おまけのエッセイ


●C調の聖水 (モーツアルト「ピアノ協奏曲第21番」C K467
 落語家の春風亭小朝がNHKのクラシックアワーという番組で「ある日クラシックが啓示的にわかった」という話をしていたというのを友人から聞き、なかなか面白い表現をするもんだと思った。

 僕の場合で言うと、いわゆるクラシックという括りの音楽全体では無いが、ある作曲家に関しては啓示的に理解したと思える体験があった。

 それはモーツァルトである。

 モーツアルトの音楽は結構巷に溢れている。
 そして「当たり障りのない無害な音楽」として重宝されていたりする。
 「当たり障り無い」ということは、言い換えると「深くまで入ってこない」ともいえる。
 多くのクラシックに縁遠い人などにとっては、モーツァルトは耳に大変心地よくBGMや胎教に適した音楽であり、左の耳から入ってそのまま右の耳から出て行くような音楽であるだろう。

 僕もかつては、そんなイメージがあった。
 ところがある日モーツァルトの音楽が今までと全然違って聞こえてきて、それこそ啓示的にわかったような経験があった。

 多くの人、特にクラシックを聴かない人などにとってはモーツァルトの音楽が深くまで入ってくることは希なことであろう。
 それは現代のジャズやロックを始めとし、その他ありとあらゆる音楽に耳慣れた我々にはモーツァルトの音楽は、時として物足りなく、それ程のめり込んで聴きたくなるような音楽に聞こえてこないかもしれないからである。
 モーツァルトは、最も近くて遠い作曲家という気もしないでもない。
 モーツァルト程とっつきやすく、同時に実は理解し難い作曲家はいないかもしれない。

  *  *  *

 大学時代ロマン・ロランのベートーヴェンの評伝についての講義があったきっかけで、クラシックを今までより頻繁に聴くようになっていた。
 その頃はモーツアルトについては、まだそれ程深入りもせず今ほど特別に聴くということも無く、他の作曲家とも同等の扱いであったし、むしろベートーヴェンやそれ以降の作曲家の方が魅惑的に聞こえていたくらいであった。

 そんな折ベートーヴェンのルーツについて興味が沸き、ベートーヴェンがモーツァルトのピアノ協奏曲第20番が好きで手本にしたというようなことを何かの本で知り、今まで聴いたことの無かったその第20番を是非聴いて見たいという気になった。

 当時はラジカセしか持っていなかったので、レコード屋でその第20番のミュージックテープを探して来た。
 そのテープにはA面には21番が入っており、20番はB面だった。

 成り行き上、まずは20番を聴いてみた。
 早速聴いてみた感想だが、それ程のものかな?、というのが実は当時の正直なところだった。
 ショパンやチャイコフスキーのピアノ協奏曲に比べたら、それは随分と地味に聞こえたものだった。
 結局21番の方は、今は聴くにおよばない、などとそのまま聴かず終いになってしまった。
 まだ機が熟していなかったようである。

  *  *  *

 学生時代僕は新聞配達のバイトをしていて、夕方になると皆が学校帰りに街などに遊びに繰り出していくのを横目で見ながら、一人寂しく夕刊の配達のために帰っていく、などという生活を続けていた。

 当時は交通費節減の為学校までの道のりを自転車で30〜40分ほどかけて通学していた。
 当時からも僕にとってウォークマンは必需品で、行き帰りには必ず音楽をかけていた。
 通常ウォークマンではポピュラーのテープを聴いていて、その日は確か山下達郎のアルバムを聴いていたと記憶する。
 帰途について程なく、行きから聴いていたその達郎のカセットが終了した。
 他のテープに変えようと手持ちのテープを探した際に、いつも適当に数本持ってきている中にその日は、この間購入して聴かず終いとなっていたモーツァルトのピアノ協奏曲のカセットがあった。朝慌てているさ中、それでも無意識がそれを持ってこさせていたのかもしれない。

 それで、ふと今このクラシックのカセットを聴いて見ようと言う気になった。
 そして、それまで聴くことのなかったA面の21番をウォークマンで聴いてみることにした。
 クラシック自体をウォークマンで聴くということもそれまではなかったが、こうして21番を初めて聴いたのが屋外ということになった。

 当時僕はバイトと学業の両立や、その他の諸問題で、やはりどこか心身共に疲れていたようであった。
 そしてその時もブルーになっていたのだと思う。

 僕はカセットを入換え、テープのスイッチを入れ、再び自転車を漕ぎ出した。

 次の瞬間、聞こえてきたのは、それまで聴いていたポピュラー音楽とは全く世界の違う、ハ長調の弦の軽快な響きであった。
 そしてそれは次第に力強く異様な現実感を持った響きへと変わっていった。

 やがてピアノが登場・・・
 いつもは頭の中を素通りするような響きが、なぜか今日は突然僕に向けて圧倒的な臨場感をもって響いてくる。
 ピアノの1音1音がまるでそれぞれ命を持った生き物のように躍動しているように感じた。
 「なんだ!この響きは・・・」

 まるで僕の憂鬱な精神状態を、斧で打ち砕くように、冷たい水で洗い流すかのように、言い知れぬ力を持った音としてせまってくる・・・。
 僕の憂鬱とはまるで無縁の世界から轟いてくるCメジャーのきわめて原初的な明るい旋律、そして時に渓流にほとばしる水の飛沫のように、めまぐるしくまばゆい程のピアノの響き。
 音楽は不意を衝いたように突然短調に転じて陰りを見せたかと思うと、また元の長調に戻る。まるで僕の憂鬱を軽くあしらってみせるかのように・・・

 その日は折しも快晴で、明るく降り注ぐ日光と青い空、そしてこのモーツァルトの音楽が、憂鬱に沈む僕を見かね天が授けてくれたカンフル剤であるかのように、その時は感じた。

 やがて第一楽章が終わり、第二楽章のアンダンテが始まった。
 第一楽章とは、少し雰囲気が変わり、ゆったりとした三連符にのせて聞こえてくる、甘い流麗などこかで聞き覚えのあるメロディ・・・。
 その音は遥かな時を越えて、実に近代的な澄み切った音色で、全く違和感無く僕の胸に染み入ってきた。

 これだったのか!・・・モーツァルトの音は・・・

 明らかに僕の中で何かが変わりつつあった。
 僕の心のダークブルーは、いつの間にか明るい空色のブルーに塗り替えられていた。
 そして、何か不思議な感覚が自分の中に沸き起こってくるのを感じた。
 それは大都会東京の小さな街大塚の、とある坂を一気に自転車で下って行く僕と、風と、音楽とが、まるで一体となっていくかのような高揚した感覚・・・。
 あの時は確かにそんな風に感じたのである・・・。なぜだろう、いろいろな条件がうまい具合に重なっていたのか。機が熟したということだったのだろうか。
 
 あの時はモーツァルトが天上かどこかにある自分の庭を垣間見せてくれたかのようであった。
 そして音楽を単なるBGMや癒しの道具として体験するのでは無く、自分が音楽そのものになるかのような体験、それも最も善なる世界の音楽に自分がなれたような感覚・・・。
 まさしく啓示的といえば啓示的な体験だったかもしれない。

 この時からモーツァルトと僕の距離は今までにも増して近くなった。
 そしてこの時から僕は、モーツァルトとの関係を特別なものとして扱うようになった。
 灰色のビルの多い東京でも、今までに見たことの無いような美しい朝焼けを見ることのできるのを知った時、僕の頭の中では「フルートとハープのための協奏曲」が流れていたこともあった。
 まだ若く孤独に慣れていなかった頃、「クラリネット協奏曲」の暖かく柔らかい包み込むような調べに、どれだけ救われていたことであろうか。
 ザラストロのアリアやパパゲーノのアリア(「魔笛」)には、聖も俗も包括する大いなる愛の力を感ずることもあった。
 僕の精神的な成長の過程において、一里塚のようにモーツァルトの音楽が、その時々には流れていた。

  *  *  *

 今から考えて見ると、当時の僕自身のマイナスの精神状態が無かったら、あの時あれ程のインパクトは受けなかっただろう。
 モーツァルトの音楽にはもしかしたら、その人の精神状態を厳しくチェックしてくる試金石のような、精神状態の陰の部分無しにとらえるのは意外に難しい種類の音楽という側面もあるのではなかろうかとも思える。
 モーツァルトが真に存在感を持って姿を現してくるのは、人生に疑問を抱きはじめた時からなのではないか、などとさえも思えてしまう。
 道に迷い挫折し、自分がもっと上のレベルに行こうと思い始めた時に現れる音楽。
 極言してしまうと、モーツァルトは人間が暗黒面に陥った時のみに、どこからともなく現れて僕らを救ってくれる、何とか仮面や何とかマンの如きスーパーヒーローのようなものなのかもしれない。

 只モーツァルト自体は変わらない。
 モーツァルトが違う響きに聞こえてくるとすれば、僕らが救われ変わったからなのかもしれない。

(2000.11.8)

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