大阪旅行記。(2000/9/14-9/16)


1日目。神戸異人館めぐり

風見鶏の館。ここだけ9館入館券に入っていなかった。 始発電車に乗って羽田空港へ向かう。安いフリープランだけあって、なんと飛行機の出発が7時5分。6時25分までに搭乗券と引き換えてくださいと言われた私(T_T)、仕方なく4時起き。

伊丹空港までたった45分。家から羽田よりも近い。降りてから荷物を受け取るのは面倒なので、ずりずりと一人用のトランクをひきずっていると、搭乗口でJALのお姉さんに話しかけられた。「伊丹空港へご出発ですか?」。そうだというと、「お荷物お預かりします」と有無を言わさず持って行かれてしまった・・・。やっぱり混んでいるときはああいうトランクはだめなのか。。

1日目は神戸の異人館を見に行こうと思っていた。伊丹空港から三宮までバスで1時間くらいらしい。東京よりも遠い。途中渋滞につかまりながらも震災で倒れた阪神高速に乗り、無事三宮に10時頃到着。荷物をコインロッカーに預けようとした。300円を入れて、鍵を回そうとすると、回らない!なぜ!すぐ近くに係りのおじさんがいたので、「すみませーん、鍵回らないんですけどー」と言うと、「ああ、コインが詰まったのかもしれんなあ。すみませんなあ。こっち使ってください」と隣のロッカーを開けてくれた。なんて神戸の人は親切なのだ。ものすごく感動する。さて、北野方面へ向かおうと、私は地図とにらめっこした。どうも新神戸駅が一番近いらしいが、三宮からはJRではなく地下鉄のようだ。地下鉄の方へいくと、エスカレーターがある。なんとみんな右側に立っている!関西は左が歩く人というのは聞いていたが、本当だったんだ!神戸も大阪も東京と変わらないのだが、変なところで関西に来たなあと思う。ちなみにこの左側が歩く人というのは、しばらく慣れなかった。

ガイドブックによると、北野は坂が多くてきついので、風見鶏の館かうろこの館までとりあえず上って、降りてくるのが正しいらしい。まずはうろこの館を目指した。お、本当にうろこ。写真にあったとおり。入場券を買おうとすると、おばちゃんがいろいろ説明をしてくれる。上の方の5館共通だと2000円。でも下のほうにある4館もつけて、9館共通券だと3500円だけどお買い得だよということだ。でももともとお金があまりない私、一応一通り説明は聞いたものの「2000円のでいいです」と言った。でもおばちゃん引き下がらない。「ええーせっかく来たんやから、どうせなら下の4館の方もみてって」とさすが関西人?押しが強い。しかも私が迷っているとみたのか、何も言わないのに「勉強しとくわ、3150円でどう?」となんと350円も勝手に負けてくれた。というか、こういう入場料というのは、負かるものだっただろうか。私は唖然とする。でも結局おばちゃんの気力に負け、3150円で9館共通券を買った。

うろこの館は高台にあるだけあって、展望がとてもよい。中の調度品はまあこんなものかな、と思ったが、景色が良いのがとってもよかった。続けて上の方にある5館を次々と回る。特に印象的だったのが、旧中国領事館。他の西洋館と違って、外見も中身もちょっとオリエンタルな感じ。中国風のベットがとってもかわいらしかった。

共通券にはなかったが、やっぱり名物とも言われる風見鶏の館は見ておかないとと思い、風見鶏の館へ。お、この景色見たことあると思ったら、昔母が買ってきてくれた絵はがきそっくりだ。行って良かった。

お昼を過ぎたので、異人館が喫茶店のようになっているパラティン邸へ。白いパンのサンドイッチ1個と紅茶で1000円はちょっと高いかなと思うが、チーズが美味しかったから許す。さすが神戸。

無理矢理に近い形で買わされた9館共通券だったが、意外にこれがよかった。特にどこに行くと決めたわけでもなかったので、もしかするとちょっと離れた旧中国領事館などには足を運ばなかったかもしれない。下の4館は英国領事館が面白い。9館共通券だったために紅茶をサービスしてくれた。またここは閉館(17時)後、バーになるらしい。バーの名前の由来を知ってとっても感動した私。知らない方は、是非英国領事館へ(笑)。ベンの家は、ベンという人が集めた剥製だらけの家。一瞬気味が悪いとも思えるくらい大量に剥製があって、妙に印象に残った。異人館を回る方は、是非9館共通券を負けてもらって買うことをおすすめする(笑)

まだ2時くらいなので、ちょっと足をのばすことにした。かつて北野小学校だった建物を改築して、神戸の名物のお店が共同経営しているところがあるらしい。地図を見てそちらに向かうが、どうもなんだか違うような・・・ふと近くに見えたレストランの名前を地図で探すと、あら、1本間違ってるじゃん。でもなんだかその道をまっすぐでも大丈夫だったので、結果オーライ。やっぱり迷っていたようだ。

「北野工房のまち」というその建物は、意外に面白い。もともと小学校だったというのがよくわかる作りがなんとなく文化祭を思わせてよかったし、和紙の実演なんかも見られる。さすが神戸らしく、靴のオーダーメイドのお店があったのには笑えた。しかし28000円〜という値段を見て笑いが引っ込んだのは言うまでもない。コーヒーの匂いにつられて、1階のコーヒーショップヘ。やっぱりコーヒーは豆からひくのが一番。コーヒーの匂いを嗅ぐと我慢できない。

さて、財布の中身が心許ないので、銀行を探そうとコーヒーを飲みながらるるぶを見る。るるぶが偉いと思うのは、ちゃんと銀行の場所も書いてあること。国内旅行で意外と必要なのは、銀行だと思うのは私だけではないはず・・・(と思いたい)。しかーし。第一勧銀、なんでどこ行ってもないの?なのに、なんでこんなにさくら銀行はあるわけ?と半ばやつあたり・・・(そ、そうか、さくらって太陽神戸三井銀行のことだったと思い至ったのは、その10分後だった)。仕方ないので、提携銀行である富士か興銀を探すと、三宮駅の西口にあった!大好きだよー富士バンク(はーと)。というわけで、駅のほうへ戻ることにする。

もう震災から5年が経つが、あちこちに震災の跡はまだ残っている(ように思える)。建設中の建物が多いこともそう、休業中のお店がちらほら見られるところもそう、中国領事館もうろこが剥がれ落ちたとかで、補修跡がまだらになっているのが痛々しい。しかし、崩れ落ちた後大火事になった三宮の商店街は立派に再生していた。よかったよかった。

無事お金もおろせたので、そろそろ大阪の宿に向かうかとJR線の路線図をみる。京都の方向へ行くのに乗れば良いんだなと思い、ホームへ。すると新快速と各駅停車が両方同じ時間に出るらしい。大阪までは当然新快速のほうが早いのだが、荷物も大きいので、そのほうが座れるしというのもあり、各駅停車に乗ることにした。やっぱり各駅停車は空いている。長椅子に一人座り、本を読み始めた。途中何度か駅名を見ると、「お、次は甲子園口か、甲子園見えるかな」なんて思っているのに、ついつい本に夢中になって気づくと通り過ぎている。途中後から来た快速にも抜かれて本当にがらがらになった普通電車で一心に本を読むひろえ。ああ、いつもと同じような。。。

大阪駅到着。その後なんばまで行けば良いんだよな、と御堂筋線を探す。途中再びJRの入り口に入りそうになりながらも、地下鉄の梅田駅に到着。なんばで乗り換えて、近鉄へ。「ここが日本橋か〜(と言っても駅名が近鉄日本橋だっただけなのだが)」と感動し、上本町到着。今日の(というか2日とも)お宿は都ホテル大阪。


2日目。高野山参拝

一の橋。ここから奥の院まで徒歩約20分 2日目は、早めに起きて高野山に行こうと思っていた。前々から一度行ってみたかったのだが、なかなか行く機会が無かったのだ。大阪からだと近いとは言っても2時間はゆうにかかる。8時に近鉄上本町を出て、難波から南海電車。なんばで大いに迷う。何故こんなに駅が広いの?仕方なく地下鉄のおにいさんに南海電車の乗り場を聞くはめに。なんとかたどり着き、高野山行きの急行に乗った。

乗客はほとんど高野山に行く人のようだ。でも中にちょっと違う人たちがいる。背広を着ていたり、明らかに喪服と思われる人が多い。あれ?もしや高野山ってこんな旅行者っぽい格好してちゃだめ?と思ったが、なんとお彼岸が近いので墓参りだったようだ。高野山に墓参り。きっとすごいお家に違いないと勝手に推測する。

旅行客と喪服の人々に挟まれて、ケーブルカーで高野山へ。山頂には4000人もの人が生活をしているらしい。びっくり。一瞬上九一色村を思い出してしまった。かなり立派な宗教都市である。バスは850円で乗り放題の券を買った。一の橋までバスに乗ってそこから奥の院へ歩く。喪服の人々は、そのまま奥の院行きのバスに乗っていってしまって、降りたのは私一人。両側は墓。半分肝試し状態(笑)。まだお天気がそれほど悪くなかったのでよかったものの、暗かったら絶対に歩かなかった。高野山は修学旅行や遠足などで来る学校もあるということだが、きっと肝試しをしようと言い出す人間がいるに違いない。途中明智光秀だの、石田光成だの、かつての有名人の墓があちこちで見られる。ちなみに一番立派なのは金剛峰寺を建てた豊臣秀吉のもの。近くに織田信長の墓もあるが、寂しい限り。

奥の院を参拝した後は、再びバスで千手院橋まで戻ってきた。とりあえずバス亭近くの定食屋でお昼。精進料理定食なるものを頼む。高野山に来たのだから、とりあえず高野豆腐を食べなければ。豆腐は嫌いなのだが、この豆腐なら大丈夫。どっちかというと餅に近い気がしたのは気のせいだろうか。

雨が降ってきたので、バスで大門へ周り、再びバスで壇上伽藍まで行き歩いた。歩いていると、どこからともなく読経の声が。声はすれど姿は見えず。これが結構気味が悪い。裏手に回ると、根本大塔へ向かってお経を読む坊さんの集団がいた。真面目に経を唱えている人もいれば、とっても落ち着きの無い人もいて面白い。しばらく見ていると、坊さんたち再び連れ立ってどこかへ帰っていった。

そのまま参道を歩いて金剛峰寺へ。この山のメインでもあり、高野山真言宗の総本山でもある建物は、かなり広い。特に中庭と、台所は面白い。中の講堂みたいなところでお茶をもらえた。

大体見終わったところで、雨も強くなってきたので戻る。大阪まで約2時間。この日の夕食は、お好み焼き(^^)。


3日目。奈良に行く

当麻寺曼荼羅堂

3日目はどこへ行くとも決めていなかった。ふと地図を見ていると、奈良がそれほど遠くないことに気づく。そうだ、これまた前々から行こうと思いつつ行ってなかった当麻寺にしようと思い立ち、前日テリオスで駅前探検倶楽部につないで調べた。大阪から行くと結構便利なようだ。ついでに本屋に行ってガイドブックを購入しておいた。

上本町ではなく、近くの谷町二丁目という駅まで歩く。前日、どの電車に乗るかちゃんとメモしておいた。「鉄谷町線」。地下道地図を見ると、どうもそんな路線は無い。あれ?どうして?もしかして駅前探検倶楽部って、ちょっと情報が古いのかしら。最近地下鉄の名前が変わったりしてるし(<それは東京の話だ)・・・と疑う。路線図を見渡して、すぐ気づく。地下鉄谷町線だった。区切り方を間違えた。日本語は難しい。疑ってごめんなさい>駅前探検倶楽部。

当麻寺到着。ここには中将姫という人が、天啓を得て蓮の糸で曼荼羅を織ったという伝説が残っている。その曼荼羅の話を、恐ろしく昔に本で読んで一度それを見てみたいと思っていた。本当は花が有名らしいこの寺、夏の間はこれといった花も無く、閑散としている。いやもしかすると立地が災いしていつも閑散としているのかもしれない。拝観料を払うと、久々の客におばちゃんが嬉しそうだ。解説によると、その伝説の曼荼羅は傷みが酷く、残念ながら今は蔵の中。今本尊として本堂に飾られている(奉られている?)曼荼羅(重文)は、16世紀の模写作品らしい。傷みの酷いホンモノはもう見ることができないのだろうか。

おばちゃんが講堂と金堂を案内してくれた。そこから見える二つの塔。塔と言うと、フェノロサが凍れる音楽と言ったという薬師寺の東塔が有名だが、薬師寺西塔は焼失してしまっている。当麻寺は西塔・東塔(共に国宝)とも現存しており、おばちゃんによると、二つとも残っているのはここだけだそうだ。意外なところに意外なすごいものが見られるのが奈良らしい。

その西塔を見るには、花の寺に入ると良いというおばちゃんのお薦めに従って、花の寺に入る。こちらもまた久々の客に驚いてるのか嬉しいのか。とりあえず親切にしてもらえた。まずは国宝の西塔と東塔を一遍に見られる展望台から眺め、庭へ降りていった。そこには水琴窟という不思議な石がある。どうなっているのかは不明だが、水を通すことで琴のような(私には鉄琴のような音に聞こえた)音が聞こえる仕掛け。確かにピンピンコンコンコンと音がしている。一体どうなっているのだろう。私はその石をひっくり返してみたい衝動に駆られるが、最大限の良識を引き出してその衝動を抑えた。今の機械でもあんなものが作れるのだろうか。昔の人はすごい。

お昼も近くなってきたが、どこかへ移動することにする。路線図を見ていて、明日香村の酒船石の近くに遺跡が出たという話を思い出した。ここまで来たのだから行ってみない手はない。ガイドブックを開いて、岡寺を見る。交通>岡寺から4分。ふむふむ。橿原神宮駅で乗り換えて、岡寺駅へ向かう。

ところが!ガイドブックの言う岡寺は、近鉄の岡寺駅ではなく、岡寺バス停だった。4分どころか、行けども行けども先が見えない。結局40分ほど炎天下の中を歩く。ふと気づくと首の下が日焼けしていたのは言うまでも無い。

死にそうになりながら、岡寺の下にある有名な定食屋でご飯を食べる。やっと生き返ったところで、遺跡を探しに出かけることにする。何しろガイドブックにも載っていない新しい遺跡。酒船石遺跡というくらいだから酒船石の方向にあるのだろうと言ってみると、「酒船石遺跡はここをまっすぐ300Mくらい行ったところにあります」という手書きの紙がぶら下がっている。まっすぐ行くと、あった!というか、ここは・・・工事現場?

もともと万葉ミュージアム建設のために、地面を掘り起こしたら出てき(てしまっ)た遺跡。思った以上に大きな遺跡であることが判明し、新聞などにも取り上げられた。文化庁と奈良県、明日香村が協議中だそうだが、今は埋め戻しながらの発掘作業をしているらしい。土日のみボランティアが出てその亀型の遺物のところを見られるようにしているということだ。行ってみると見物人は私だけだった。親切な(話好きとも言う)ボランティアのおじさんに捕まって、いろいろ説明をしてもらった。行ったことのある人なら分かると思うが、謎の石と言われる酒船石はかなり高い丘の上にある。あの丘は人工で作られたものなのだそうだ。湧き水まで石管で水路を通して、今回出てきた亀型の遺物まで水を流したんじゃないかという話。亀の遺物の両脇は石で作られたテラスになっていたらしい。石舞台古墳もそうだが、この時代の人はもしかしたらものすごい技術をもっていたのかもしれない。・・・石を飛ばす技術か?(笑)

さすがに疲れて再び岡寺駅まで歩いて戻る気にはなれない。1時間に1本の橿原神宮行きバスを待ち戻る。難波まで近鉄で戻り、たこ焼きを買った。上本町から空港までバスが出ている。ちょっと早いがバスに乗って空港へ向かった。早く行ったにも関わらず、空港で飛行機に乗り遅れそうになったのは、すべてオリンピックのせい。そのあたりはここを参照。

今回大阪に行ったにも関わらず、実は大阪は泊まっただけ(笑)。でもやっぱり大阪って便利。次行くのはどこにしようかな。