帝銀事件について(仔細がこちらにあるので割愛)
当時を知るうちのじーさんに訊いてみた
「じーさん、帝銀事件って知ってるかい?」
「あぁ、平沢(貞通)だろ?」
即答だった
  
「テレビ見たけどあの人犯人じゃないよね」
「やってるかやってないかは誰もわからんよ」
  
幾度か新聞で目にした事件だ
帝国銀行椎名町支店で起こった大量毒殺事件
犯人とされたのは平沢貞通、元死刑囚
でも私が知っているのは
被告とされたのは当時著名な画家で(正確にはテンペラ画家)
東京で生まれ、父親の転勤により思春期を小樽で過ごしたことだけ
事件の全容など細かいことまでの知識は持ち合わせてはいなかった
  
5 31のETV(NHK教育)で平沢氏についての番組を目にする機会に恵まれ
燻っていた興味が覚醒した
平沢氏が小樽に住んでたこと
これが覚醒のポイントとなった
  
今でこそアレ(?)だが、昔小樽は北海道一の大きな都市であり
当時を知るじーさんなぞが
「札幌なんて草ばっかりで家なんか殆どなかった」など言ってるのを聞いていたし
平沢氏をはじめ、各界の著名人が住んでいたとしてもおかしくはないのだが
いまここに住んでいるからこそこの事件を知りたく思ったのは事実である
  
当時の事は全くわからんので、webで検索したところ
 ●松本清張が帝銀事件を本にしていること
 ●当時犯人色濃厚だった731部隊の元隊員の捜査をGHQの圧力によりやめていること
 ●そのために他の誰かを犯人に仕立て上げることが必要だったこと
 ●横溝正史「悪魔が来たりて笛を吹く」はこの事件を取材して出来たものであること
 ●当時の新聞記者が上から突然、取材を抑制させられたことを記者自身が明らかにしていること
 ●死刑執行の際の押印を歴代の法務大臣が拒んだこと
などが出てきた
  
死刑は本人のたった一度の自白と出所不明な大金の所持が決め手になったとのことだが
その自白にしても誘導されたためにしたものであり(今も昔も警察の体質は変わらんのね)
大金は密かに春画を描いて得たものであった(当時は名の有る画家が数多く描いていたらしい)
  
何処まで本当の話か私にはわからない
だが平沢氏が犯人である可能性は低いように思う
これほどまでにシロである可能性が素人眼から見て明白なのに
再審請求を棄却され続けられなければならなかったのか?
やはりGHQの絡みなのか?と勘繰ってしまって当然である
  
家にあった『悪魔の飽食』(著:森村誠一)を初めて目にしたのは中学生のとき
あまりの惨さに読むに耐えなく頓挫
数年前もう一度読み直したがそれは気分を酷くさせるのに充分であり
昨今のどんな凶悪犯罪でも731部隊がしたこととは比較にならないように思う
  
親にも帝銀事件を訊いてみたが
あまり詳しくは知らなかった
だが、「某大学のロボトミーとやらも731じゃなかったっけ?」
と興味ある発言
  
というか恐い
本来ならば極刑に処されるべき人間がのうのうと何処がで暮らし続けた一方で
無実を訴えながら牢獄で一生を終えざるを得なかった人間がいたのなら
  
  
・4 Jun 2000  虫歯の日(B.G.M. 原田知世+B.G.G いたスタ2)・
                  聖徳太子かおまえは....
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