diary log

2003年1月の日記です。

2003.1.5

まだ産まれません

気が付いたら三が日もとっくに終わり,長かったお正月休みも今日でおしまい。特に「どこに行った」と言うわけでもないのになぜだか疲れたお休みであった。
その最大の原因が「産まれてこない」こと。先生にクリスマスに検診してもらった時に”早いでしょう”と言われ,すっかりその気になって”年内に産まれる!”と勝手に考えていた。それがこの有り様。何もないんだったら別にいいのだが,このところ(もう3日連続)夜になると前駆陣痛が始まり,落ち着かないでいる。
志帆の時は前期破水から始まった出産だったので前もって入院することが出来,悩む必要がなかった。前駆陣痛は本物の陣痛に比べると余り痛いものではないが,かといって何となく痛いと気になって寝れないものである。お陰でこの3日は,いずれも寝たのが午前3時頃。
私以上に可哀想だったのがパパ。いつ起こされるか分からない為,気になって私が寝た後もなかなか寝れなかったらしい。すんませんこってす。
お正月休みが終わるとなると困ったことになる。今回は前回と違って「志帆」がいる。おまけに志帆はなかなかの神経質さん。お休み中の入院であればパパが相手をしてくれていたであろうに,これからはそういうわけにはいかなくなる。おまけに会社に行きつつ,疲れて帰ってきたら今度は志帆のお相手。そんでもって私がいない状態での寝かせ付け。考えただけで”可哀想に・・・”と思ってしまう。
それと朝が戦争のようになりそうである。パパは寝起きがめちゃくちゃ悪く,”1分1秒でも寝てたい。もちろん朝ご飯なんてどうでもいい”人である。それなのに志帆の世話までしないといけない。
パパや,ちゃんと志帆に食べさせてやれる?おちおち入院していられなさそうだ。

2003.1.7

ついに産まれた!

今朝明け方,ついに来ました!!このところ夜になると弱い陣痛が来ていた。志帆の時は前期破水で入院したので,いまいち「陣痛」の開始が分からなかった。そのため,前駆陣痛なのか陣痛なのか良く分からなかった。
でも,明け方4時半頃に来た痛さは今までの前駆陣痛とは全く違った。寝ていたのに起きてしまったくらいの痛さであった。時間を計ってみるとぴったり10分間隔。5時頃”病院に電話しないと!”と思い,電話すると助産師さんに”6時まで待って,間隔が10分から短くなったらまた電話下さい”と言われてしまう。
ちょっと”ま,まじ!?”と思ってしまった。家が病院まで車で10分位と近いため,前駆陣痛だと出戻りと言うことになりかねないということからの判断だと思われる。でもこっちは痛くてしょうがない,病院に行って少しでも安心したいのに!!
しょうがないので引き続き陣痛の間隔を計っていると,あっという間に4分に。時間にして5時半過ぎ。病院に電話してみるとさすがに今回は”来て下さい”と言われた。
病院に着いて内診してみると,子宮口はすでに8〜9cm開いていたらしい。しかも,内診中に破水したので,陣痛室はほとんど素通り状態で分娩室へ。子宮口が開いている割に”息みたい”という感覚が来ない。これが来ないことには産まれてくれない・・・。
分娩室で待つこと少し,いよいよ”息みたい”感覚到来。息むこと数回(1,2回),”ずるん”という感じであっという間に出てきた。分娩所要時間1時間54分とめちゃくちゃスピード出産となった。
体重2,994g,身長49センチの元気な男の子。最後の検診の際,推定体重2,512gと小さめと聞いていてちょっと心配だったが取り越し苦労だったようだ。

初めて我が子を見てみて思ったこと。志帆の時は”・・・猿だ,可愛くないな〜”だった(志帆,今は可愛いよ〜)が今回は”可愛い”と思えた。2人目以降は「可愛い」と思えるよ,と聞いていたが本当にそのように思えた。後々生まれたての写真を見てみると,2人共顔が割と似ていたのにどうしてだろう?

2003.1.12

入院中と入院後の志帆の気持ち

今日はいよいよ退院の日。志帆の時は,初めてと言うこともあって入院期間も慌ただしく,あっという間に終わってしまったという感じだったのに,今回はやたらと長く感じたし,暇だった。でもそう思えるのは入院している間だけ。退院したら不眠生活が始まってしまう。
志帆の時は母乳はそこそこ出るのに,私の乳首が扁平ということで,直接吸ってもらうことが出来なかった。しょうがないのでミルクを飲ませた後に搾乳する毎日。不眠生活をより一層厳しいものにしていた。今回も直接吸ってもらえないようである。よみがえる2年前の悪夢・・・。
でも幸い,今回は乳頭保護器を使えば母乳を飲んでもらえるので,前回よりは若干楽出来そうである。でもいつまでも使ってられないから,また母乳相談室に通わないといけないんだろうな。
入院期間中,心配だったのが志帆のこと。夜は私とじゃないと寝てくれないし,半日以上離れたことがなかった。でもいざ入院してみると意外と平気な様子。帰るときも”ママも一緒に帰ろ”と言われたが,”ダメなんだよー”と言うと”バイバイ〜”と手を振っていた。
志帆も頑張ったが,パパも頑張ってくれた。会社も何日か休んでくれたし,慣れない育児もしっかりとやってくれた。感謝,感謝。
でも,家についてしばらくすると,志帆が悪さをしてパパに頭を”ぽかっ!”と叩かれた。志帆はしばらくうつむき加減で唇を噛みしめ,泣くのを堪えていたが,私が抱っこすると堪えきれずに泣きだしてしまった。その姿を見て”志帆も志帆なりにずっと頑張っていたのね”とちょっとうるっときてしまった。
これからはなるべく志帆を中心に生活しないと。

2003.1.14

生後一週間

今日で我が息子が産まれて1週間,名前は未だ決定せず。でも「亮介」が有力候補。
我が家の長男は比較的育てやすそうである。昨夜の授乳も夜中は1時半頃の次は5時の1回だけ。でも今から4時間も間隔が空くと,体重が余り増えないのではとちょっと心配。
それに比べ,日中は余り寝てくれない。夜だと母乳をあげるとそのまますぐ寝るのに,日中は1人でごそごそ動いている。泣いてないんだったらいいやと放っておくと,次第に雲行きの怪しい泣き声が聞こえてくる。おまけに授乳間隔も2時間ほど。お婆ちゃんに”母乳,足りないんじゃない?”と言われるし。
こう言われると何だかいや〜んな感じになっちゃうはんだよね。

2003.1.19

お姉ちゃんとなった志帆

このところ亮介の出産で肝心の志帆の日記がすっかりご無沙汰になってしまっている,ということで久しぶりに書いてみますか。

志帆のお姉さんっぷりはというと,予想以上にやってくれている(でも長続きしないけど)。亮介が泣くと,”亮介,どうしたの〜!”と我々が放置しているにも関わらず真っ先に飛んでいく。でもテレビ等が付いているとあっという間に戻ってくるけど。
我々が抱っこしていると必ず”志帆のお膝に乗っけて!”と言ってくる。のっけてやらないと怒るので,乗せてやるが,亮介は苦しそうでちょっと可哀想。
下の子が産まれると,よく上の子が「赤ちゃん返り」すると言うが,志帆の場合はどうだろうか?亮介におっぱいをあげていたりすると絡まってくることがある。でもそういった行動は,亮介が生まれる前から見られた行動だし,我々が”・・・しよう”と誘うとすぐに”イヤだ!”と拒否するが,これは「赤ちゃん返り」というよりも「反抗期」の様な気がする。
これだったら赤ちゃん返りの心配をしなくても大丈夫かな!?

2003.1.21

やだ!ばかり

このところ志帆が言うことを全く聞かない。何かにつけて”やだ!”を連発するし,注意しても全く聞く耳をもたない。こっちも疲れからかついつい”ぷちっ!”となり手を上げてしまっている。
今日も何度”何で言うことを聞かないの!お尻ピシャするよ!”と言ったことか。頭を”ぽかっ!”も数回。その度に泣きだし,”眠いの〜”と言い出す志帆。
これってやっぱり亮介が生まれてきたのと何か関係があるのであろうか?そうなると慣れてもらうしかないのかな。今は亮介に余り手がかからないし,パパも会社から早く帰ってきてくれてるから良いけど,今後大丈夫なのであろうか!?ちょっと(かなり)心配…

2003.1.24

志帆,授乳中?

今日,志帆が面白い遊びをしていた。ぬいぐるみのミッフィーさんを枕に寝かせ,”はい,おっぱい飲みなさい”と言って自分の洋服をめくり上げる動作をしながら遊んでいた。枕は私が亮介に授乳するときに高さ調節のために使っているものである。どうやら私の授乳風景の真似をしている様子。
私が”凄いね,志帆。おっぱいが出るんだー”と言うと,”ううん,出ないよ”だって。
何でも真似したいのね。

2003.1.29

風邪と我が儘と

土曜日(25日)から始まった志帆の風邪は,何とか治りつつあるようである。でもそれは「熱」に関してのみで,ご機嫌はもう最悪・・・。”いや,いや,いや〜!!!”と叫びまくっている。何が”いや”なのか全く分からない。困ったもんである。
今日はパパも調子が悪いということで会社をお休みしていたのだが,これじゃ全く休めません状態。私に相手をしてもらえないということを分かっているので,パパにべったり。普段は志帆のワガママに対して比較的寛大なパパも昨日,今日の志帆には切れ気味。
亮介が生まれて以来,志帆は新しい環境にそれなりに慣れてきていると思っていたが,そうでもなかったのだろうか?いつもであれば志帆は風邪をひいてもその日だけで,次の日には熱は下がっていた。でも今回は40度近い熱が3日半も続いたのである。パパに”ママの注意が亮介に向いてるからじゃない?”って言われてしまう。
「上の子を中心に」ということは分かっているが,おっぱい等の時間を変えるわけにいかない。おまけにワガママにされるとこっちも切れてついつい突き放してしまう。ここは私がぐぐっと我慢しないとどうしようもない!?

2003.1.30

風邪ではないかも?

志帆の機嫌の悪さは今日も健在。「いや,いや」を大声で連呼していました。参った。
このところ,熱が下がってからというもの,やたらめったら寝まくっている志帆。「病気」が始まってから,こっちが真剣にそれに対して怒ると黙りこくり,最終的には”眠いの〜!”と言う。それを受けて私は,”じゃあ,寝れば!”となる。そうなると素直にソファーで横になるか,和室の万年床に入り込んで,あっという間に寝てしまう。
今日はそれを繰り返すこと3,4回。今日の志帆の合計睡眠時間は,起きていた時間より長くなったことでしょう。下手すると亮介と同じくらい寝てるかも。それにしても熱でそんなに体力が落ちるのか!?
お風呂に入っていたときのこと。このところ志帆のアトピーの調子は良かった。でも熱が出て2日ほど経ってからというもの,足・腕・胴体とかなり広範囲に渡って赤くなっていた。これってホントにアトピー?それとも実は志帆の熱の原因は発疹を伴う病気なのか?明日にでもまた医者に連れていかないとだな。

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