真下右)7月12日の第33回千厩支部老連老人スポーツ大会に上位チーム・選手などが選考され参加する予定です。

大平が総合優勝、寺崎前準優勝=第27回奥玉地区壮年スポーツ大会

第27回奥玉地区壮年スポーツ大会(菊地福男大会長)は、6月3日、奥玉公民館前広場で開会式(写真上)を行い、菊地宏雄千厩自治区長、藤野寿男市議会議員ら来賓から激励のことばを受け、競技は奥玉小校庭・維新館・宿下コートで開催され、総合優勝に大平、準優勝は寺崎前、三位に町下が獲得しました。 40歳から65歳未満の壮年層が、体力の増強と健康・スポーツに親しみ・親睦と融和を目的に行われました。おさなぶり日和で約200名の選手・応援団が参加し、女子6人制のソフトバレーボールと10人によるソフトボール、ゲートボール(各区1組)による勝敗点数の合計で、総合優勝等の順位が決まり、大平が優勝旗等を手にしました。種目別順位は次のとおりです。

◎バレーボール 1位=大平、2位=寺崎前、3位=天ヶ森・花貫
◎ソフトボール 1位=大平、2位=町下、3位=天ヶ森・寺崎前
◎ゲートボール 1位=寺崎前、2位=町下、3位=三沢、4位=大平


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