Kumiko Report 22/Feb/2017
沖縄ゆまーる(連帯)ツアー

12月13日 辺野古・高江へ

大型バスで那覇市のホテルを出て、まず、チビリガマへ。
1945年(昭和20)4月2日、アメリカ軍の沖縄本島上陸の翌日、アメリカ兵の残虐な仕打ちを恐れて、肉親相互が殺しあうという凄惨(せいさん)な地獄絵図を現出したといわれる所。

「集団自決」の場所といわれるけれど、「自決」というこのは自らの意思であるので、この場合はふさわしくないと、平和ガイドの横田眞利子さんが丁寧に説明して下さった。




アメリカ軍上陸直後に、壕の中から男女3人が竹やりを持って出て行き、男2人が壕の前でバタッと倒れた。すると壕内の住民は、その状況に、絶望感でパニックに陥り、集団死が始まったそうです。

また、火を燃やして窒息死を図ったり、毒薬注射をして死にいたらしめ、注射液が尽きると、鎌や包丁などの刃物で肉親相互が殺し合うという惨劇(さんげき)が繰り広げられた」ということです。



この洞窟への避難者約140人の内、住民83人が非業の最期を遂げたということです。
 
人々は犠牲者の死を悼み、永久平和を祈念して「チビチリガマ世代を結ぶ平和の像」を建立し、チビリガマの犠牲者の名前を記した石碑がありました。
 

このあと、私たちは、「さとうきび畑」の歌碑のあるところに
向かいました。

この歌は、できた頃から知っていました。

というのは、作者の寺島尚彦さの奥さんが、私の所属していた
一代目「ヴォーチェアンジェリカ」のメンバーだったからです。

ですから「ボーチェアンジェリカ」の頃からこの歌は私たちグルー
プの持ち歌でした。


作者の寺島尚彦さんがこの歌をイメージした場所はこの場所ではないということですが、あたり一面サトウキビ畑の中に歌碑はありました。



写真でもあまり見えませんが、歌詞は、
茶の石に掘られていて、近づかないと
読めなかったです。

ただ、普段私たちが知っている歌詞と別な
歌詞も刻まれていました。


脇にオルゴールがあり、メロディが流れるので、それにあわせて皆んで合唱しました。ツアー全日、いいお天気でしたが、この日も快晴。



歌碑を後にして、次に向かったのは、読谷村役場に掲げられている9条の碑でした。村役場とは思えない立派な建物で、その前庭にありました。



ぬちぐすいという場所で沖縄の郷土料理の昼食を食べ、さあ、いよいよ辺野古へ。バスで1時間ほど。

まず、海を前にした団結小屋へ。ここに来たのは4回目。

ここに向かって歩いていくと木々の向こうから拡声器で音楽が聞こえる。最初は、誰かが応援に来て音楽してるのかなと思ったが、どうも音楽の種類が違う。これは右翼が流す音楽だ。
目的地に着くと、右翼の車が2台いた。

私たちが山本英夫さんの話を聞いているこの写真のちょうど左側ギリギリまで右翼の車が駐車した。ものすごい音量で山本さんの話が聞けない。そしてナント大声で「横井久美子反日ツアーの皆さん」とか、「横井さん日本から出ていきなさい」とか、個人名まで言われた。



大型バスに「横井久美子さんといく沖縄ツアー」の名前を見つけたのだろう。それにしても右翼に名前を呼ばれたのは生まれてはじめてだ。こんな風に出迎えられらのも。

しかし、団結小屋の責任者は、「いつもは通り過ぎるだけなのに、こんなに駐車して妨害するのは、今日が初めて」と言っていた。50名も来る情報を得て、相手も我々を迎え撃つとうとしたのだろうか。とんだ初体験だ。
それほど辺野古の闘いが重大局面にきている証拠でもある。



しかし、しっかり腰をすえて闘っている人は立派だ。私はムカついて「静かにしたらどうですか」と街宣車の右翼青年に怒って言ったが、団結小屋の彼女は、「無視して下さい。敵は彼らではないのです。あの人達は本来味方になる人たちです」と。

この「本当の敵ではない人たちとは戦わない」という沖縄魂はこのあと、いたるところで感じた。

このあとゲート前のテント小屋に行った。

主催である「ヘリ基地反対協議会」のhpに「座り込みに来られた方へ」の文章があり、抜粋して紹介する。

辺野古新基地建設反対に賛同して、この座り込み現場に来て下さったことを歓迎いたします。 共に闘うために、下記のことをご理解していただきますようよろしくお願いいたします。

*座り込みは朝八時から午後4時までです。
*完全に非暴力の行動です。この原則を貫くように協力してください。
*ここの闘いは「座り込み」です。私たちの行動に賛同いただける方は、まず一緒に座り込んでください。
*持参された弁当、お菓子、飲み物等のゴミは各自が持ち帰ってください。
*辺野古集落の中では、出会った人には挨拶をしてください。トラブルを起こさないように心がけてください。



辺野古では水曜日、木曜日を集中日としてたくさんの人が集まるが、その他の日は少ない日もある。それでも、座り込みを続けている。この日もゲートの前で作業用の車が通るのを10人位の人たちが抗議していた。

私たちは、ゲート前に座り込む人たちの前に移動して、昨日のコンサートの報告をし、山城博治さん釈放のカンパの話をし、「心さわぐヤンバルの森」「辺野古の海」「沖縄今こそ立ち上がろう」を歌った。50人の声は力強かった!



歌っていると、1月に泊まった『海と風の宿』のおおひらさんが車椅子で駆けつけてくれた。また、「心さわぐ青春の歌」の替え歌をつくった高垣さんも声をかけてくれた。そうそうタイトルは「こころさわぐヤンバルの森」だそだ。

帰りかけると、男の人が追いかけてきて、「東京から支援に来ているのだけれど、横井さんが来てくれるなんて!涙出ました!」と言ってくれた。たった10人ほどの人の中には東京から来て座り込んでいる人がいたとは!私の方が感動した。

このあと2時間ほバスにのって高江へ。
高江は、機動隊が入った7月の頃にくらべ静かだ。ヘリパッドは着工式を終えたと、沖縄防衛局は終えてもいないのに、既成事実をつくって宣伝している。

高江の闘いは、ぜひ、この前ご紹介した「いのちの森高江」をご覧になって下さい。横井事務所にまだあります。左はしは、その映画の中にも出てくる「ヘリパッドはいらない住民の会」の伊佐郁子さん。



中央の女性、名前を失念しているが、ビックリするような人だった。まず、会うなり、「私、横井さんと2003年にハノイであっているのよ!」と叫ぶ。 そして、この高江の闘いをとうとうと怒りを込めて明るく分かりやすく話して下さったのだ。現地の人でもこれほど迫力のある話はできない!

人生の最後を沖縄の闘いにささげようと、ご主人と二人で近くに住み、月曜日はこのテントに詰めているのだそうだ。

沖縄にきて感動し、学ぶことは、こういう他県から駆けつけて来ている人たちの”熱い心”と出会うことだ!スゴイなぁ!!

明日はフェリーに乗って伊江島に行く。

2017年2月22日

横井久美子     写真 前田孝子