Monologue38 (2000.10.3〜2000.10.11)

「2000.10.11(水)」・JUNK

 僕は東京に出てきてかなりの年数になるが、それ以前から使用していたような小物、それも今では全然使わなくなってしまったような小物でも結構取っておいたりしてあった。
 他人から見ればガラクタにすぎないこんなようなものも、本人にしてみれば大事な想い出の品であるが、さすがに、そうしたものが増えると、ちょっと部屋が雑然として、居心地が悪くなってくる。しかしながらそれでも捨てられない気持ちがあり、葛藤が生まれる。

 こんな葛藤に、最近ちょっと解決の道を切り開いてくれたのが、デジカメである。
 英語でガラクタのことを「ジャンク」というが、僕はパソコンに「ジャンク」という名のフォルダーを作成し、そこに自分の想い出が詰まったジャンクの写真をデジカメで撮ったものを格納し、そして撮った物から廃棄処分していく、ということを始めた。
 ジャンクをいつまでも手元に置いておきたいのは、それを見て当時を偲びたいからという一点に尽きるのだと思うが、一応映像さえ残しておけばその願いも、ある程度は満たされると思ったからである。
 もちろん捨てるに躊躇いのあるものも無いことは無い。ま、そういうものは取っておけば良いし、物の方から、もう捨ててくれという感じで、すっかり古びたものもあるので、それらは供養の心で、撮影後処分する、ということにしている。

「2000.10.7(土)」・サインはV

 なんと10月9日にNHKのBS2で21:00から映画版の「サインはV」を放映するらしい。
 若い人には馴染みが無いだろうが、僕らのような30代後半の人間には懐かしい響きの番組であろう。
 僕も確か日曜だったと思うが、毎週見ていたような記憶がある。
 しかしながら内容はもう全く覚えていない。
 この番組もサザエさんから、ムーミンなどのカルピス劇場とくる一連の流れの中で、漫然と見ていた番組群の一つであった。
 この番組で印象に残っているのは、主役の朝丘ユミ役の岡田可愛のヘソ出し体操着ルックで、それに少年心にもちょっとしたエロティシズムと恋心にも似た甘酸っぱいものを感じていたという記憶がある。

 久しぶりに当時の感覚を、また想い出してみたいという気はする。

「2000.10.6(金)」・フォークダンス

 金曜深夜に「お願いモーニング」なるモーニング娘出演の番組があり、恥ずかしながら私も良く見てるのでありますが、そこで、フォークダンスでは必ず好きな異性と踊る順番が来る前に曲が終わるという話をしていて、ああ、やっぱりこれは普遍的な法則なんだなと、つくづく思いました。
 私も中学生の時、他のクラスに気に入った子がいて、貴重な他クラスとのフォークダンス合同練習の際、直前ではありませんが、やはりその女性の2、3組前で曲が終わってしまいました。
 しかしながら、その当時は何回か繰り返し練習することになっていたので、次のターンでは必ず回ってくると安心しておったのですが、なぜか、そこでトラブルが発生したか何かで、練習が中止になってしまったことがあり、「そこまでして、躍らせねえか、神よ!」と天を呪ったことがあります。
 以後その女性のクラスとの練習はありませんでした。

 中学生の頃と言えば、ギターを始めたのが中学生の時で、先輩がフォークギターを学校に持って来て、当時流行っていたフォークソングなぞをつまびいたりしてるのを見て、カッコイイナと思い、自分も始めた記憶があります。
 その先輩は放課後も同級生の彼女と帰ったりなんかしていて、要するにモテテおりまして、私も何とか同様にモテタイと、不純な動機もそこに加わっていたのでありました。
 今にして思うと、私なぞビートルズ等のちょっと難しいコードの出てくるような洋楽のコピーもやったし、多分卒業までには、少なくともギター技術においては、その先輩の当時のレベル位は越えていたような気もしますが、結局、少しもモテテいなかったなあ・・・。ギターうまくなってもモテナイと意味ないんだけどなあ・・・。(これだからモテナイ)。
 なんでだったんだろう?鏡をよーく見なさいってか。
 モテ具合は、どうも努力ではいかんともしがたい部分はあるようですな。

 ところでモーニング娘の加護亜依ちゃんが結構多才なのは、ちょっと新たな発見。

「2000.10.5(木)」・免許更新

 今日は初の運転免許更新なるものをやって参りました。
 詳細はまたREPORTのコーナーにでも書く予定でありますが、こういう公的イベントに参加すると、普段一人でズボラに暮らしている自分も、なんか一応公的機関から日本国民として認められているというか、一国民として社会性を帯びたことをやってるような気がして、妙な感慨がありますな。
 東京地方は曇り空。

「2000.10.4(水)」・知りたい

 どういうわけかずっと気になっている物語がある。
 誰が作った物語で、どういう題名なのかを、全く覚えていないので、もし機会があったら、もう一度巡り会いたいなと思っている物語である。もし知ってる人いたら教えて下さいね。

 小学生の頃、学校が斡旋して校内で販売した文学集みたいなものにそれは載っていたのだが、粗筋を言うと次のようなことになる。

 何しろ30年近く昔のことなので、細かいことはほとんど忘れており、うろ覚えなので、間違いも多分にあるかもしれぬが、ご了承いただきたい。

  *   *   *

 ある貧しい村だか町だか忘れたが、そこの住民達が、村長なのか長老なのか殿様なのか忘れたが、とにかく偉い人に、どうしたら貧しい自分達が豊かに暮らせるようになるか、その方法を教えてほしいと頼みに行った。
 その偉い人は、ではいついつまでにこれこれを用意したら教えてやる、などと言う風に、米だか家だか人だか忘れたが、そういったものを住民達に要求する。
 住民達は何とかあれこれ苦心して、その要求をクリアするが、偉い人は、まだ豊かになる方法を教えてくれず、また別の新たな要求をする。
 そして次に住民達が、その要求をクリアしても、また新しい要求をする、という風に、どんどんエスカレートしていき、それが延々繰り返される。

 今まで堪え忍んで要求に応じてきた住民達も、遂に堪忍袋の緒が切れて、その偉い人に、一体いつになったら豊かになる方法を教えてくれるのかと詰め寄ったところ、偉い人が、もうその必要は無いと答えるので、住民達は唖然とする。
 
 偉い人は住民達に、今の自分達の住んでいる所を見てみろ、と言う。
 そこには偉い人の要求に答えるため、住民達が一生懸命作った穀物やその他の作物で満ち溢れていて、それぞれの家々からは米を炊く釜戸の煙があがっており、もう既に立派で豊かな街が出来上がっていた・・・。

 ・・・と、大体こんなような話であった。

「2000.10.3(火)」・復活を願う

 先日用事があったついでに鎌倉近辺を久しぶりに散策した。
 江ノ電で鎌倉まで向かう途中、車内で私服の小学生か中学生くらいの少年少女のグループを見かけた。
 最初はのどかな光景だと思って眺めていたが、ふとその日が平日の昼の時間だったことを思いだした。
 「ん?あいつら学校は?」
 まさか彼らは集団で学校をサボタージュして遊び惚けている連中なのか?
 オジサンは次第に余計な心配オジサンになりかけていた。

 しかしこれは幸い取り越し苦労だったようである。
 終点の鎌倉駅に着くと、駅周辺には彼らと同じような私服の少年少女が一杯いた。

 どうやら修学旅行生だったようである。
 最近は小中学生の修学旅行での私服の着用が普通になったんだなと、自分の頃は制服だったので、ちと感慨深くもあった。

 子供に制服を着させるのは明治政府か何かの政策の名残だと思われるが、最近はだんだん私服を採用する学校も増えているらしく、それは大変良いことだと思う。
 制服がイケナイという訳では無いが、学び舎に制服がどうしても必要か?ということになると、不必要という気もする。強いて言えば教師が着る方が理屈に合うのではないかとさえ思われるが、まあ今の段階では結局どちらでも良さそうにも思えるし、自然淘汰されていくか自然の成り行きで残る部分では残るのだろう。

 それよりも何よりも明治政府の悪しき政策と言えば、銭湯の混浴廃絶である。
 これこそ僕的観点から言わせてもらえば明治政府の最大の汚点である。
 全く余計なことをしてくれたもんである。何を考えてんだと声を大にして言いたい。
 西洋思想の影響か何か知らぬが、本当に余計なお世話である。

 きっと制服や坊主頭と同じように、国民の楽しみを奪いあげ国民をガッチガチの兵隊に仕立て上げようとしていた時代の名残だと思うが、スターウォーズの帝国軍じゃあるまいし現代はそういう時代では無くなったのだから、混浴銭湯くらい復活させてもいいんではないか。

 そうだ、学校の制服が私服になりつつあるなら、これから混浴銭湯がジャンジャン出てきてもおかしくは無い。

 第一、明治政府に問いたいが(もう無いからどうしようも無いか)、混浴銭湯のどこがいけないのか?
 入りたい人が入りに行けばいいことだし、何せ昔はあったんだし、混浴の温泉はずっと存続しているのだし、節度を守って入れば、僕にはこれ程楽しそうなアミューズメントプレースは他には無いだろう位に思えるが、いかがなもんか、明治政府(もう無いですよー)。

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