Monologue45 (2000.11.21〜2000.11.27)

「2000.11.27(月)」・広い家に住みたーいっ!

 ビデオや書籍の量が増えたため、収納ボックスに収納したはいいが、今度はそれらが我が物顔に部屋を占拠しはじめ大きな塔の一群のようなものを形成しはじめている。
 ボックスは幾重にも重なり、さながら摩天楼の如き壮大な幻想的な景観(?)を呈している。
 僕はこれらを称して「ザ・タワー」などと呼んでいる。
 「ザ・タワー」は常に倒壊の危険を孕んでいる。
 僕はこの倒壊に脅えながら毎日を過ごしている。

 そんなに脅えるなら本やビデオを処分してしまえばいいではないか、との声もある。
 しかしナカナカそれができない。
 やはり僕にとっては大切なものばかりなのである(モー娘や釈由美子のものばっかじゃねえかとの真実を鋭く抉るような声もあり)。
 それらが与えてくれる精神的メリットは大きい。
 だが「ザ・タワー」の圧迫感による精神的デメリットも大きい。

 「ザ・タワー」の圧迫感による精神的デメリットの方がずっと大きいぞ!との声もある。
 いや、そんなことはないはずだ・・・
 だってモー娘ビデオのメリットが80くらいだとするでしょ・・・それで「ザ・タワー」の圧迫感による精神的デメリットは120くらいだから・・・ほんまやっ!。

 ま、冗談はさておいて、今のところプラスマイナスで、やや、まだプラスかな。
 広い部屋があれば、こんなことで悩まなくてもいいんだけどな・・・。

「2000.11.26(日)」・悪いイメージ

 音楽というものは、普通は心身を癒す効果があり、良いイメージを想起する為のキッカケにしたりする。
 僕なんか旅行に持っていって、そこで良いイメージをその音楽にのせるようにする、などということもやっている。

 ところが、希に非常に悪いイメージがついてしまって耳障りに聞こえてしまう音楽も実際にはある。
 坊主憎けりゃ袈裟まで憎いでは無いが、そういう音楽に限って、細部の何でもないような部分まで気にくわなくなってきてしまう。
 きっとこちらが怒りの状態にあると、その曲のいいところも見えなくなってしまうのだろう。

 冬の時期、僕にとって憂うつな耳障りな音楽が、近所でよりによって朝っぱらから聞こえてくる。
 この音楽の主は、灯油の巡回販売サービスの車である。
 この車の流す音楽が、それこそ超ームカツいてしまうのである。

 これほどまでにこの曲を嫌う理由は、はっきりしている。
 これは音楽の善し悪しでは無く、個人的な感情の問題なのである。
 つまりその曲を聞くと嫌なことを思い出し、憂鬱になるからなのである。

 以前仕事がすごく忙しくて、トラブルも頻発して起きていた時期があり、かなり精神的に沈んでいた時期があった。ちょうどそれは冬の時期であった。
 朝起きると、ああ仕事行きたくないなあ・・・、と非常にブルーになる。
 もともとあまりやる気の無い気乗りのしない仕事だったので、尚更ブルーになる。
 会社に行って、また未解決の問題にうろたえ更にそこに新たな問題が浮上し困惑している自分を想像すると吐き気がした。
 そう思って布団にくるまっていると、そこへグッドなのかバッドなのかジャストタイミングで、僕の神経を逆なでするように、この灯油売りの音楽が流れて来るのである。

 これを毎朝聞かされた日にゃあ、たまらんものがあった。
 終いには条件反射のように、この曲を聞くだけでブルーになることができた。

 そう、僕はこの曲を聞くと、とても思い出したくも無い、つらい仕事をこなしていた日々を思い出してしまうのである。
 この曲には嫌なイメージがつきまくってしまったのである。

 この曲は元来は長調のさわやかな親しみやすいメロディで、そういえば、ミッキーマウスのテーマに似ている気もする。あれを木琴一台とリズムマシンみたいのだけで演奏しているような感じである。
 しかしながら、当時僕にはとてもそんな親しみやすいなどというようには感じることができなかった。

 「もう、いかにも、そこらの小学校の三流校歌みたいに誰でも考えつきそうなメロディでそれが、かえってムカツク。うすっぺらなメロディのくせに、さも貴方の味方ですみたいな偽善的な調子で近づいてきやがって、神経を逆なでる。こういう曲に限ってアレンジもチャチだし。ドラムなんか、ズンズチャッカ・チャッカといかにも陳腐な何のひねりもありませんよ、そこが売りなんですよ、と言っているかのようで、そこがまた感情を刺激する。大体朝っぱらからガンガン鳴らしやがって、それが許せねえっ!・・・」などと思っていた。

 この曲は僕の辛い想い出と不幸にも結びついてしまった為に、その曲自体の善し悪しとは関係なく「悪いイメージの曲」になってしまったのである。

  *  *  *

 さて、悪いイメージがついてしまうケースは、悲しいかな人にもある。
 特に忙しい時期一緒に働いていたお客さんなど現代の源平の敵軍同士みたいなもんで、なおさら悪いイメージがつきやすい。
 タイトな時期にはお互いピリピリきて感情的な行き違いもあった。
 仕事がそれ程タイトで無くなっていってもイメージはそのままなので、その人自体全然悪い人ではないのに、その人が別用で社内に姿を現すと、途端に雰囲気が壊れた感じがして憂鬱になり暗くなってしまう。
 また何かトラブルが発生したのか?!、と条件反射的に思ってしまう。
 「アイツが来るなんて、何か良からぬことが起ったに違いない!」
 完全にその人には、悪いイメージがこびりついてしまった。
 その人自体の善し悪しとは関係なく「悪いイメージの人」になってしまったのである。

 そして、その人と接するとき心の奥では「コノヘイワナトキニ、ナニシニキタンダヨ?、ナンデクンダヨ!」と思いつつも、もちろん真面目で人としても全然悪い人では無いとわかっているので、普通に当たり障りなく接していた。
 もちろん向こうもこちらには、少なくとも表面的には友好的な態度で接してくれていた。
 お互い信頼もあり、悪い人間では無いとわかっているのだが、利害が絡む仕事を通じた関係という不幸な条件が、ある時からギクシャクしたものを産んでいた。仕事の付き合いで無かったら、割と仲良くできるタイプだったかもしれないのにな、そう思うこともしばしばだった。
 こんな不安定な収束の日々をしばらく送っていた。

 ところが仕事も大分落ち着きを取り戻したとある日を境に、その人を全然見かけなくなった。
 こちらの社内での仕事が終了したのかと思ったが時期的にそれはあり得ないことであった。
 それが、あとで人づてに聞き、その人がどうやら退職していたらしい、ということを知ることになったのである。

 それを聞いた時、僕の胸中には複雑な様々な思いが去来した。
 過ぎ去ったお互いの悪夢のような日々・・・退職しそうも無かった人が退職したという驚き・・・今まで示していた抵抗感に対する後悔・・・、その人にもう会わなくてもいいという安堵感・・・そして・・・

 そして僕には奇妙な充足感があった。
 「もう終わってたんだな」。
 これでお互いの間の何かが清算されて戦いの日々は終わったんだ・・・、そんな思いが僕の心を満たしていった・・・。

 ・・・今、あれからまた月日がたった。
 僕自身も今やその職場を去っており、あの辛酸の日々の記憶もようやく風化できそうな時間が経過しつつある。
 今あの頃のことを振り返ると、あの時は本当に立場上お互いどうしようも無く、ギクシャクなること自体は避けられなかったことのように思える。
 結局僕らは最初からそうなる関係で、そうなりやすい環境に身を置いていて、僕はそのような体験を一つしたというだけなのであろう。
 そして僕は相手が欲している情報を自分が持っている場合は感情に左右されずにそれを相手に提示してやるべきだ、ということを学んだ。
 つまりあの体験は、あれで良かったんだと。
 あれ以上でも無く、あれ以下でも無い。
 あの時に相応しかった言葉は、まさしく「Let it be」だったんだと。

「2000.11.25(土)」・パラパラ

 パラパラという踊りがありますが若い子には人気だそうですな。
 僕自身はパラパラをやろうなどとは思わないが、実はガングロ系の女の子などがパラパラを踊っている姿を映像で見ているのはこれが結構嫌いでは無いのである。
 何か妙な面白さがあって見ている分には、なかなか見れるもんだと思っている。

 そこでなんでだろうとツマラヌ分析をしてみたが、まず女の子がいるということが当然第一となるが、その次には「融合」の面白さがあるからなのかな、とも思った。
 文化というのは異種のものが接触・融合するとヘレニズム文化のように新しく面白いものを生む。
 パラパラは、ガングロの女の子という一見現代的でアナーキーに見える存在と、パラパラという意外にルールの多いまるで古典芸能の如く規制された踊りが、妙に融合し合っているところに面白さがある、と思った。
 
 だから僕としてはパラパラは、できればガングロの女の子が踊っていてほしい。
 色白のカワイイコや普通のアイドルがパラパラを踊っているのは意外に見ていてつまらないもんである。これがどうもヴィジュアル的な僕の好奇心を意外に刺激しないのである。
 ということは逆に色白の大人しそうな子が、激しいヒップホップ系のダンスでもすれば僕の好奇心をくすぐるのだろうか・・・?うーん、まあ確かにそうも言えるかもしれない。
 つまり僕は「意外性」にも価値をおいているということになる。
 そうなると色白だけどモー娘のパラパラなら話題性としての面白さ、意外性もあるし見てもいいかな。でもやるなら徹底してやってほしいですな。

 ま、本日も取るに足らんつまらぬ独白にて御免。失敬。

「2000.11.24(金)」・相変わらず進歩無し

 キムタクが結婚するそうですが芸能人は本当にイイですな。嫁さんが工藤静香なんて。
 オイ、工藤静香家におるで!、家で料理作っとるで!、てなことになるわけで、もう我々の想像を越えてますな。
 まあ、一度でいいから芸能人と付き合ってみたいもんですな。

 さて、そんなモテルキムタクとは裏腹に、モテナイ独身エトランゼ(僕のこと)の生活は相変わらずである。
 僕のアパートは2階建で、僕は1階に居住しているのであるが、情けないくらい良くあるのがテレビを見ていてCMが入り、便所などの用事にたつと、それが上の階の住人とタイミングが全くカブってしまうことである。
 僕が立って台所に行くと、上からもドスドスという上の住人の移動音が聞こえて来る。
 たぶん上も同じ番組見てたんだ、ということがわかってしまう。
 番組がNHKのプロジェクトXのような番組ならまだイイ。まだ救われる。
 しかし大抵実際は深夜番組やアイドルが出ているような番組でカブる。
 こんな時は何か本当に情けなくイヤーナ気分になる。

 特に便所に入って便器に座っていると上の住人が、トイレの水を流す音が聞こえて来る時が、なぜかしばしばあり、こんな時は「も、最悪」と思ってしまう。
 時には「なんでカブッテくんだよ!」と切れてしまう。
 「なんでアンタとここまで行動パターンが同じなんだよ?!真似してんじゃねえの全く!」などと完全に自分中心で思考が展開する。
 「たまにゃ、女でも連れ込んで来やがれ、このモテナイ独身男性め!」などと完全に自分を棚にあげまくって切れている。
 そう、悲しいことに上もモテナイ独身男性なのである(実際は、右も左もそうらしい)。
 
 モテナイ独身男性の生活でも崇高な部分(そんなのあんのかよ?)においてお互い共鳴しているなら、まだ救われる。
 しかしながら共鳴は排泄部分だったりオタク的部分ばっかりで、ちっとも崇高で無い。そこが一層神経を逆なでてしまうのである。
 このままでは今にもモテナイ独身男性同士のハエの喧嘩のような低ーいレベルの啀みあいが始まりかねない(こんな調子だと、とても集団行動や共同生活は無理そうですな)。

 そもそも上の住人がカワイイ女の子なら全然問題は無い。
 むしろカブリ大歓迎とすら思える。
 従って「カブル」こと自体が不快なのでは無さそうである。
 不快の原因は単に「モテテイナイ」ことの欲求不満にありそうである。
 それにより同族のモテナイ独身男性の行動形態に対して、鏡で嫌な自分を見せられたように感じ、つい胸くそが悪くなってしまうようなのである。
 高いレベルの同族は切磋琢磨し合いお互いを磨くが、低いレベルの同族は相克し合いお互いを引きずり降ろそうとするもんである。
 それで低いレベルのモテナイ独身男性は、同族に八つ当たりしている、ということがどうやら実態のようである。

 P.S:上記表題のワープロ入力時において「進歩無し」を漢字変換したら、最初に「進歩梨」とでてきやがった。「そんな梨、一体こにあんじゃ!」と、またまたイラつく今日この頃でした。

「2000.11.21(火)」・愛、そしてあきらめない

 今日のNHKの「プロジェクトX」も良かったですな。
 いい年こいて情けないが、終始ウルウルしっぱなしであった。
 今日のは「ツッパリ達と泣き虫先生」と題した京都の伏見工業高校ラグビー部の話で、かつてのテレビドラマ「スクールウォーズ」のモデルにもなった部のエピソードであった。
 ラストシーンでは今年行われた部の40周年記念の祝賀会の挨拶での席上、かつての監督の山口氏が、当時京都一のワルと恐れられていたが後に部の躍進の原動力となり高校の日本代表にまでなった山本氏を壇上に呼び、現在高校の教師となり後進の指導にあたっている山本氏を称えつつも、感極まって山本氏の肩に泣き崩れていた姿が印象的であった。

 やはり言い古されたことではあるが、愛が大事で、それからどんな問題もあきらめてはいけないことを教えられる。
 今日はモテナイ独身青年も、姿勢を正されたような気分ですな。

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