初秋の京都。
またしても京都に行ってきました。というか、本当は20日が出張で、そのまま泊まっていた、というのが正しいのですが、それでも沖縄に行けなかった私には、夏の旅行です。

1日目。出張ですがいきなりハプニング

私は仕事の都合で、6時台の新幹線で京都へ。9時半からある大学図書館を見学をさせてもらえるというので、前日から先に行ってた他の人たちと9時20分に合流するつもりだったのですが・・・。

前の電車のパンタグラフにカラスが挟まりました。ただいま除去作業中です。

カ、カラス・・・。結局後発隊は10分ほど遅れて到着。しかも「カラスの所為で・・・」というのは単なる言い訳にしか聞こえず。

一通り聞いて、やはり国立は私立とはいろいろと違うんだなあと感心したところで昼食会。大学近所の会席料理屋さんに連れてってくれました。ハモの出汁で炊き込み、温泉卵とカツオ節をのせたご飯がめちゃめちゃ美味しくて、私は感動の涙。京都に来たらまた来ようと思う店、1軒目。和食万歳。

実は翌日京都新聞の朝刊に、二条城を反対のアングルから月を捉えた写真が載っていたのでした。三脚を持ってなかったので、月を写そうとは思わなかったのですが・・・ 懇親会の後、昼ごろ京都入りしていた相方に電話すると、「今四条」と言うので、四条まで電車に乗ったのです。しかし相方は「四条河原町」と言ったつもりだったようで。「四条烏丸」の交差点でうろうろしていた私をなんとか拾ってもらって、軽く夕飯(夜食?)へ。

宿は二条城そば。散歩しながら帰ると、二条城がライトアップされていてきれいだったのでした。明日は中秋の名月。空を見ると、僅かに欠けた月も綺麗でした。


2日目。伝家の宝刀?次の御開帳は3202年かも

二条城の朝。本当は本丸の特別公開を見たかったのに、私が会議をしている間に、相方に先に見に行かれてしまいました。今回はお預け。 朝目が覚めると、やはり5時半でした。私の体内時計は、何時に寝ても5時半に目が覚めるようにできているようです。せっかくなので二条城の周りをお散歩。まだ6時くらいだというのに、結構人出があります。中でも、おじいちゃんがマラソンしていたりするのが驚きです。もしや、今年のホノルルマラソンに向けて猛特訓中なのでしょうか。ちょうど写真の正門前ですれ違い、私が1周する間に2度も出会ってしまいました。非常に高速です。しかし、私の歩速は逆に非常に遅いらしく、車椅子を押した散歩の人に、ちょうど裏側で出会って、再び戻ってきたときに出会ったのでした。私の速度は車椅子レベル。今日もお天気は良さそうです。

三千院の本堂前中庭。よく写真に撮られてるところですが、あのアングルはどの位置なのかなあ・・・ 元々、この時期(ある意味何もない)京都で泊まろうと思ったのには、理由がありました。今まで何度か行こうと思っていて行ってなかった大原三千院。そこでなんと1200年ぶりに秘仏である薬師如来様が御開帳されていると聞いたのです。しかしこの記事によると、1200年ぶりという言い方は正確ではなく、実際は1200年前に作られ、その後一度も公開された記録がないのだそう。同時多発テロをはじめとする世情不安が公開の理由のようですが、下種なかんぐりをさせていただくと、夏休みも終わり、紅葉まで客足が途絶えるこの時期、しかも一緒に客を集めてくれていた寂光院は2年前に焼失。去年は同時多発テロのお陰で、国内旅行が増えたけど、今年はどうなんだろ・・・という三千院側の懐の不安から、伝家の宝刀を抜いた、といった感じがするのですが。

しかし、一度も一般公開されてない仏様が見られるというのは、私にとっては理由などどうでも良いことで、いそいそと出かけたわけです。しかし1200年ぶりというのは、仏像好きばかりでなく、いろいろな人を惹き付ける魅力があるらしく、結構盛況。紅葉の時期に比べたら、まだまだ序の口なのでしょうけれども、こんなところまで来る人はいるんだろうか、という心配は杞憂に終わったのでした。

そして件の薬師如来。これは本当に1200年も経っているのでしょうか。さすが秘仏です。1000年レベルの仏様は、京都・奈良ではそれほど珍しいものでも無いのでしょうけれども、これほど古びてない仏様を見るのは初めてです。一見の価値あり。公開は10月8日まで。次の公開は3200年かもしれませんよ(笑)。

やっぱりプロの写真はうまいよなあ。 さて、続けてもう少し奥の勝林寺や宝泉院へ。勝林寺は、魚山声明の根本道場だったところだそうで、独特の声明がテープで流されていて、なんとなく耳についてしまったのでした。私が真似して唸っていると、相方

あんたの寝言そっくりやね。

違うよ。

宝泉院は1999年夏のJR東海ポスターに選ばれているお寺で、その所為なのか、それとも元々人が来るところなのか、そこそこ人がいたのでした。お茶を出してくれて、それをいただきながら、お庭鑑賞。確かにすごい。本当は広間に入ってすぐのところから、壁を額にして見るのが美しいそうです。

そしてここのもう一つの見所は血天井と呼ばれる天井板。伏見城落城の時の床板と使っているとかで、血のついた手をぬぐったような跡やら、染みやらがあちこちにあるのです。実際に科学的にも証明されてるそうで、ルミノール反応を見たら、綺麗なのか怖いのか。。。ちょっと興味深い。

三千院のポスターで見かけた朱塗りの門。朱が周りの景色に合っていて、単なる派手に見えないところがさすが。 さて、昼にはまだちょっと早い。そこで、三千院の入り口辺りにあった地図を見て、「音無しの滝」というのが奥にあることを知り、登ってみることにしました。地図には300M(約7分)と書いてあります。そのくらいなら、良い運動になるかも・・・と思ったのは、最初の1分だけ。のぼりがキツイのです。しかも、1,2分行くと、音無しの滝→300M (約10分)。結構来たつもりだったのに、増えてるじゃん。それでもここまで来たのに、引き返すのは悔しい。相方に「遅いでー」と言われながらも、へろへろになりながら上っていきます。運動不足の私には10分が1時間にも感じられました。しかし、滝は人もいなくて、天然のクーラー。とっても気持ちよかったのでした。

帰りはくだりだから楽々。途中で私とおなじようにへばっているおばさんに出会い、「滝から来はったの?どのくらいかかる?」と聞かれました。がんばれー。

本堂は2000年に放火により焼失した。信じがたい。しかしそれでも600円の入館料を取る根性も信じがたい さてさて、お昼の場所を探しつつ、今度は道路を挟んで反対側にある寂光院へ。既に時間は12時半。非常に正確な体内時計を持つ私は、腹減りで口数が少ない。黙々と歩く歩く。実は、三千院までも道路から結構ありますが、寂光院までもかなりあったのでした。

寂光院の本堂は2000年5月に放火によって焼失。私は多少は再建されてるのかと思ってたのですが、本堂があったはずのところには、いかにも「ただいま工事中」といった足場と緑のネットがかけられていたのでした。すごーく悔しい。実は私は無くなる前に見に行ってるものって多くて、1993年に大半が焼失したルツェルンのカペル橋も、1995年台風でやられた室生寺五重塔も、それ以前に見に行ったのに、この寂光院は見に行こうと思っていたところに放火で焼失。台風や事故というのではなく、人間による放火というのがまた悔しい。まだ犯人が捕まってないそうで、事件の情報を求める看板が立てられてました。でもしっかり入館料を取るところはすごい。まあ再建のための寄付と思えば安い額ですけど。

ある意味、写真の階段は昔の雰囲気そのままなのに、一歩門を入ると、何も無い、という無残さがとっても印象的だったのでした。平成15年10月、本堂は再建されるそうです。「何も無い」ことの衝撃を得たい人は、今のうち。

お昼は寂光院近くの「雲居の茶屋」。少々割高ですが、味噌煮込みが美味しい。

上賀茂神社本殿前。 バスに乗って、再び下界(国際会館前)へ戻ってきました。まだ14時くらい。もう1箇所くらい行けるねえ、と地図を見ていると、相方が昨日歩いていこうとして時間切れになった上賀茂神社に行くことに決定。電車に乗って北山まで行き、そこから歩いていくことにします。賀茂川沿いに上っていくと、橋の下にはお魚が見えるのです。案の定釣りをしているおじさんがいました。本当に食べられるのでしょうか。そんな釣りおじさんを眺めていると、相方が「あ、蛇がおるで」と一段下の川べりを指します。本当だ、蛇だ。蛇なんてものを見るのは、水戸にいた頃以来です。しかしなんかその蛇、形が変なのです。よく見てみると、蛇の頭が見えない。あれ?どうしたんだろう。と思ってよくみてみると、なんと賀茂川の石垣に頭を突っ込んで、抜けなくなってしまった模様。何かを追いかけて、頭を突っ込んだのは良いけど、バックしようとして出られなくなったのでしょうか。アホな蛇です。しかも蛇には踏ん張る足が無い。なんとかもがいて出ようとしているようですが、もがけばもがくほど抜けないよぅ、と言った感じ。蛇の運命やいかに。

上賀茂神社に到着。今日は中秋の名月。あちこちで名月鑑賞会が催されるらしく、その準備をしていましたが、広大な広場を持つ上賀茂神社も例外ではないようです。舞台の設営や、ライトのセッティングがされていました。既に待っている人たちもいて驚き。東京にいるときにはどこかに出かけて月を見ようなんてあまり思わなかったですけれども、なんとなく風流。

神社は本殿の外からしか見られないものでしたが、結構複雑な形をしていて面白そう。ここも特別公開しないのかなあ。

一旦宿に戻って一服(相撲をTV観戦)したあと、夕飯を食べに外へ。今日は北白川の料理屋さんに予約していて、鱧料理をいただくことにしていたのです。もう夏の鱧は終わりの季節だそうですが、茸類などの季節の野菜を合わせた別の料理がいただけるし、この時期の鱧も脂が乗って美味しいのだそう(という料理屋さんのお話)。予約したときから、ものすごく迷うところだから、地図を持ってきたほうがいいですよ、と言われていて、用意した地図をタクシーの運転手に渡したのです。するとタクシーの運転手

ああ、一度行った事があるような・・・でもそのときも迷ったんですよね。。

本当に迷うところにあるらしい。実際一度曲がるところを間違えて、なんとか到着。迷った分を差し引いてくれるところがさすがMKタクシー。えらい。元々繁華街にあった店を、客を静かなところでもてなしたいという理由で奥へ引っ込んだというこのお店。確かに流行の「隠れ家」ですね。初めての私たちにも、同じようにもてなしてくれました。この時期ならではの鱧と松茸の土瓶蒸しが最高。しかもやはり東京に比べるとお酒の値段なんかも安いんですよね。非常に満足。京都に来たら、また来ようと思う店、2軒目。

帰りは大通りまで月を見ながらお散歩。残念ながら、月は少し雲がかかって、朧月だったのでした。

3日目。1日中酔っ払い

山崎のウィスキーライブラリー。この一角は高級(プレミア付き?)ウィスキーが並ぶところ 3日目は少し曇り空。みのるさんと10時過ぎに待ち合わせて、相方の強い希望でサントリー山崎蒸留所に行くことに。ウィスキー大好きの相方は、既に蒸留所には行ったことがあるのに、蒸留所でしか売ってないウィスキーがあるとかで、絶対行くと言ってたのです。電車を乗り継いで、大山崎という駅から徒歩15分。白州とは違って住宅街のど真ん中に突然現れる工場が山崎蒸留所です。CMでよく出てくる蒸留所ですが、あのCMだとものすごい山の中といった印象なのに、だまされた気分。

貯蔵庫の中。私が生まれた年の樽も発見。 ウィスキーの製造工程は、ポットスティルをすぐ近くで見られたりして、結構満足。しかも今回はしっかりカメラを持っていたので、中でも撮影ができたのでした。いよいよ何も足さない、何も引かないのサントリーウィスキー貯蔵庫です。私は暗いレンガ造りの樽倉庫に眠ってる、ウィスキー樽という絵を期待してたのですが・・・・。なんと普通の倉庫。コンクリの倉庫。確かに薄暗くはありましたが、私が期待していた雰囲気は無かったのでした。。。残念。

そして最後はウィスキーの試飲会。きっと半数以上がこれを楽しみに来てるのではないかと思うのですが、相方もその一人。さっそく飲んで真っ赤になってたのでした。まだ昼前だよ、お前さん。前では、ウィスキーと水で作るカクテルの説明。氷をたっぷり入れたグラス(8オンスタンブラー)に、水を八分目くらいまで入れた上に、ウィスキーをゆっくり注ぐと、ウィスキーと水が比重の差で分離し、透明な水の上に、琥珀色のウィスキーが乗るという綺麗なカクテルの出来上がりです。おー確かに見た目は美しい。そしてお味のほうは、というと最初はストレート、徐々に水割り、そして最後にすっきり水、という1杯で3つの味が楽しめるカクテルだそうで。それを聞いたみのるさん、

それって、最後まで一気に飲まないと、わからんやん

鋭いツッコミ。お酒に強い大人のためのウィスキーカクテルだったのでした。

天竜寺。必ず広間で寝ている人がいる 山崎を出た後、嵐山まで。渡月橋近くでお昼を食べたあと、天竜寺に行ってみました。紅葉の時期でもなく、新緑の時期でもなく、ましてや雪の時期でもない中途半端な天竜寺は、そこそこ空いています。しかし、一箇所ものすごく混んでいるところがありました。何かあるのかなーと思ったら、お便所。バスツアーのおばさんが行列をなしています。おばさんですから、女子便所が混んでるのですが、相方が男子便所に入っていくと、なんとおばさん、男子便所にも多数行列を作っていて、早々に退散してきたのでした。久々にオバタリアンという言葉を思い出しました。恐るべしおばさんパワー。

そういう時期だからなのか、やはり特別公開として、平成の雲龍図なるものが一般公開されていました。平成9年に完成したその雲龍図は、元々明治期に作られた天井絵の傷みが激しく、新しいものを描いてもらったものだそう。この雲龍図は非常に迫力があり、新しいものではありますが、一見の価値あり。説明によると、八方にらみの絵で、どこから見ても顔がついてくるようになっているとか。さっそく円を描いて上を見ながら回ってみると、目の錯覚なのでしょうけれども、確かに顔が動くのです。すごい。きっと100年、200年くらい経ったら、重文になってるかもねーと言うと、

前のが傷みが激しくて交換されたなら、今回のも100年は持たないんじゃ・・・

という相方の鋭い指摘。確かにそのとおりかも・・・。100年後に残っていることを求む。

14時半ごろ天竜寺を出た後、トロッコに乗ってみたい、まだ川くだりもできるかなーという私の行き当たりばったりな提案で、トロッコ嵯峨駅に行ってみることに。するとなんだか人だかりができているのです。駅に入ってみるとなんと30分後に出る次のトロッコは満席。次のはさらに1時間後になってしまいます。川くだりはやはり15時半ごろまでしかやってないようです。今から行っても、船には乗れないでしょう。残念。しかし、川くだりは一度やってみたい。トロッコ&川くだりを予約してツアーをしよう、とみのるさんとリベンジの約束をして、京都まで帰還。

保津峡下りのホームページ
嵯峨野トロッコ電車

まだ夕食には時間があるので、祇園のよーじやに寄って八坂神社へ。正月にも行きましたが、ようやく本殿改修が終了したそうで、お参りです。あの正月の混み具合がウソのように人がいませんでした。ぐるっと境内を一周。萬灯会と書かれた灯篭の列があったのですが、これってお彼岸に点されるもの?それって明日?とか。あるいはお盆かお祭りのときなのかしら。あれが全部灯ったら綺麗でしょうね。

四条通を河原町方向へ戻っていくとき、相方が突然悲鳴を上げました。あーガム踏んだ〜と、大騒ぎ。ところが踏んだのはガムではなく、ゴマ団子(あんこ入り)だったのでした。さすが京都。踏んづけるものも格が違います。

軽くお茶をしたあと、これまた軽く飲みながら夕食。夕食は河原町のお洒落な創作居酒屋をみのるさんがセレクトしてくれました。雰囲気なかなか、お料理もなかなか。長いすのようなソファのようないすが、私がひっくり返るのにぴったり(笑)で、大人数で騒いでも楽しいかも。昼から真っ赤になっていた相方も、ようやく赤みが引いたのに、またしても茹蛸に変身していました。17時半から1時間ほどでお店を出ようとすると、なんと行列ができていました。出張先の大学の人は、「京都の人は食べるのには並んだりしない、並ぶのは観光客だけ」と言ってたのですが、あれは明らかに地元民だと思うのです。京都人を並ばせるお店を、一目で選んだみのるさんの鼻、侮りがたし。

四条でお世話になったみのるさんと別れ、19時過ぎののぞみに乗って、帰京。次のツアーはトロッコと川下り&町家でフレンチの予定。おすすめ募集中です。