ザ・ロング・アンド・ワインディング鎌倉街道


【中道(東回り)】十条〜赤羽(宝幢院)2001.3.16(金)晴 

 前回(3月12日)十条で終わったので今回はその続きから赤羽まで歩く。

 旧鎌倉街道はこの辺りでは旧岩槻街道と同じである。
 そこまで行く前に、まずはJR埼京線の十条駅を降り十条銀座のアーケード街を北上することにした。
 平日の昼前であるが客足も結構多く随分活気に満ちていた。活気のある商店街は安心である。
 環七の少し手前でアーケードが無くなり、商店街は富士見商店街と名を変え、なだらかな坂になっていく。
 どこが富士見なんだ?と疑問も無きにしも非ずであるが、とりあえず先を急ぐ。

 このなだらかな坂を歩いていくにつれ次第に僕の微かな記憶が蘇ってくる。
 実はこの辺りは鎌倉街道に関して気になっていた思い出がある。

   *   *   *

 ちょうど今から20年前の1981年の2月後半頃、僕は東京での大学受験の為千葉県松戸の叔父の家に2週間程宿泊させてもらっていた。
 その期間中のとある日、僕は東京に出かけた。
 何の用事か忘れたが御茶ノ水に出かけたのでは無いかという記憶がある。
 そして用事を済ませた後、僕は西が丘のサッカー場に行って見ることにした。

 なぜ西が丘のサッカー場なのかというと、ちょうど前年僕は母校が正月の高校サッカー選手権に出場した為、ガラでも無いが応援団としてこの西が丘のサッカー場まで同行したことがあった。
 我が校は残念ながら一回戦負けであったが、ちなみにその年は帝京高校が優勝した。あのとんねるずのノリさん(木梨憲武)が3年生で在籍していたそうである。
 その時は藤枝からバスで上京し、夜は品川の何かの宿泊所に宿泊させてもらったりして、試合は負けてしまったが結構楽しかった記憶がある。
 そんな想い出の場に、ふともう一度行って見たくなったのである。

 とりあえず西が丘のサッカー場へは無事辿りつけたと思う。
 その後であった。
 僕は、なぜかブラブラと当てども無く、辺りを散策したくなった。
 そしてなぜか東へ東へと向かっていった。

 細かいルートは今はハッキリ覚えていない。
 実際は後から確認すると西が丘サッカー場から大体南東の方向へと歩いていったようである。
 その時の印象に残っているのは以下のようなモノ達であった。
 ・環七へと続く十条の商店街のなだらかな坂(今思えば富士見商店街?)。
 ・西が丘近辺に見える大きな塔。
 ・東京家政大学。その横を線路沿いに十条駅に向かって歩いていった。
 ・環七上の眺望の良い高台(今思えば富士見橋?)。
 そして最終的に東十条の駅から西日暮里に出て松戸へ戻っていったと思われる。

 こうして僕はその日東京の街の一つである十条近辺を目的も無くブラブラと放浪した。
 今考えれば、この時が実に僕が一人で当てもなく東京の街を放浪したシリーズの記念すべき最初の日だったのである。

 そう!思えばこの東京での第一回の放浪時に僕は無意識に旧鎌倉街道に接近遭遇していた可能性が非常に大なのである。
 西が丘から最終的に東十条に行ったということは少なくとも旧鎌倉街道を一回横切ったことになる。

 当時一瞬だけ旧鎌倉街道横断したのか?あるいはしばらく歩いたのか?今となってはルートを覚えていないので確証が無いが、一つだけ結果論になるが言えることは、僕はあの時確かに無意識にも「旧鎌倉街道に近づこうとしていた」ことだけは確かである。

 それともう一つ、この時は全く意識には無かったが、3年後この近くの北区滝野川の旧鎌倉街道近辺で僕はアルバイトをすることになった。

   *   *   *

 さて少し話は外れたが富士見商店街から環七へ出て旧岩槻街道に入る為東進する。
 環七は都内でも有数の交通量の多い道路なので折しもトラックや自家用車がビュンビュンかっ飛びまくっている。
 しばらく環七を東進し埼京線にかかる部分まで来ると、そこの橋が富士見橋と名づけられていた。
 成る程どうやらここが富士見商店街の由来と関係あるようである。
 富士見橋に佇んで埼京線の線路をしばし眺めていると、成る程これくらいの高台だったら昔は富士が良く見えただろうなと納得できる。
 富士は見えなくなったようであるが今は遠くにサンシャインの裏側が良く見える。
 それから同時に、この場所はもしかしたら20年前に僕が同じように佇んでいた場所に違いないという思いが浮かんで来る。

 脇は相変わらずビュンビュンと忙しそうに車が行き交っているが、こんな良く晴れた平日の昼間に気ままに歩いている自分を思うと「オレは今、なんてオレらしいんだ!!」などと言う浮ついた気持ちにもなってくる。

 程なく旧道との交差点に差しかかる。その角に八雲神社という小さな神社が有り境内に江戸時代の庚申塔があった。旧街道の証拠である。

 旧岩槻街道すなわち旧鎌倉街道を左折し赤羽に向かった。
 なだらかな坂を降りていく形になるが、途中左手に八幡神社を祭った小高い丘があった。

 赤羽駅の直前で右斜めに入る小道が有り、旧道とは言われていないようだったが、なんとなく旧道っぽいな、と思った。
 そこに入りたかったが、それには押しボタン信号を押して道を渡らねばならない。
 車の往来は結構激しく、自分一人の為にボタンを押すのは気が引けるな、などと思っていたら、前方にそのボタンをまさに押している少女の姿が目に入った。
 その日日テレのジパング朝6の占いでラッキーカラーが紫となっていた僕であったが、少女が紺のデニムのジャンパーに、なぜか鮮やかな紫のジーンズと紫のバッグを持っているのが見えたので咄嗟に僕はなぜか「天使だ!!」などと思う。

 天使はボタンを押して横断歩道を渡った後、その旧道っぽい道を進んでいったので、僕も後をついて行く。
 旧道が駅のすぐ近くで細くなり、家の小路風になっているところで天使は右折し大きい道へ入っていった。
 僕は頑に真っ直ぐ行こうとしたために、そこで天使のルートと外れてしまったが、結局僕の行ったルートは途中で途切れてしまった。
 天使について行った方が、もしかしたら正式ルートだったかもしれない。もちろん真偽はわからん。

 と言う間に赤羽駅に到着。
 ここから駅の東側に出て線路脇の道を北へ行くのが旧鎌倉街道のようである。
 僕は一番街なる商店街を抜けていく。
 途中立ち食いのおでん屋があり、おいしそうないい匂いがしていた。
 更に先へ行くと、ちょっとした歓楽街。どこか見覚えがあるような風景だったが、大部前に前の会社の先輩に連れられて二次会で来た場所らしい。相当酔っぱらっていたが何となく雰囲気は覚えているもんである。

 北本通りに出ると、いよいよ旧鎌倉街道中道の東回りルートと西回りルートの合流点となる宝幢院(ほうどういん)という寺院まで来た。
 その門前には江戸時代の道標が建っているのである。
 「南 江戸道」と書かれているのが鎌倉街道中道の東京都内を通る東回りのルート、「西 西国富士道 板橋道」と書かれているのが鎌倉街道中道の東京都内を通る西回りのルートになる。
 鎌倉街道好きの僕にとっては、ここは重要なターミナルポイント、まあ言わば東京駅みたいなもんである。

 さてこの後赤羽岩淵まで歩き南北線に乗ることにした。
 駅の構内各所の表示は既に3月28日開通の「埼玉高速線」対応になっている箇所もあった。
 僕は個人的に超・超・超、いい感・・・ではなく超・超・超楽しみである。
 とりあえず南北線で駒込まで行き、その後亀有まで出て今度は旧鎌倉街道の下道を散策した。
 下道散策のお話しは別途機会を改めることにする。

 

●上記レポートを読む場合の推奨BGM
    さだまさし:「きみのふるさと」(「風見鶏」収録)

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