赤平の地名の由来は、アイヌ語の「アカピラ」からきている。
滝川市の滝川公園の池を「アカピラ沼」といい、その岸にそそり立つ山をアイヌの
人たちは「アカピラ」と呼んでいた。
「アカピラ」の意味は「赤い崖のあるところ」といわれており、
昔は滝川公園の周辺や砂川市の富平地区も赤平であった。
というのは私が聞いた話である。
これについては平成13年1月1日発行の「赤平市史・上巻」
173ページ以降に詳述されているが、赤平は「アカピラ」の音訳であり、akaは地形では尾根(山稜)
piraは崖の意であること、また赤平の地名がでてくる古文書等に「赤掌(アカピラ)」の地名がある
ことなどが記述されている。
詳しく知りたい方は「赤平市史」の一読をお勧めする。
なお市史は市役所で買い求めることができる。
赤平は炭鉱抜きでは語れない。現在の赤平は炭鉱を知らない若者は町を去り、
炭鉱を記憶する年寄りが沢山残っている。左掲の写真は旧住友炭鉱の立坑であるが、そのほか炭鉱遺産といえる
ものが沢山残っており記憶も記録も健在である。
赤平地域の炭鉱開発は他の地域より遅れて開発された。住友・赤間・豊里・茂尻などの各炭鉱は大正期に開坑し、
太平洋戦争時には唯一つともいえるエネルギー源の石炭生産は繁忙を極めた。
戦後は
国の石炭生産増強政策にのって、大手のほかにも多くの炭鉱が開坑して隆盛期を迎えた。
その後はエネルギー政策がより安い石油を主とする化石燃料へと
移行し、石炭産業は合理化につぐ合理化、そして閉山へと雪崩を
打った。
平成6(1994)年の住友石炭鰍最後にすべての炭鉱が閉山し、その後は衰退の一途をたどっている。
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