今日の出発は7時半。昨日に比べると、ちょっと余裕がある。朝早めに起きて、預ける荷物を外に出していると、ちょうど元大学教授で中国マニアのKさんに出会った。土浦から参加のおばさん姉妹二人とお散歩に行くというので、ご一緒させていただく。
中国の朝は早い。ホテルを出ると、さっそく布売りのおばちゃんに「10枚1000円」と話かけられた。まだ6時過ぎである。ホテルは大雁塔のすぐそば。大雁塔の方まで歩く。広場では、老若男女集まって、なんと社交ダンスをしている。みんなとってもうまい。中国人が広場でやるのは、太極拳だけかと思っていたが、思い違いだったようだ。
朝日があたる大雁塔はとってもきれいだった。朝早いので、まだ涼しいが、今日も暑くなりそうだ。西安は、黄河やシルクロードからくる砂のせいか、とっても埃っぽい。大雁塔の前の道路も、うっすらと黄色い砂がかぶさっていた。
ホテルに戻ると、ちょうど朝食の時間。席を探していると、袁さんに会ったので、5人で一緒に朝食をとる。台湾に行ったときの感覚で、朝食も大量に出ると思っていたのだが、中国に来てほとんどバイキングなので、やっぱりちょっと寂しい。しかも中華もあるが、普通に目玉焼きとか、味噌汁なんかもあるので、あまり中国という気がしない。私はあえて中華粥を選んでいた。
7時半にホテルを出発。最初は西安の郊外観光だ。最初に訪れたのが、楊貴妃が入ったと言われるお風呂がある華清池。今も温泉が沸く温泉地である。今は夏のため見られないが、涼しくなってくると、池から湯気が昇るのが見られて綺麗だそうだ。池自体は湯気鑑賞のためというから、恐ろしく贅沢である。
風呂は撮影禁止。掘った穴を石で囲んだ本格的なものだ。今も入れると嬉しいが、さすがに貴重な遺跡を風呂にはしていない。なんと露天風呂もある。当時の皇帝は、本当に贅沢をしていたんだな、というのがよくわかる。
奥の方には、五間庁という建物がある。戦時中蒋介石が逃げ込んだところで、今も当時の弾痕が窓に残る。日本と中国は戦争してたんだ、ということを改めて思い出させる。よく考えると50年前は戦争をしていた国どうしに、今は観光に訪れる人がたくさんいるというのは、面白いものだ。
私は行かなかったのだが、華清池には、有料トイレがあったそうだ。いままで有料トイレには入ったことがなかったので、みんな戸惑ったらしい。添乗員Tさんの説明によると、中国の一部の観光地には、こういう有料トイレがあり、3角(1元=10角)程度取られることがあるという。そこで、今まで取られちゃうから、と言って娘さんから1角も持たせてもらえなかった父娘参加のTさん(父)は、1角のコイン3つ、3角を持たせてもらえるようになった。「3角しか持たせてもらえん」と私に嘆くTさん(父)はかなり面白い。
続いて向かったのが、秦始皇帝陵と兵馬俑坑。バスで15分程度。先に兵馬俑坑に向かう。最近ではクリントンなんかも訪れて、全世界に有名になっている兵馬俑坑。日本人ばかりでなく、中国国内の観光客、欧米の観光客などいろんな人がいる。残念ながら、中は完全に撮影禁止。ここに写真を載せることはできないが、そのスケールは一見の価値ありである。
兵馬俑坑は、秦始皇帝のために作られた埴輪置き場のようなもので、近衛軍をそのまま模した約1万体の泥人形(とガイドのカクさんが言っていた)が2万平米の坑に置かれていたらしい。そのため、顔かたちが一体一体違うという。2200年前にその技術。中国4000年の歴史は伊達ではない。残念ながら、泥人形たちは、当時の農民蜂起の際に壊され、焼き払われたため、原型をとどめているものはほとんどない。出土後、歴史学者によってひとつひとつパズルのように直されている。
世界的に有名な兵馬俑坑を発見したのは、1974年井戸堀りをしていた青年だった。現在その青年・楊志発さんはじいさんになり、兵馬俑坑の中のみやげ物屋で、観光客相手にサインをしている。これだけの遺跡を発見したということで、国家から補助を受けている楊さんは偉そうなじいさんだった。じいさんの座る机の後ろには、クリントンと握手している写真がでかでかと飾られている。クリントンは、中国を訪れた際、この楊さんの実家に行ったそうだ。そのため、欧米では楊さんの家を訪れるツアーが流行っているらしい。坑内の写真を撮れなかった私は、ここに来たがっていた父のために、150元の写真集を買い、楊さんにサインをしてもらった。うまいのか下手なのかはよくわからない。
西安市内へ戻る途中、秦の始皇帝陵を見学する。始皇帝陵はまだ発掘されておらず、中に入ったりはできない。遠くから写真を撮るだけである。近々発掘される予定があるということで、そのうちまた博物館のようなものができるのかもしれない。
西安市内に戻って、昼食。ちょうど昼時で、道路が混んでいた。中国では、12時からお昼休みで、近くの人は家に帰るそうだ。その後はお昼寝の時間。2時間から2時間半、休みがもらえる。日本もこの制度を入れないかなーといつも思う。昼間の暑い最中に働くのは、拷問以外の何物でもない。
お昼は建園飯店。お庭の中のガラス張りの小部屋でお食事。「4つ足なら机以外は何でも食べる、飛ぶものなら飛行機以外は何でも食べる」という広東料理である。一体何が出てくるのかと思ったが、いわゆる普通の中華料理だった。よく考えると、日本で中華料理屋というと広東風というのは多い。やっぱり辛いのはおいしい。食べきれないほど出るのが、悔しいくらいだ。西安名物として知られるのが、餃子料理なのだが、今回はその餃子料理を味わうことができなかった。まさにフルコースと同じで、一品一品時間をかけて出てくるそうで、それなりの時間を取っていかないと食べられないらしい。餃子は大好物なので、それだけのためにも西安はもう一度訪れたい。
お昼の後は、大雁塔を訪れる。大雁塔は、西遊記で有名な玄奘三蔵がインドから持ち帰った経を収め、翻訳したところだ。中は7層からなり、急な螺旋階段で登ることができる。修復されてはいるが、ちょっと傾いており、中国のピサの斜塔である。
上まで登ると、眺めがすばらしい。まっすぐ伸びる道は、唐の長安を思わせる。西側は、遠くシルクロードの方向へと続いているそうだ。200段以上の急な階段を上るのは、若い私でも結構大変で、ご老体は登らない人も多かった。
団体休憩室なるものがあって、そこで集合。トイレに行くと、なんと洗面所に線香が置いてある。さすが中国。本場ではこんなところに線香を使うのだ。よく考えると、線香だって香なのだから、トイレの臭い消しに使ったって悪くはない。線香というと仏壇というイメージの方が偏見なのかもしれない。
空港へ行く前に、ツアー客のお仕事、友誼商店へと向かう。今度の商店もやはり高い。特に買おうと思うものは無いので、袁さんと添乗員さんとお茶を飲む。添乗員のTさんは、もう何度も中国に来ているそうだが、ここ5,6年でものすごく変わったと言う。土産物屋も昔はダサい感じだったが、洗練されてきて、大分良くなったらしい。すると袁さんが「ダサいって何?」と聞く。洗練されてないこととか、田舎くさいこと、というとなんとなくわかったらしいが、漢字で書けないのがちょっと悔しい。確か語源を聞いたような覚えもあるが、全然思い出せない。そこへ元数学教師のAさんが来た。Aさんはカメラマニアで、年代モノの1眼レフを持ってあちこち写真を撮っている。奥さんはその度にそこに立ってだの、そっちじゃないだの言われて大変そうだ。中国マニアのKさんも来て、ダサい論議になる。結局誰も漢字で書くことは出来なかった。
悠悠自適のSさん(夫)が来て、奥さんに翡翠のネックレスを買ったという。10万円と聞いて、吃驚する袁さんと私。一体いくら持ってきたのだろう。見せてもらったが、半透明の緑の翡翠がエメラルドのように綺麗で、かわいらしかった。
買い物も済んだところで、西安空港へ向かう。今度はちゃんとしたエアバスらしい。「泥人形」「泥まんじゅう」のカクさんともここでお別れである。ここでは覚えたての「お疲れ様でした」を中国語で言って、お別れした。
17時発の飛行機を待つ間、私は本を読んで座っていた。結構混んでいたので、ツアー客はばらばらになって遠くの方にいる。私の周りは中国人ばかりである。中国語は、どんな会話もまるで喧嘩をしているように聞こえて怖い。そんなことを思っていると、隣に座ったおじさんが、中国語で話し掛けてきた。全く中国語を解さない私が、困った顔をすると、腕時計を示す。あー時間を聞いているのか、と思って、時計を見せてやった。せめて「今何時ですか」くらいの中国語は習っておくべきだったと思う。
19時、北京空港に到着。ここでは、北京ガイドの王さんと合流する。今北京は涼しくて、33度くらいだという。だんだん感覚が狂ってきて、33度かー涼しいなーと私も思う。
立派なバスに乗って、北京市内へと向かう。武漢や西安では、観光バスに乗っていると、かなり好奇な目でジロジロ見られたが、北京に来て、一気にそれがなくなった。今までは、それが気恥ずかしくて嫌だったのに、なくなるとちょっと寂しい。やっぱり都会ということなのだろう。
袁さんに聞いたところによると、北京は東京で上海は大阪だそうだ。上海人は、北京の人を気取っていると思っているらしい。実際港で栄えた商業の町上海と、政治の中心地北京というのは、大阪・東京と比するとわかりやすい。北京に来て、携帯電話を持っている人が急激に増えた。今中国では最新型が3万くらいで買えるということで、普及率が徐々に上がってきているらしい。型もちょっと厚みはあるが手のひらサイズのものなど、日本のものよりも小さいものが出回っている。日本語でも携帯で話しているとうるさいと思われるのに、まるでけんか腰の中国語では、推して知るべし。でもどこに行っても中国は賑やかなので、意外に気にならない。
夕食に向かう途中、セコムの看板を発見した。しかし、残念ながら長嶋の笑顔は見られなかった。こちらでは長嶋が宣伝しているんじゃないかもしれない。
夕食場所は、名前を教えてもらえなかった。いや、聞いたのだけれど忘れてしまったのかもしれない。しかし、ここの料理は今までで一番おいしかった。いろんな料理が出て、しかもわれわれの団体で一室貸切だったので、自己紹介したりして、楽しく過ごした。最初に薬用酒が出て、これがまた苦い上に、すごい度数が高い。お酒に強いおじいさんたちはとっても気に入っていたが、私にはちょっといただけなかった。しかし北京のビールは軽くておいしい。珍しく冷えたビールが出てきて、満足、満足。
おなかいっぱいになったところで、最後の宿泊地、大観園酒店へ向かう。このホテル、あまりガイドブックに乗っていないのだが、紅楼夢ゆかりの大観園という公園のすぐそばで、とっても綺麗なホテルである。ここには連泊するため、荷物の準備をしなくてよいのが楽。ちょっと本でも読もうかと思っていたが、気が付くと寝てしまっていた。
表紙へ。
朝、また早めに起きて、散歩に行った。お隣の大観園は、まだ開いておらず、しかたなく川の方へ向かう。川っぷちの広場では、太極拳をやっている人がいる。橋を渡ると、朝市が開かれていた。まだ朝早いのにすごい人である。果物、肉、野菜、なんでもありの朝市。きっと北京の人のスーパーなのだろう。
今日は1日北京観光。北京は東京と同じで、朝のラッシュ時はものすごい交通渋滞のため、早めの出発となる。朝食はいつものようにバイキングで、7時半に出発。最初に訪れたのが、天安門広場。ちょっと前の天安門事件で、世界中に放送された天安門広場に、自分が実際に立っていることにいたく感動する。王さんの説明によると、天安門広場には、50万人が集合できるそうだ。この前のGLAYのコンサートは20万人が入ったそうだが、その2.5倍の人が集まることのできる広場が、首都の中心地にあるということが、中国のスケールの大きさをうかがわせる。
天安門広場は、つい2週間前くらいまで、修復工事をしていたそうだ。王さんに「お客さんたちラッキーです」と言われたが、本当に幸運である。天安門の壁なども塗りなおされて、赤がやたらとまぶしい。天安門広場の端から、地下道を通って、天安門へ入る。その向こうは、故宮博物院(紫禁城)だ。チケットを王さんが買っている間に、写真を撮ったりする。やはり中国の中心都市ということもあって、あらゆる場所からの観光客でごったがえしていて、ともするとはぐれがち。王さんは、目印に傘を持っていたが、ヨーロッパ人らしいツアー客は、同じ帽子をかぶったりしていた。元数学教師のAさんは、その黄色い帽子を見て、「あれいいなあー。あれならよくわかるなー」と言うが、あれをかぶるのはちょっと嫌だ。
チケットをもらって、午門を抜ける。最初にすることは、トイレ休憩(^^)。王さんが、ここに有料トイレがあるから、行って来てくださいと言う。前来たときは5角だったというので、娘が怖いTさん(父)は、手持ちを3角から5角に昇格されていた。
続いて太和門を抜けると、そこは「ラストエンペラー」の世界だった。ポスターにもなった太和殿とその前の広場。「ラストエンペラー」を観ていない私でも、この景色は見覚えがある。いたく感動して、写真を撮ったが、広角レンズや望遠レンズのついていないデジカメでは、この広さをうまく再現することができなかったのがちょっと残念。
後宮の方は、今も修復中で、入ることができないらしい。いずれにせよ、9999室もあると言われる紫禁城の中を、数時間で回ろうと言うほうが無謀だ。ちゃんと観るなら、日を改めてじっくり来ようと思う。
右に曲がって宝物館へ向かう。ここでは、床を傷めないように、靴用のスリッパを履かされた。蛍光オレンジがなんとも笑える。これをツアーの人が全員履いているのだ。その光景を見て、さっそくカメラマニアのAさんが写真を撮りまくっていた。多くの宝物を蒋介石が台湾へ持ち去ってしまったため、こちらの故宮博物院は、オリジナルにも関わらずたいしたものが残っていない。私は台湾の故宮博物院に行ったことがあるのだが、確かにあちらは1日で回れるような広さではないが、こちらはたった2室。古い衣装や、宝剣などが面白かったが、台湾側ではたくさん飾られていた陶磁器が、ほとんど残っていないのが寂しかった。
涼しいとは言っていても、30度以上ある北京は、やっぱり暑い。ここまで歩きどおしで、すごくのどが渇いた。持ってきた水は、要らないと思ってバスの中に置いてきた。あー水ーと思っていると、ちょうど露店でウーロン茶を売っていた。いくらか聞くと5元だという。ホテルで買ったEVIANは10元。なんで水よりウーロン茶の方が安いのか、甚だ不思議だが、そんなことは別にどうでもよい。さっそく5元だして購入した。ところが!一口飲んで吃驚した。甘い。なんと砂糖が入っている。よく見ると、「低糖」などと書いてある。いくら低糖でも、ウーロン茶はそのまま飲むと思っている私には、ものすごい甘さだ。しかも変な味。あまりに吃驚したので、袁さんに聞くと、「あーそれ砂糖入ってるでしょ」と言う。中国では、結構ウーロン茶に砂糖を入れるそうだ。もちろん無糖のものもあって、「無糖」と書いてある。「日本人の口には合わないでしょ」と袁さん。袁さんも砂糖入りはあまり好きではないらしい。これが無糖だよ、と言って自分の持っているウーロン茶を見せてくれた。大失敗だ。
出る前に、お土産物屋でちょっと休憩。ウーロン茶が安かったので、「2つ買うからまけろ」と言って、2つ購入。中国では、量を買うと半額になることもある。国営の友誼商店では出来ないが、他のところでは、是非お試しあれ。家に帰ったら、このウーロン茶に砂糖を入れて家族に飲ませてやろうと、ひそかに決心する。
休憩後、裏の出口へと向かう。途中、ラストエンペラーが自転車を練習したという通路を通る。映画のロケもここで行われたそうだ。これだけ長い通路なら、練習に事欠かなかっただろうと、うらやましく思う。残念ながら、私たちには自転車は無いので、徒歩で歩く。
紫禁城を観たところで、今度は郊外へ向かう。途中レストランで昼食をとり、いよいよ万里の長城。「北京に行って、万里の長城を見なければ、中国に来たことにはならない」と言われる万里の長城は、まさに中国のシンボルでもある。
山の中に入りだすと、早くも長城の切れ端が見えてきた。かつてつながっていた長城も、歳月にはかなわず、多くが崩れている。世界遺産にも指定されている長城は、今も修復が続けられ、年々伸びているそうだ。長城が見え始めてしばらくすると、有名な八達嶺が見えてきた。四方八方に伸びているので、その名前がつけられた八達嶺は、有名人も数多く来ている。最近ではクリントン、かつては天皇陛下も登られたらしい。
八達嶺長城は、登り口のところで、大きく2方向に分かれる。向かって右側は比較的緩やかな女坂。クリントンや天皇陛下はこちらを上っている。観光客も多くはこっちへ行く。逆の左側は、急坂の続く男坂。こちらは人が少ない。女坂に上ると逆光になるという中国マニアのKさんの忠告に従って、神奈川から参加の学生兄弟T君2人と、土浦から参加のおばさん姉妹の妹さん、そして中国マニアK氏と共に、無謀にも男坂を上がる事にする。
みんなマイペースで上がるので、学生兄弟はどんどん先へ、おばさんとKさんはどんどん置いてけぼり。私はその間をえっちらおっちら登っていた。しかし、男坂のすごさは、日本の急坂など目ではなかった。ほとんど壁。その壁に段差が私の腿くらいまである階段がへばりついているのだ。人が少ないわけである。そんな中にも、体格の良いヨーロッパ人のおばちゃんが、ロングスカートで登っていたりする。外国人の考えることはよくわからない。後で聞いたところによると、男坂の最大斜度は45度だそうだ。そんな傾斜に階段をつける中国人もすごい。
しかし、苦労した甲斐あって、眺望は最高だった。気温が高いため、ちょっともやってしまっていたが、尾根をつたう長城がよくわかる。中国15回目のKさんも、ここから先は、最近修復されたので、まだ行った事が無いと言う。確かに、ずーっとまっすぐいくと、まだ崩れている長城が見えた。これからもどんどん伸びていくのだろう。
さて、そろそろ降りるかということになったが、登るときは登ることばかり考えていて気づかなかったのだが、上からみると、斜度45度はほぼ直角。それこそ壁を落ちていくという感覚だ。一応手すりはついているものの、段差は高い、幅は狭い長城の階段は、すべったら一貫の終わりである。結局下りも登りと同じような時間がかかってしまった。今度くるときは、女坂の方にも登って比べてみたいと思う。
集合場所は、団体休憩室。休みながら、お茶を飲んでいると、店員のおねえちゃんが、お菓子を土産に買わないかと寄ってきた。いくらだと聞くと、1200円で、1000円まで負けられると言う。それなら最初から1000円で売れよ、と思うのだが、そこが中国の面白いところだ。数を買えば、もう少し安くなるのだろうが、手持ちの少ない私は、1個買うのがやっと。北京は月餅が名物だというので、祖父母に買っていってやろうと、1個買う。人民元を出すと、「お客さん、日本円ないの?」と笑われた。その通りだ。今ここで日本円を出すと、帰りの電車賃が心もとない。もともとお土産なんて適当でいいや、と思ってほとんど現金を持ってこなかったのは、誤算だったのかもしれない。ちなみにこの月餅は祖父母のところへ持っていったときに食べたが、意外においしかった。
最後はやっぱりツアー客の義務である、友誼商店訪問。今回はこれで最後なので、ちょっと時間を取ってもらう。みんな家族や会社への土産を買っているらしい。私はお茶売り場へ行って、お茶を買うことにした。ジャスミン茶がおいしかったので、量り売りの高いのにする。50g1200円の高級茶を、50gつめてもらった(50gというのがケチくさい)。日本に帰ったら、さっそく飲むぞと思う。
北京市内まで、しばらくの睡眠タイムのあと、最後の晩餐である「天橋楽茶園」に向かう。ここは、北京ダックの夕食と、京劇・雑技が楽しめる劇場。北京ダックを食べるのは初めてなので、ものすごく楽しみにしていた。
天橋楽茶園は、2階席もあるりっぱな劇場である。今晩は、JTB貸しきりで、日本人しかいない。テーブルの上には、前菜が載っていて、さっそくみんなで食べ始めた。チンジャオロースや酢豚などどんどん店のお姉ちゃんが持ってきて、皿に載せてくれる。はっきりいって食べきれない。そこへ主食の北京ダックが出てきた。
ダックというくらいなのだから、アヒルなのだが、味は鶏肉とそれほど変わりがない。カリカリの皮はちょっと脂っこいが、やはりおいしい。持ってきた店員さんが、クレープのような皮への包み方を教えてくれる。最初にダックを黒い味噌のようなものにつけ、ねぎときゅうりを入れる。ここであまり欲張らないのがミソ。欲張ると中身がはみ出してしまうのだ。皮を巻いて、はい出来上がり。見た目は揚げてない春巻きのような感じ。これがとってもおいしかった。
しばらくすると、舞台でいろいろな演目が始まる。単なる京劇だけではなく、手品や一寸芸、武術などいろいろなものが、テンポよく演じられていく。中でも、こまみたいなものを、ロープ1本でまわす雑技はすごかった。まるでロープに吸い付いているよう。
京劇といっても、所謂劇ではなく、雑技を混ぜた日本人向けのものだった。衣装やメイクがとっても派手で、それを見ているだけでも面白い。チャンバラもさすが本場で、「SW」のスタッフに見習わせたい。この伝統芸能は、最近はあまり見向きをされなくなったとかで、劇団にも若い人はあまりいない。日本の歌舞伎のようなものです、という王さんの説明だった。どの国でも伝統芸能は後継者問題は深刻なようだ。
ちょっとせわしなかったが、ダックも食べられたことだし、京劇も見られたことだし、満足してホテルに帰る。外に出ると、大雨が降っていた。暑かったので夕立だろう。あれだけ道にあふれていた北京の人も、さすがに見当たらない。ホテルに戻る途中で、明日のスケジュールの確認がされる。明日の出発は、渋滞を避けて6時。早い。ツアーの欠点は、朝早いことだ、と思う。しかも預ける荷物は今日の夜11時までに外に出しておかなければならないそうだ。一体寝巻きとかはどうするんだろうと思ったが、かばんを探すと袋が見つかったので、それを使うことにする。
長城も見られたし、天安門にもいけたし、満足の1日だった。今日も本を読もうと思うが、いつのまにか寝てしまう。
表紙へ。
朝5時半すぎ、ロビーへ向かう。ロビーに行くと王さんが来ていた。早いねーと言われるが、一人部屋の私は、はみがきも洗面も自由にできるので、他の人より楽なだけに違いない。
朝食のお弁当を食べながら、北京空港に向かう。北京ガイドの王さん、1週間もいろいろとお世話になった袁さんとはここでお別れ。袁さんには、今度は日本に来てくださいと言ってお別れする。私が、何度も中国にくれば、また会えるときもあるかもしれない。7日間は長いと思っていたが、広い中国にとって、7日間というのは、一瞬にすぎなかった。中国国際航空は、北京から東京行き直行便は無い。北京発8時半の飛行機で、最初は上海へ。ついで東京へ向かう。東京に着いたのは、日本時間の15時半だった。
今回は、あっちこっち回るツアーだったが、メジャーな場所は大体見られたので、それをもとに次の計画が立てられるかなと思う。西安はゆっくり見たいし、餃子料理も食べたい。長城を歩きまわるとか、今回入れなかった紫禁城の奥の方も行ってみたい。2009年に水没して景色の変わった長江でもう一度三峡クルーズもいいなあ。とか興味はつきない。袁さんは、「シルクロードがいいよー」と言っていたので、こんどは西安からシルクロードの旅もいいなあと思う。中国に15回来ても、まだ毎年来ると言っている、中国マニアのKさんの心情がちょっとだけわかったかもしれない。このままでは、また来年も中国に行ってしまいそうだ。(終)
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